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伊佐貫より来たる者



 わたしの名は羅刹丸。二〇世紀の地球に生まれた。

 今は、一五世紀の静岡に酷似した多次元宇宙のどこかにいる。職業は独裁者だ。この暗澹たる蛮土において救済を求めた、虐げられし迷える民衆を導いている。


「山名の南側を磐田まで占領する」


 真夏の夜、征服した山上の神社で、わたしは集まった信徒の代表たちに宣言した。

 新たに帰依した数千の信徒に安定した生活を与えるには、遊家郷、垂木郷、山名郡の原ノ谷上流側だけでは不足なのだ。下流側に広がる、二年前に半壊させた小領地群も征服する必要があった。

 五年前、どことも知れぬ川原を歩き、わたしは遊家郷の奥地へ移り住んだ。道すがら遭遇した汚らしい蛮人にインタビューすると、それが日本語がなんとか通じる相手であり、ここが遠江の山峡であり、今が室町の将軍が権威をふるう時代であることがわかった。

 その後の労多き五年間で、菊川から袋井一帯までを制圧する兵力と物資は整えてある。


「三個中隊をもって、東海道の盗賊どもを薙ぎ倒す。秋の刈り入れ前に袋井の人民を解放(げほう)する」


 五〇人を率いる小隊長の一人が立ちあがり、薄暗い大広間で野獣の眼光をギラつかせ、片手を突きあげて叫んだ。


「人民解放!」


 歩兵科と輸送科を率いる十数人の将校も次々に立ちあがり、指をそろえて伸ばし、右腕を掲げて叫んだ。


「現世浄土!」

「南無現世仏!」

「独裁様! 万歳!」


 遠江東辺部から逃れてきた地侍の組頭も遅れて立ちあがり、二〇世紀のファッショな敬礼をキめて叫んだ。


「独裁様! 万歳!」


 いかにも。パクりである。

 ファシズムには見栄えと儀礼が重要であり、手本とするにはこれが最高だったのだ。


「現世浄土! 万歳!」

「独裁様! 万歳!」

「南無現世仏!」

「悔い改めて!」

「南無現世仏!」

「南無現世仏!」

「南無現世仏!」

「悔い改めて!」

「南無現世仏!」「南無現世仏!」「南無現世仏!」

「南無現世仏!」「南無現世仏!」「南無現世仏!」


 五年前の晩夏、わたしが率いる革命(かくみょう)宗の戦士九〇人は遊家郷を侵攻し、中世的な弓と槍と鎧で武装した土豪どもを血祭りにあげた。

 一ヵ月後には東隣りの垂木郷も制圧。蛮族の田舎ヤクザごときよりは、藪にいくらでもいる吸血虫のほうが強敵だった。

 残念ながら農村の生産力は低く、このささやかな革命では我が軍の活動に必要な二〇〇人すら養うことがおぼつかなかった。

 翌年の初春、貧しい農民が飢える季節、西隣りの原ノ谷へも機先を制して侵攻。「鎌倉時代からここの領主だ」と、なんの価値もないことを主張する一族を丘上屋敷(城と称していた)ごと焼き払った。

 寺社荘園に寄生する腐敗坊主と生臭社家どもは、革命宗に帰順せざる者は叩きのめして奴隷とした。墾田を永年私財とし無産階級の農奴を使役する、いわゆる富農も、逆らう者は奴隷とした。

 半年間の戦いで一八〇人を討伐、おおむね五〇人が焼死、二〇〇人が改宗、三〇〇人を実験場へ強制収容した。そして正確な数は不明だが、ウマを用いて数十人が他郡へ落ち延びている。

 我が革命軍の戦傷率も、冬のあいだに急造した一個中隊では三割におよび、その内、二五人が死んだ。戦術も武器の性能も劣る蛮族相手に、やや手子ずったといえよう。集団戦闘の訓練期間も充分ではなかった。

 あれから四年、革命軍は装備と訓練の充実、幾度かの実戦経験を得て、一〇〇〇や二〇〇〇の武士団は蹴散らせるものとなっていた。


「堀田の出城に一個小隊、菊川の関にも一個小隊、横地の城に二〇〇か三〇〇。榛原の北と南に合わせて五〇〇。……東遠に居残るのは、こいつらの話だと、そんなもんだそうで」


 引導士が止血用の火箸を置いて報告した。

 インタビュー台に固定されて並び、汗と吐瀉物にまみれている捕虜の一人を、わたしは見おろした。裸にされ髷も切られているが、歯黒は残っている。駿府から赴任した、洒落者の小頭侍といったところだった。

 武士団の小頭で侍とは下級将校であり、数十人の部下を率い、さまざまの任務につく。城の警備、主要耕作地の巡察、物資輸送。占領地域ならば不審者の捕縛、抵抗勢力の監視もおこなう。

 ここにいる四人は掛川を西へ越え、革命宗の支配地域をうろついていた偵察隊だった。

 腹を刺されたり大きく斬られた三人は、関節に五寸釘を打ちこんで固定してある。他の捕虜への見せしめとして、このままさらすのだ。


「朝比奈軍は、去年より数を減らしたのか?」


 わたしの質問に、捕虜は聞きとれない譫言を返した。

 捕虜に代わって引導士と、若い助手が答えた。


「足軽どもが逃げたと申しております」

「へえ、去年の洪水で、だいぶん逃げたと申しておりました」


 去年は梅雨時の長雨によって、菊川の東を流れる大井川が氾濫した。大井川西岸の榛原郡では飢饉となり、水田は今も復旧していない。秋の収穫は乏しく、榛原住人の二割以上が、駿河からの侵略者に呪われた古里を捨てて逃げた。

 革命宗が現世浄土の建設を進める、この地へだ。


「食料不足が深刻らしいな」

「集めた足軽に米を出せぬとは」


 横に控える地侍が、わたしの呟きに答えた。


「これは、朝比奈めを仕留めさせる好機かと存じます」

「同盟軍にか……菊川までは革命軍を出してもよいが」

「一揆勢に榛原を押さえさせれば、朝比奈の首魁どもを討ちとることもできるかと」

「……」


 引導士に生存捕虜の実験場送りを指示し、転生援助庁を出た。

 東海道を北側から制する超中枢・大禍(おおくゎ)西館。戦争指揮のため、わたしも山間の実験場から、前線に近いここへ移動していた。転生援助庁は、その三ノ丸に当たる区画に建てられている。

 このままでは地獄行きが確実な罪深い戦国ヤクザを、少しでもましな転生が叶うように援助する、革命宗の慈悲深さを示す奥ゆかしい施設だった。

 大禍東館は、まだない。二一世紀にスーパーセンターとして、ここから一キロメートルほど東に建てられる。

 超中枢・大禍から東海道沿いに五~六キロメートル西が袋井、同じく五~六キロメートル東が掛川になるはずだった。スーパーセンターがないように、市街地などない。鉄道駅も舗装道路もない。それらしき地名があるだけだ。


「駿河折伏か」


 盛り土の坂を登った二ノ丸から、わたしは南東を見た。

 相良油田までは直線距離ならば二〇キロメートルしかない。夜闇に沈む佐野郡の地表は暗く、太平洋は丘陵にさえぎられて見えなかった。


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