バッドエンドのヒロインは攻略される運命です
「はあ~~~!ギルベルト様のバッドエンドルート最高!!」
バイト代をつぎ込んで買った自分専用三十インチの液晶画面の中で、わたしに向かって微笑む、金髪碧眼の目下一番の推しに向かって心の底から称賛を送る。
「ここから先は、明日のお楽しみにしようっと」
最後のクライマックス、王立学院卒業パーティーの場面の前で、わたしはコントローラーを置いてベッドにもぐりこんだ。
もう何周もした、ギルベルト様ルート。
わたしはこのルートのバッドエンドが特に特に特に!好きなのだ。
ゲームの電源はつけたまま。
ちらりと画面のギルベルト様を見て、くふふと笑う。
気持ち悪いなわたし。
でも、良いの、誰も見てないし。
「じゃあ、おやすみなさい。ギルベルト様」
夢でも会えたら最高だよね!
***
「ナタリア!わたしを許して下さい!」
「ギルベルト様!」
「完璧な淑女であるあなたの前に卑屈になり、自分の心さえ偽り、愛するあなたを傷つけてしまった!」
「いいえ、わたくしがいけなかったのです。あなた様のお心に、きちんと寄り添おうとしてこなかった!」
「アイリス嬢、やはりわたしが心から愛しているのは、ナタリアただ一人」
「そんな…」
「そんなしおらしい顔をしても無駄だぞ!マナリス子爵令嬢アイリス。貴様が我が妹を陥れるためにギルベルト王子に伝えた嘘の数々、妹に働いた無体、すべて露見しこちらで把握されている」
「レオン様!」
「今後は北の最果ての修道院で、己の罪を死ぬまで省みるのだな」
「ああ〜〜〜〜〜!」
その後、ギルベルト王子は王太子となり、ヤースデール公爵令嬢ナタリア様とご結婚。第一子の王子殿下が誕生したと、風の噂で聞くころに、アイリスは修道院での過酷な生活が元で病となり、わずか二十数年の命を終えたのでした。
-fin-
***
いやぁ、本当に夢で見てしまったわ。
バッドエンドのクライマックスのダイジェスト版。
ギルベルト様もナタリア様も、ナタリア様の兄であるレオン様も、どの登場人物も素敵。
絵師様最高!
目は覚めたけど、夢の余韻を楽しみたくて、わたしは再び目を閉じた。
もちろんプレーヤーは『アイリス』の立場。けど、このゲームの面白いところは、ライバル令嬢が今流行りの『悪役令嬢』的に救済されるエンドがあるところなんだよね。
その場合、断罪されるのはヒロインというわけ。
そのためには、選択肢に出てくる、卑怯極まりない答えを選び続けないとダメなんだけど。
しかも、ハッピーエンドより絶対ヒーローが糖度高めなのよ。
全部のルートのエンドをしてみたけど、このギルベルト様のバッドエンドが一番好き。
ぶっちゃけヒロインでハッピーエンド迎えるより、わたしはナタリア様の立場でバッドエンドを迎えたいわ…。
そう思って、ギルベルト様の切なげなお顔を反芻していた時だった。
真っ暗だった部屋のカーテンが、突然開けられ声を掛けられたのは。
「お嬢様、今日は大切な卒業パーティーでございますよ。早く起きてお支度なさいませんと」
「!?」
わたしはあまりの驚きに息が止まりそうになった。
だって、わたしは一人暮らし…。
しかも、開け放たれたカーテンの外に人影が!
「アイリス様!何を呆けてらっしゃるのですか?」
ア…アイリス?
逆光だった人影をじっと見る。
その人物には見覚えがあった。
「ア…アネット…」
それは、ゲームでアイリスにストーリーの進行具合や攻略対象者との親密度を教えてくれる、メイドのアネットにそっくり。
もちろん二次元を三次元にしたらこうだろうという変換はなされているけれど、そのトマトのような赤毛に黄緑の瞳にはなんら違和感がない。
外からの光でぼんやり見える自分の周囲を見渡せば、そこは天蓋から降りたカーテンで四方を囲まれた豪奢な寝台。
そっと見下ろすと、いつも眠る場面でヒロインが着用していた、レースがこれでもかと盛られた真っ白なナイトドレスが目に入る。
そこではたと思いつき、わたしは自分の髪を指に絡め、自分の眼前に持ってきた。
「ストロベリーブロンド…」
ありえないありえない!
わたしは自分の右の頬を思いっきり叩いた。
「痛い…」
「お嬢様?!」
今度は左の頬を。
「やっぱり痛い…!!!!」
そこでやっと現状を把握した。
ああ!わたし!ギルベルト様とナタリア様のゲームの世界に、転生してしまったんだ!!!!!
***
こんなこと、本当にあるんだね…。
夢の延長なのかと、あれから何度も壁に激突してみたり、箪笥の角に小指を引かっけてみたりしたけれど、どれもリアルな激痛を、わたしにもたらすだけだった。
アネットに何から何まで身支度をしてもらい、誘導されるままに向かった食堂には、ゲームに出てきたのと同じ適当な見た目のマナリス子爵であるお父様にお母様、そして弟がいて和気あいあいと朝食を摂っていた。
「おはようございます」
「ああ、アイリスおはよう」
「おはようアイリス。今日はとうとう卒業パーティーの日ね」
「姉上おはようございます。今日も可愛らしいですね」
ゲームでは違和感がなかったけれど、十歳かそこらの弟から、朝のあいさつで可愛らしいと言われるのは何か違うな。
アネットが引いてくれた席に座ると、すぐに目の前に食堂付きの使用人によって朝食が並べられる。パンにホットミールにサラダ。
(朝からこんなに入らない…)
毎朝ゼリー飲料が朝食のわたしにはヘビーな献立。
食が進まないわと思ったけれど、旅行に行けばホテルのビュッフェを平気で食べているんだ。
食欲がないのは、本当は別の理由。
「卒業パーティーでは、今日のためにあつらえた青のドレスを着るのでしょう?」
お母様がワクワクしたお顔で話しかけてこられた。
食欲がない理由。それはこれだ。
転生初日が、ゲームのクライマックス、卒業パーティーの日って…。
青のドレスは、もちろん、ギルベルト様の瞳の色を意識して作ったんだろう。
そして、お父様にあつらえてもらっていることで、ゲームを何周もしているわたしは、自分がどのエンドに進んでいるのか正確に把握していた。
「青のドレスは着ないかもしれません…」
ギルベルト様からドレスを贈られていない=バッドエンド。
そう、わたしが進んでいるのは、自分が大好きだったバッドエンド…。
悪役令嬢ではなく、ヒロインが断罪されてしまう、バッドエンド。
そして、わたしはまさにそのヒロイン…。
どうして?眠る直前までプレイしていたから?
転生って、普通悪役令嬢になるもんじゃないの?
それが、ヒロインって。しかもバッドエンドのヒロインって…?!
ああこれがせめて、ゲームの開始時点への転生だったら。
でも実際は、バッドエンド直前のヒロインへ転生してしまった。
(今晩には、わたしは未来の王太子妃を陥れた罪で、北の最果ての修道院へ送られてしまう…!!!)
スープを一口飲み、わたしはスプーンをすぐに置いてしまった。
食事などしている場合ではない。
目の前の、穏やかそうな家族たちを見渡す。家族になって十五分。なのに、どこからともなく家族への愛情が湧いてきて、わたしは目を潤ませた。
ゲームでは詳しく語られなかったけれど、娘が修道院送りになって、この弱小そうな子爵家がお咎めなしなんてあり得ないだろう。
ここまでの子爵令嬢アイリスがどんな選択肢を選んできたか、その極悪非道ぶりは、昨夜までゲームをしていたわたしが誰より知っている。バッドエンドは間違いない。
(何とか、断罪される前に回避できないだろうか…)
卒業パーティーは夕刻から始まる。
わたしは覚悟を決めた。
目の前の食事を凝視する。
(とりあえず、エネルギーチャージと行きますか)
体が勝手に美しいマナーで動くことに感動しながら、わたしはさっきまで無理だと思っていた朝食を、少しも残さず完食した。
***
自分の部屋に戻ると、アネットがパーティーに着ていくものの準備を始めていた。
「この青のドレス、本当に素晴らしい出来ですわ」
ああ、このドレスのデザイン、見覚えがある。
でも、ハッピーエンドとノーマルエンドでギルベルト様が贈って下さるドレスはもっと素晴らしいのよね。そりゃ、子爵家が用意できるものと、王族からの贈り物が同レベルのはずはないんだけど。
わたしはうっとりしているアネットに、ゲームと同じように話しかけてみた。
「アネット、わたしとギルベルト様の親密度はどれくらいかしら」
すると、途端にアネットはゲーム画面と同じ、頬に手をあてて考える姿勢を取る。
すごい…。三次元のアネットが、二次元と同じポーズを。
「う~ん、正直、厳しいですね」
やはり…。昨夜ゲームを終える時にアネットに聞いた時も同じ返事だった。
どう考えてもバッドエンド一直線。
気を取り直して、わたしはクローゼットのドレスを一枚ずつ見ていく。
「お嬢様?」
アネットが不審げに声をかけるけど、一心不乱にドレスを探す。子爵令嬢のくせに、どれだけ洋服を持っているのよ。
ああ、これはギルベルト様とピクニックに行った時の若草色のデイドレス
あ、こっちはルート分岐前、レオン様とお忍びで街に行ったときのピンクのワンピース。
ボート遊びの時の真っ白のドレス、後ろはこうなってたんだ。
わあ、ザカリン騎士団長と遠乗りの時の乗馬服まである~…。
じゃなくて!
何枚もの洋服を確かめ、やっと見つけた。クローゼットの一番奥。水色の簡素なドレス。
「あった!」
少々古ぼけた。けれど、わたしはわらにもすがる思いでそれを取り出した。
「アネット!今日はこれを着ていくわ!」
それは、ヒロインが恋の落ちる前、誰とも親密になっていない時に着ていた、新入生歓迎パーティのドレス。
「ええ?!それは三年前にお召しになったドレスで、しかも今のお嬢様のおサイズには合っていないはずですよ」
当然、仕立て上がったばかりの青のドレスより相当見劣りする。
アネットが驚くのも当然だろう。
だが、青のドレスを着て行った先には、最果ての修道院しか待ち受けていないのだ。
自分の幸せと、家族の幸せを守るためには、誰とも関わりのなかった頃のドレスしか思いつかなかった。
「このドレスは十四歳のわたしに合わせて、コルセットなしで着るサイズになっていたでしょ?それなら大き目ではあっても、小さくて入らないなんてことはないはずよ」
そう言いながら、わたしは今着ている部屋着をさっさと脱いだ。
「アネット、試しに着せてくれるかしら?」
不承不承という感じで着せてくれた水色のドレスは、胸の辺りはパツパツで、腰の辺りはぶかぶかだった。
おお、さすがヒロイン。顔は素朴で少女っぽい見た目なのに、スタイルが抜群。
「これなら全然大丈夫じゃない?」
微笑んで振り返ってぎょっとした。アネットは涙を流していた。
「どうしてですか?お嬢様。今日という日を指折り数えて待ってらしたのに!」
そうだ。アネットはアイリスの一番の理解者であり、ずっとそばで応援してくれていた、使用人というより友達のような存在。
昨日までのアイリスは、『わたしをエスコートして、ナタリア様を焦らせましょうよ。あの完璧な淑女のお顔がどうなるか、ご覧になりたくありませんこと?』なんて嘘をついて、強引にギルベルト様のエスコートの約束を取りつけて喜んでいたはず。
そんなことをしているとは知らずに、純粋に主人公の恋路を応援してくれていたアネットが、混乱するのも当然だろう。
わたしは泣いているアネットの手を取り、クローゼットの長椅子に座らせると、自分もその横に座った。
アネットはスンスンと泣き続けている。
「ねえアネット。わたし昨日までいけないことをしていたのよ」
目の前の、若草色のドレスを見つめながら、ピクニックでのギルベルト様のスチルを思い浮かべる。ああ、あのスチルのギルベルト様、二番目に好きだったな。
「それは、本来そうあるべきものを、捻じ曲げさせてしまう行為だったの」
アネットが、こちらを見た。鼻の頭が少し赤い。わたしのことで泣いてくれるなんて、なんて良い子だろう。
心配させちゃいけない。アネットを職なしで路頭に迷わせちゃいけない。
「結果、そのせいで本来あるべき姿に、いいえ、もっと強い絆が結ばれることにはなったんだけど、わたし、ちょっとやりすぎてしまったと思うのよね」
まさか、今後のゲームの展開を話すわけにはいかず、抽象的な物言いになってしまったせいで、アネットはきょとんとしている。でも、これから自分がやろうとしていることを、きちんと話しておこうと思った。
「だから、今日は初心に戻って、迷惑をおかけした方に、謝罪しようと思っているの」
今から逆転ホームランを打てるほど、わたしは賢くない。
三次元になったこちらの世界の情報も、詳しく知る時間が無い。
ゲームの世界で、ギルベルト様とナタリア様の甘々の展開が見たいがために、何度も何度もアイリスを北の最果ての修道院に送って来た。マナリス子爵家を不幸にしてきた。
最終的には結ばれるけど、愛し合う二人を引っ掻き回して混乱させた。
その罰を受けるために、わたしはこの世界に転生してきたのかもしれない。
でも!何かできるなら、少しでもしたい!
自分が不幸にしてきた、アイリスを、子爵家の家族を、アネットを!
そうした上での修道院送りなら、甘んじて受けよう。
貴族令嬢のアイリスはすぐに死んじゃったけど、元々庶民のわたしなら、若死にしないかもしれないし。
アネットは全部を理解したわけではなかったけれど、何かを固く決意した主人を前に、いつも通り従順に言う通りにしてくれた。
わたしは水色のドレスをメインに、アネットに身支度を整えてもらう。
鏡の中には、ゲームの画面で見るよりも、ずっと素朴で普通っぽい、転生後でも違和感のないわたしの姿が映っていた。可愛い系は、三次元に変換すると、割と普通っぽくなるってことかも。
「今日のエスコートはやはり辞退させていただきますと、使いの者をやってくれるかしら」
まだ涙目のアネットが、心配そうにわたしを見ながらうなずく。
「パーティーに行く前に、お父様にご挨拶していくわ」
バッドエンドを回避できなかった場合、わたしが修道院へ送られるのは、シナリオにばっちり書かれているためどうにもならないだろうが、子爵家の行く末は明確に書かれているわけではない。
最悪の事態に備え、わたしはお父様に話をする必要がある。
「お父様、よろしいでしょうか?」
マナリス子爵の執務室は、ゲームでもいつも扉が開いていた。
モブ顔だけど、穏やかで娘に甘い設定の子爵らしい温かみのある執務室。
「ああ、アイリス。おや?青のドレスでパーティーに行くのではなかったのか?」
顔を上げ、不思議そうにわたしの水色のドレスを眺めるお父様。
わたしはにっこり笑う。
ストロベリーブロンドの髪にヘーゼルの瞳のわたしは、ゲームのヒロインらしく、素朴で普通っぽいけどそれなりに整っている。
そのヒロインの両親と弟がモブ顔なんて、設定は手抜きねなんて思ったけれど、お父様の瞳はわたしにそっくりのヘーゼルの瞳だった。
「これは、学院の新入生歓迎パーティーの時に、お父様が作って下さったドレスですのよ」
少し裾をつまみ、くるりと回ると、お父様は嬉しそうに「そう言えば」とほほ笑む。
「それを思い出して、ぜひ今日これを着たいと思いましたの」
なぜだが万感の思いが押し寄せて、突然目元が潤んでしまう。
ゲームの中で送った三年間はたった数時間のことだけど、この世界では本当に三年の重みがあるのかもしれない。それがわたしの胸に押し寄せたのかも。
お父様にもそれが伝わったのか、うんうんと嬉しそうにうなずいてくれた。
「楽しんでおいで。その、今日エスコートして下さる方とは、将来のことなどは話し合っているのかい?」
高貴な方だから、お父様は明言を避ける。ハッピーエンドなら、当然明日には王宮から婚約の誓約書を携えた特使が来るのだけど、残念ながらそれはない。
「いいえ。エスコートはご辞退することにしましたの」
わたしがそう言うと、お父様におや?という顔をされた。
バッドエンドに向かっている時、もちろんアネットはギルベルト様との親密度が上がってないと教えてくれるんだけど、ヒロインは謎理論で全部「大丈夫」って思いこむようになるのよね。
だから、お父様にも自分に都合良くしか言ってなかったのだろう。
でも、真実はそうではない。正しい情報を伝えなければ。
「あと、これまでのわたしの行いのせいで、もしかすると何らかのお咎めがあるかもしれません」
お父様は穏やかそうなお顔を、初めて険しくされた。
「なので、もし、わたしが今晩遅くなっても戻らなければ、資産をまとめて隣国のお母様のご実家を頼っていただきたいのです」
目をそらさず、きっぱりと言う。
お父様は驚きすぎて、しばし無言。
けれど、わたしが高貴な方とお付き合いがあることはご存知だから、何かを察せられたようだった。
「何か、不敬なことをしたと?」
「その通りです」
言った途端、お父様は机から立ち上がられる。わたしはとっさに身構えたけれど、お父様がわたしに与えたのは、優しい抱擁だった。
「アイリス…わたしの愛しい娘」
「お父様…」
家族時間、延べ三十分。なのに、わたしはお父様の抱擁に胸が熱くなる。
「わたし、今日の卒業パーティーで、ご迷惑をおかけした方々に謝罪をしようと思っております」
うんうんとうなずく気配。
「それでも許していただけないかもしれません」
さらにうなずく気配。
「けれど、そのせいでお父様たちまで巻き込みたくはないのです」
「いいや。今のアイリスの真摯な気持ちで、誠心誠意した謝罪が受け入れられないはずがない」
穏やかなお父様が相手なら、きっと傷つけ、嘘を重ねたわたしのことも、謝れば許してくれそうだ。でも、わたしを断罪するのはお父様ではない。
「そうですわね。心から、謝罪してまいりますわ…」
お父様は真剣に取っていないかもしれない。
でも、わたしの帰りが遅くなれば、きっと今伝えたことを思い出すはずだ。
そして、わたしはこの時、やっと思い当たった。
わたしを断罪し、北の最果ての修道院に送るのは、ギルベルト様でも、ナタリア様でもないのだということを。
それは、攻略対象の一人であり、妹であるナタリア様を溺愛する兄。弱冠二十三歳でありながら、国王の特務機関の長官を勤める、ヤースデール公爵令息にしてオランドン伯爵であるレオン様だということを。
***
とりあえずわたしは、王立学院の卒業パーティーに一番乗りしようと、お昼過ぎには王都の屋敷を出発した。
ギルベルト様は王族だから、一般の入口で待っていても会えない。
けれど、ナタリア様には会えるだろう。
もし会えないとすれば、わたしがエスコートを辞退したことで、ギルベルト様がナタリア様を連れて王族用の門から入られたということだから、悪くない展開のはず。
パーティー会場である学院の大ホールに向かうと、下級生たちがまだ準備をしているところだった。
「アイリス様!もういらっしゃったのですか?」
学院でわたしは有名人のようだ。しかも結構好意的な感じで。
その場にいた数名の下級生たちが、一斉にわたしを見つけ取り囲む。
そして、口々に古ぼけた水色のドレス姿のわたしを褒めそやしてくれた。
あれ?ハッピーエンドならまだしも、バッドエンドの時ってこんなだったっけ?
いやいや。数名の取り巻きや、ナタリア様の友人とのやり取りはゲーム上であったけど、さすがに下級生との関係までは描かれていなかったから、こんな感じがデフォなのかも。
「ええ。ナタリア様に誰よりも早くお会いしたくて…」
わたしがそう言うと、下級生の一人が、ぱぁっと顔を輝かせた。
「やっぱり!パーティーの前に、一言お話しされたいんですね!」
おおう…。そんな発言が出るということは、わたしとナタリア様のバチバチを、下級生たちも知っているということなのよね。
「お二人はただのご友人ではありませんものね」
何やら意味深に言われ、わたしは自分が相当周りに注目される存在であったことを思い知らされる。
「ええ…。それより、時間がありそうだから、何かお手伝いするわ」
これ以上立ち入ってもらいたくなくて、わたしはそう切り出した。
「いいえ!今日の主役の方にお手伝いしていただくわけにはいきません!」
背の高い下級生の男子生徒が大きく手を振って遠慮する。
なかなかのイケメンだけれど、攻略対象者たちは、もっと壮絶に麗しいはずだ。
二次元の彼らが、三次元でどんな風に変換されているのか、そんな場合ではないかもしれないけれど、どこかでワクワクする気持ちが止められない。
「あ、でも、来賓の受付の仕方がよく分からないって言ってなかった?」
一人の女子生徒がはたと思いついたように話した。
なんて偶然!
「それなら任せて!来賓受付は、去年わたしが担当したの(ミニゲームの中だけど)」
しかも受付があるのはホールの入口。そこにいれば、来場者がすべて分かる。
ここならナタリア様を見逃すこともないだろう。
「では、お願いしても良いですか?受付にアイリス様がいらっしゃったら、全員先輩の前に列を作りそうですけれど」
なかなかお世辞が激しいわね。
あいまいに笑って、わたしはぎゅっと手のひらを握り込んだ。
怖い…。
パーティーの開場時間までは、あと数刻に迫っていた。
***
一番にやって来たのは、わたしと同じクラスの伯爵令息、ジョシュア様だった。パートナーとして、一つ学年が下の婚約者を伴っている。
「アイリス嬢が受付にいるなんてどうしたんだい?」
ゲームでクラスメイトとのことはあまり出てこない。
なのに、わたしの脳裏には、学院での学生生活がかげろうのように浮かび上がって来た。
確かにわたしはこの世界でも存在していたということか。
次々に現れる学院の生徒たち。
その度に、わたしの中でのこの世界の記憶が鮮明になっていく。
どういうことだろう。この世界への同化が始まっている?
けれど、今はそんなことを考えている場合ではない。
ちらちらと生徒の入場を見ながら受付をこなさなければ。
そして気付けば、来賓も多く訪れ、さっき下級生が言った通り、なぜかわたしの前にばかり列が長くなっていた。
「アイリス嬢に受付していただけるとは思いませんでした」
なぜか年若い男性貴族が多い気がする。
しかも、全員が長々とわたしに話しかけようともする。
「んん!アイリス様、そろそろ皆慣れて参りました。お手伝い感謝いたします」
見かねた下級生の男子生徒が、わたしと受付を変わった途端、その前の列が霧散する。どういうことかと首をかしげた。
自分の容姿が飛びぬけて美しければ理由は分かるが、決してそうではない。
隣に座っている下級生の方が、よほど美しいと言えるだろう。
これがヒロイン補正というものだろうか?
でも、この世界では、わたしはギルベルト様とナタリア様の仲を裂こうとする、最悪なヒロインのはず。
その時だ、入口がざわつき、次いでぴたりと、大勢の人が突然口をつぐんで静かになった。
異様な空気に、わたしは思わず振り返る。
振り返った先には、一人の長身の男性が。
そして、わたしとその男性の間には、モーセの十戒よろしく、多くの人垣が作った、一本の道が瞬く間に出来上がる。
まるで、その男性が、わたしに最短で会えるよう配慮されたかのように。
「アイリス」
呼ばれた瞬間、腰が砕けそうになった。
(な…なんつーイケボ…)
それはレオン様!
三次元変換されているけれど、一目で分かった。
完全に周りがかすむ、その美麗なお姿!!!さすが攻略対象キャラ人気ナンバーワン。
艶やかに撫でつけられた漆黒の髪に、エメラルドのように澄んだ緑の瞳は涼やかに切れ長。
いつも冷静さを崩さない、騎士団上がりの特務機関長官。
攻略対象者の中で、実は最も俺様で、最も激しくて、最も病んでいる。見上げるような長身に、立派な体躯は、この距離で見ても圧倒的に威圧的。
そして、ナタリア様の兄であるレオン様は、このルートでの、ヒロイン最大の敵だった。
(でもでも!断罪のシーンまで、わたしとレオン様が接触するシーンはなかったはず!)
それが、こんなパーティーも始まる前からの最接近!
しかも名指し!
もう!絶体絶命!
あまりの麗しさに息を飲み、そして予想外の展開に思考が止まる。
けれど、レオン様はそんなことだとは露ほども思っていないだろう。
ええ!想定外の内角低めのクロスファイアに、わたしの足はすくんで動きません!
「アイリス、どうしてお前が、来賓の受付などしているのだ」
レオン様はびっくりするぐらい長い脚で風のように歩き、あっという間にわたしの目の前に立っている。
そして、そう言いながら、わたしの列に並んでいた青年貴族たちを睥睨したような気がした。
妹の敵であるわたしに、親しく話しかけたりしたからだろうか。
しかも、わたしの姿をじっくり見ると、怪訝な顔をする。
「今日はお父上が作ってくれた青のドレスを着ると言っていなかったか?」
ええ?!
どうしてレオン様がそんなことを知っているの?
いえ!それ以上に!そのお顔を近づけないで!
眩し過ぎて、目が開けられません!
だって!実はビジュアル(だけ)は、ダントツでレオン様が好みです!
「誰かに贈られたものではなさそうだな…。まあ、どんなドレスを着ても、同じだが」
そうでしょうとも…。最愛のナタリア様以外、女はみんな同じ顔に見えるっておっしゃってましたもんね。
ハッピーエンドの時ですら、ヒロインは『ナタリアはギルベルト殿下の婚約者。だから、あなたに求婚するんだ』って、遠回しにお前は二番って言われてましたっけ。
バッドエンドの時は、ナタリア様を閉じ込めて、血のつながり的には従兄妹とは言え、兄弟として育ってきた方と、き…禁断の愛に進んでしまうんですよね。
進む割に全然幸せそうな顔しないし、そのあまりの病み加減、わたしは苦手で一回しかプレイしてないですけれど。
とにかく、素敵なのは見た目だけなので、わたしはその前から、なんとか退散しようと頭の中で考えを巡らせる。
けれど、そんな思惑にお構いなく、レオン様は目に見えぬ速さで、わたしの腰を勝手に抱いてきた。
途端に、体がビクンと跳ねる。
すると、なぜかレオン様は見たこともない動揺をその瞳に浮かべた。
「…敏感なんだな」
いや!待って!どういう反応、それ?
しかもちょっと嬉しそうってどういうこと?
訳が分からず、わたしは腰の腕から逃れようと歩く速度を速める。
でもそれは逆に、レオン様の腕が、さらに深くわたしを抱き込むことを助けてしまった。
「アイリス、怒るな」
いやいや、怒ってないから!
だから、そのイケボを耳元で炸裂させるのやめなさい!
でも、どうにもおかしい。
レオン様は、ナタリア様を苦しめるわたしを虫けらのように思っているはずなのに、腰を抱いてエスコート、いや、これほとんど抱き締められているのと同じでしょ。
ホールの中は、卒業生や在校生、招待された来賓であふれている。
そんな衆人環視のもとでなされているこの無体に、わたしの羞恥心は限界突破を迎えそう。
かくなる上はと、自分が出来得る限りの怒りを乗せ、レオン様を睨みつけた。
「放して下さい。レオン様にエスコートをお願いした覚えはありませんわ」
同時に腰にがっしり回された彼の腕を、わたしの渾身の力で叩く。
どうだ!
腕の力が一瞬緩んで、わたしはさっと身をひるがえした。
レオン様から、低いうなり声がする。
もしや、怒りの導火線に火をつけてしまった?
しかし、次にその口から洩れた言葉に、愕然としてしまう。
「…アイリス…、そんな目でわたしを見て、可愛らしく抵抗をするなんて…。わたしの理性を試している?それとも、ここで押し倒して欲しいのか…?!」
いーーーやーーー!
火をつけたの、怒りじゃなく、何か違う、エロ方面的な!
待って待って!本当におかしい!
こんなレオン様、見たことも聞いたこともないし!
バグ?
それとも、わたしの頭がおかしくなったの?
いや、こんなゲームの世界に転生したことが、そもそもかなり、頭、おかしい!!!
「ち…違います!とにかく、わたしはレオン様とご一緒するわけには参りませんの!その理由は、よくご存知のはずよ!」
わたしは大急ぎで距離を取り、小声でまくし立てた。
そうよ!このルートで、わたしとレオン様は敵同士。
妹を傷つけたわたしを断罪するため、レオン様は今日までわたしのやってきたことを逐一チェックしてきたはず。
一緒にパーティーに出席している場合じゃない!
それとも、その流れまで変わってしまったというの?
びくびくしながら反応を待つ。
すると、レオン様は一息つき、はらりと落ちて来ていた前髪をかきあげ、無駄なフェロモンを巻き散らしながら、やっと彼らしい冷たい表情を取り戻した。
「…分かっている」
分かってるんかーい。その割に、その切なげな表情はなんなの?
この表情には見覚えがある。ナタリア様への許されぬ激しい恋情を何とか抑えようとするときのそれ!
そこまで考えて、はっとした。
もしかしてこれは、ナタリア様の幸せを願う、レオン様の新手の断罪作戦なのでは?
わたしがギルベルト様のエスコートを直前で辞退したことで、シナリオがゲーム通りではなくなった。ということは、他の登場人物だって、その影響で違う動きをすることだってあり得る…。
(キャラ人気投票トップの魅力を使って、わたしの関心をギルベルト様から自分に向けようとしている…?)
そうだ…。そう考えればすべてのつじつまが合う。
ああ、もう!違うのに!
心配しなくても、レオン様と目指しているところは同じなのに!
わたしはね、ギルベルト様とナタリア様がわたしの妨害をものともせず、二人の愛を確かめ合う、このラブラブバッドエンドルートが大好きなのよ。
一体今まで何周したと思ってるの?
ただ今回は、この世界に転生したことで、今まで自分が無責任に不幸かつ放置してきたアイリスと子爵家ってものに気が付いて、何とか救済できないかと無い知恵を絞っているだけ。
ああ、そのままレオン様に言ってしまいたい。
でも、今まで散々心無い言葉でナタリア様を傷つけて来た、このルートのアイリスが言うことを、彼が信じるとも思えない。
わたしはさらに一歩レオン様から後ずさった。
そんなわたしを、彼は止めない。
「わたしは、パーティーが始まる前に、しなければならないことがあります。失礼いたします」
さっとドレスをひるがえし、わたしはその場を足早に立ち去った。
その後ろ姿を見送りながら、レオン様が、
「まだ心のままに動くには、条件がそろわない、ということか…」
と呟くのは、まったく聞こえていなかった。
***
レオン様でえらく時間を食ってしまった。
ぼやぼやしていると、パーティーが始まってしまう。
ホールの入口にレオン様が一人で現れたということは、ナタリア様はギルベルト様と王族専用入口から入った可能性が高い。
(バッドエンドでアイリスは掻きまわすだけ掻きまわすけど、実際にはギルベルト様の愛は一度もぶれないのよね。完璧なナタリア様に引け目を感じ、ちょっと拗ねたりするのも見所なんだけど、徹頭徹尾婚約者命は変わらないから、騙してエスコートを承諾させたわたしが辞退すれば、ナタリア様にエスコートを申し出る可能性が高いと思ったわ)
わたしは女性用の化粧室の前に来ていた。
王族専用の控室にはさすがに近づけないけれど、化粧室を張っていればナタリア様はホールへの入場までに一度は来るのではないかと思ったからだ。
ゲームではその辺の生理現象などは、当然描写されないので、これはあくまで推測だけど。
「あら、アイリス様、今日はギルベルト様と?」
数名の令嬢にそう声をかけられる。学院内でも迷惑承知で追いかけまわしていたから、そりゃあ知られているだろうけれど、それよりも圧倒的に、
「今日はレオン様と?」
と、尋ねられる方が多いっていうのはどういうことだろうか?
ホールでもそうだった。彼が現れた途端、勝手にわたしへの一本道が形成され、周囲の人々の目は、しきりに『レオン様=アイリス』と語っているような気がしたのだ。
それに、
「いいえ、今日は一人で参りましたの」
そのどちらにもそう答えると、途端に、
「まあああ!それならば、今日は兄も来ておりますの。是非エスコートさせて下さいませ」
とか、
「危のうございます!お帰りまで、一学年下に弟がおりますから、お守りするよう申し上げますわ」
とか言われるのも意味不明。
受付でわたしの前に、青年貴族の列が出来ていたのも、理由を問いただせば同じなのかしら。
ヒロイン補正かと思っていたけど、別の理由があるのだろうか。
不気味に思いながら化粧室の前で腕組みをしていたら(淑女の取るべきポーズじゃないわね)、ひときわ眩しい令嬢が現れた。
プラチナブロンドにアクアマリンの瞳。
三次元への変換具合、素晴らしい!
そう、それは紛れもなく…。
「ナタリア様…」
う…うつくしい…。
ひ…ひれ伏したい。
あまりの美しさに、わたしは言葉も失う。
いや、妹と分かってても理性失うレオン様の気持ち、分かるわ。
ギルベルト様の横に並ぶために努力して、そのために彼の気持ちが離れてしまうことに悲しみ、上手く気持ちを伝えられない不器用なところも、ちゅき…。
けれど、わたしのこのナタリア様愛なんて知りもしないご本人は、わたしの姿に気付くなり、はたと足を止められた。
そうですよね…。一昨日も言いましたっけ。
『ギルベルト様のお顔より、教育係のサリナム夫人のお顔を眺めている時間の方が長いんじゃないですか?』
って、嫌味たっぷりに。
言われた途端、このルートでのテンプレとも思われる瞳をうるうるするお顔に変わったのよね。あー可愛い、じゃなくて申し訳ない。
「ナタリア様…」
わたしはそっと近づいた。
ゲームのナタリア様が頭にあって、不用意に近づけないと思ったから。最悪、あのテンプレのお顔のように泣いてしまわれたらどうしようなどと。
でも、そんなわたしの考えは完全に杞憂だった。
なぜなら、ナタリア様は気丈に凛とわたしを見つめていた。
「アイリス様。ごきげんよう」
かすかに微笑みをたたえ、すっと背筋を伸ばした佇まい。
王子であるギルベルト様が気後れするほどの完璧な淑女に、わたしも一瞬ひるむ。
何しろ今からわたしがしようとしているのは、数々やらかした無礼の謝罪。
いや、ひるんでいる場合ではない。
わたしは瞳をぎゅっと閉じ、さらに一歩近づいた。
そして、意を決して口を開く。
「ナタリア様!今までの非礼の数々、誠に申し訳ありません!」
大きな声ではっきり言った。そして、多分この世界ではマナーとしてはおかしいのかもしれないけれど、日本の作法に則って、九十度、いわゆる『最敬礼』で頭を下げる。
頭を下げながら、浮かんでくるのは、自分がゲームで選択してきた、あんな暴言、こんな非道、そして、テンプレの涙目のナタリア様の顔。
それらはここではリアルにあったことなのだと考えると、わたしは自分のしでかしたことの重さになかなか頭を上げられなかった。
どれくらい経っただろうか。ナタリア様からは何も反応が無い。
恐る恐るわたしは頭を上げた。
そして愕然とする。
頭を上げたその先に、ナタリア様の姿はなかったから。
***
(やっぱり、あんな謝罪くらいではどうにもならないか…)
(お父様、力不足でごめんなさい…。やっぱり今夜中に隣国に逃亡した方が良さそうです…)
(北の最果ての修道院、どんなところだろ…)
わたしはとぼとぼとホールの外の回廊を歩いていた。
中からは管弦楽が聞こえてくる。
きっと卒業パーティーが始まったのだろう。
回廊のテラスから空を見上げると、そこには日本と同じ月が輝いている。
(北の修道院でも、きっと月は同じように輝いているはず)
そう言えば、ナタリア様は美しいロイヤルブルーのドレスを着ていた。
ギルベルト様から贈られるドレスに、デザインがとても似ている気がする。
(あれ?でも、卒業パーティーの時のドレスって、ナタリア様の髪が映えるようにってレオン様が用意した、ピンクのドレスじゃなかったっけ?)
まあ、どうでもいいか。
わたしも青のドレスじゃなくて、水色のドレスを着ていたりするしね。
わたしは誰にもエスコートされていないし、ドレスは水色だし、レオン様はあんなだし、ナタリア様はロイヤルブルーのドレスを着ているし、やっぱり元はゲームの世界であったとしては、ここはもうすでにわたしにとって現実。
予定調和なんて、ありはしないんだ。
「ギルベルト殿下並びに婚約者、ヤースデール公爵令嬢ナタリア様のご入場です!」
ホールの中から、声が聞こえる。
わたしはふらふらと、ホールの横の入口に向かった。
現実なら現実らしく、自分のしでかしたことの責任は、きっちり取らなければ…。
断罪を受けるため、ギルベルト様、ナタリア様、そして、レオン様の前へ…。
扉の前に立つと、下級生が微笑んで扉を開けてくれる。
今から何が起こるかなんて、彼らは知らないから…。
滑り込んだホールでは、ギルベルト様とナタリア様が、三拍子の調べに乗ってただ二人、ファーストダンスを踊られていた。
(わあ、三次元のギルベルト様、美形~~~!しかもすっごく優しそう…)
金髪が輝く王子様と、銀髪がターンの度にふわりと広がる公爵令嬢。
(ああ!この場面知ってる!スチルになかったから、スクショで何枚も保存した!)
そう、あれは、断罪イベントが終わって、アイリスがレオン様の部下たちに連れ出された後、バッドエンドのクライマックスとして流れる動画…。
断罪イベントですっきりして、その後のお楽しみ…って?
え…?
あれ?
順番おかしくない?
断罪、まだだよね?
わたし、何も言われてないよね?
え?
あれ?
「アイリス、どこに行っていた?」
「ひゃあ!!!」
突然耳元で!
びっくりして変な声を出したわたしを、うっとりとギルベルト様とナタリア様のダンスを見ていた面々が一斉に振り返る。
「アイリス、驚かせた!すまない!」
声で分かっていたけど、恐る恐る振り返った先には、やっぱり思った通りレオン様のエメラルドの瞳。
いや、それ以上にびっくりしたんですけど。
今、あなた、わたしに謝りましたよね?「すまない」って?
「今オランドン卿が謝罪の言葉を…」
「在学中も、レオン様の謝罪は聞いたことが無いと…」
「長官殿がすまないと…」
いやいや、ずっとここで生きてらした皆様が、わたしと同じ反応するって…。
やっぱりなんですね。
とんでもなく俺様なんですね、あなた。
王子であるギルベルト様よりも俺様って認識ですけど、合ってますか?
いや、それよりも、わたし、今からあなたに断罪されるんですよね?
めったに謝罪をしないあなたが、思わず「すまない」と言ってしまうわたしを?
わたしの頭は混乱しっぱなし。
だから、無防備に、レオン様の顔を、穴が開くほどしっかりとガン見してしまった。
瞬きも忘れた。
だって、レオン様だって、瞬きもせずに、じっとわたしの顔を見つめているじゃない…。
「アイリス…、もしや、とうとう!」
レオン様が、何か感極まったような声を上げた時だった。
わたしとレオン様の横に、誰かがすっと立たれたのは。
「レオン殿、アイリス嬢を少しお借りして良いだろうか?」
声を掛けられぎょっとした。
そこにいたのは、先ほどまでホールの真ん中で踊っていたギルベルト様とナタリア様。
(き…きた…)
わたしの胃が、ひゅっと縮まる。
順序が逆になっただけ。
三人に囲まれたこの状況で、始まるのはただ一つ。
断罪イベントしかない。
わたしは覚悟を決めて、三人に向き直った。
ギルベルト様が、ゲームと同じ真剣な顔で、真摯に話しはじめる。
「アイリス嬢、わたしはあなたに言わねばならないことがある」
知ってます。
「あなたがわたしとナタリアにこれまでしてきたことを、よくよく考えたのだ」
ですよね。
「そこで、わたしは一つの結論に達した」
…来た…。
ギルベルト様は、くるりと横に立っているナタリア様に向き直ると、彼女の両の手を、自分のその手でしっかりと握る。
来た来た、来ました。
ああ、あの感動のシーンが、今目の前で!
「ナタリア!わたしを許して下さい!」
来たーーーーーーーーーー!!!
ゲームの画像も良かったけど、この三次元の迫力は格別!
ギルベルト様の青い目が、宝石みたいにきらっきらして最高!
「ギルベルト様!」
ふわお!ナタリア様!その表情、美しい!美しいです!
「完璧なあなたの前に卑屈になり、自分の心さえ偽り、愛するあなたを傷つけてしまった!」
いい!いいよ!
そこで、二人ぐっと距離を縮めて!
ギルベルト様がナタリア様を抱き寄せる!
「いいえ、わたくしがいけなかったのです。あなた様のお心にきちんと寄り添おうとしてこなかった!」
ナタリア様!ギルベルト様の胸にダーイブですよ!
そう!完璧ーーーーーーー!
目の前には、お互いの不信が解け、ただ愛を確認しあった美しい二人が…。
(ああ、何度見ても、いいわ~~~~~~!)
これは、紛れもなくリアル。音声はサラウンド。位置は最前。
ああ、最高…。
この後の、断罪イベントさえなければ…。
「アイリス嬢」
ギルベルト様はしっかりとナタリア様を抱きしめながら、わたしの方に向き直る。
はいはい、続きは知ってます。
『アイリス嬢、やはりわたしが心から愛しているのは、ナタリアただ一人』
でしょ?
わたしは脳内でファイティングポーズを取り、さっと周囲を見渡した。
襲い来るレオン様とその部下たちから、どうすれば逃げられるかを自社比三倍のスピードで考える。
(言われた瞬間、わかりました!って言って、駆け足で去る?!)
わあ、三倍、しょぼ!
自分に絶望したその時だった。
それ以上の衝撃が、わたしを襲ったのは!
ギルベルト様とナタリア様が、微笑みを湛えわたしを見ていたのだ。
え?なんで?
そして、口を開きこう言った。
「こうしてナタリアとお互いの気持ちを分かり合えたのは、すべてあなたのお陰だ」
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『あなたのおかげだ?』
「アイリス様、あなたはわたくしに数々の言いにくい苦言を伝えて下さった。それでやっと、わたくしも己の至らなさを知ることが出来ました」
??????????
『いいにくいくげん?』
「あなたがわざと嫌な令嬢を演じ、ナタリアの素晴らしさをわたしに教えてくれた。辛い役目を負ってくれて、本当に感謝する」
『つらいやくめ?』
「わたくし、先ほど化粧室の前で、『すぐ出て参りますので待っていてくださいね』と申し上げたつもりだったのですが、出てきたらいらっしゃらなくて…。せっかく事前にお会いできたのに、何も先触れせず、突然このような場所でお礼申し上げたこと、許して下さいね」
え?あの時、わたしが謝罪する前に、化粧室に入ってしまってたんですか?
あ~そう言えばわたし、気合を入れようと、目をぎゅっと閉じて、何にも見てませんでしたね。ナタリア様は、もしや、化粧室前で切羽詰まられていたのでしょうか…。
気合い入れてもたもたしていたわたしに声だけかけて、さっさと化粧室に入られたと…。
想定外すぎる!
わたしは自分の予想を裏切りすぎる展開に、何も言葉を発することが出来ない。
ただ、真っ白になって突っ立っているだけ。
そんなわたしを知ってか知らずか、愛を確かめ合ったお二人に、パーティーに参加している同級生たちが、次々祝福の声を掛ける。
ぼんやり見ているこの耳には、わたしに関して周囲がささやく声が次々に勝手に流れ込んで来た。
「やはりアイリス様は、ギルベルト様とナタリア様のために、わざとお二人をかきまわしてらっしゃったのね…」
「当然よ。だってアイリス様よ?」
「今年のデビュタントの夜会で、国王陛下から名誉の真珠を賜った方よ。さすがですわぁ」
「アイリス嬢は本当に可憐だ…」
「名誉の真珠の令嬢がまだ婚約者がいないなんて、求婚するしかない!」
『名誉の真珠の令嬢』?なにその称号。それで、わたし青年貴族に人気なの?
そこでふと、脳裏にあるミニゲームの画面が浮かびあがる。
…ああ~、確かこの周回を始める直前、ゲームの大規模なアップデートがあって、デビュタントイベントなるものも追加された。その中でミニゲームをしたっけ。
とにかく男性とたくさんダンスを踊るって内容だったけど、あれでわたし一番になったわ。で、王様から真珠もらったもらった。
あの真珠どうしたっけ?
全然覚えていない…。
そう言えば、あの時のダンス、やみくもにコントローラーを連打して数を稼いだんだけど、なぜかほとんどお相手はレオン様だった。
その直前にも、ギルベルト様ルートに分岐した後にもかかわらず、なぜかレオン様に呼び出されて、否応なく湖でボートに乗るってイベントも増えていたことを思い出す。
確か、
『ギルベルト殿下と、ナタリアはお似合いだと思うか?』
って、無表情で質問された。
新しいイベントだったし、レオン様はルートの攻略対象者じゃなかったから、とりあえず本心のまま、
『お二人は今世紀最高にお似合いです』
ってのを、何も考えずに選んだ記憶が…。
「アイリス」
ぞわっ!
だから、耳元で話さないで下さい。
鳥肌半端ない。
「わたしからも礼を言う。ナタリアのあの笑顔は、お前のお陰だ…」
レオン様が、わたしに礼?!
本当にどうなっているんだ。
わたしは、レオン様に断罪されるはずだったのに、最終的に、なぜかお礼を言われている。
あ、でもこれで、子爵家夜逃げ作戦は未遂で終わるって安心して良いのかな?
レオン様の言葉はなおも続く。
「許してくれ。わたしは最初、お前を誤解していた。ナタリアとギルベルト殿下の仲を邪魔しているのだと。そのせいで、嫉妬で心が掻きむしられたが、エラン湖で聞いたお前の本心で、目が覚めた」
エラン湖の本心て、あの選択肢のこと…?
そんな、重要な選択肢だったんですか…?何にも考えずに、即答しましたよ…?
しかもなんなのこの体勢!
わたしの両肩は、後ろからレオン様にがっしりホールドされ、長身の彼がまるで覆いかぶさるようにわたしの耳に話かけているこの状況。
とりあえず、距離が、近い!
振り返って睨みつけようにも、わたしの腰から頭のてっぺんまで、ぴったり後ろからレオン様がくっついていて、身動きができない!
「あらほら…レオン様…」
「やっぱり…。デビュタントの前から、アイリス様にご執心だともっぱらの評判でしたものね。ご自分以外と踊れないよう、周りへの牽制が凄かったとか」
「くう、オランドン伯爵が相手では、やはり勝ち目はないか」
「わたし、お二人がエラン湖でボートに乗られて見つめあっているのを見たことありますのよ」
周囲のささやき声が、またしても思わぬことを伝える。
ちょっと待って!あのミニゲームとか、分岐後のボートイベントとかが、いつの間にそんなことになっているの?
アップデートで追加されたもので、何か、おかしくなってない?!
「もういいだろう、アイリス。お前の望み通り、ギルベルト殿下とナタリアは晴れて心が通じ合った。この日を迎えるまではと見守ってきたが、これからは、わたしたちのことを考えてくれ。もうわたしの我慢は限界だ」
何ですって?
わたしたちのこと?
我慢の限界?
ええ?ここ、ギルベルト様ルートですよね?
ぐるぐる思考が回り、己のキャパの限界を感じ始めたその時だった。
「お嬢様、お手紙がたまっておりますよ」
突然聞こえたアネットの声。
卒業パーティーの場面なのに、いつ間に来たのか、アネットがいつものメイドのお仕着せで、銀のトレイを手に立っていた。
…すごい違和感。
そしてそこには、何通もの手紙が。
そう、わたしはお気に入りの同じルートを何度も周回していたから、運営やゲームのキャラからの手紙を、ろくに読まずに溜めに溜めていた。
白、青、黄色、色とりどりの封筒が積まれた中に、一際目立つ、赤い封筒。
そう言えば、重要なお知らせには、この赤い封筒のマークがついていた…。
わたしは恐る恐るそれをつまみ上げる。
すかさず差し出される、美麗なペーパーナイフ。
周囲の人々は、時が止まったように、たださざめきの様な会話を交わし、動かない。
そんな中、ただ、レオン様の熱い視線だけが、痛いほど注がれるのが分かった。
開けた封筒の中からは、一枚のピンクの便箋が。
震える手で、開いたそこには、運営からの大事なお知らせ。
『今月の大規模アップデート、楽しんでいただけていますか?
そんなアップデートの最後を飾るに相応しい、新情報をお知らせ。
このたび、みなさまの熱い要望にお応えし、人気ナンバーワンキャラ、レオン様の真裏ルートが追加されました!
レオン様が、とうとう真の愛に目覚め、激しくも真剣にあなたをメロメロに追いかけてくれちゃいます!
名付けて、【レオン様に逆攻略されちゃう】ルート、です!
ルートに入る条件のヒントは、ギルベルト様ルートにあり!
何度もプレイして、見つけてくださいね♪』
………………………。
今目にしたことを確認しようと、もう一度便箋に目を落とす。
しかし、その瞬間、便箋の中の日本語は、砂時計の砂のように、便箋の真ん中に吸い込まれていった…。
はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ?!
どういうこと~~~~~~?
レオン様真裏ルート?
レオン様に逆攻略されちゃうルート?
真の愛に目覚める?
え?え?
メロメロに追いかけられる?
誰が?誰に?
わたしが?レオン様に?
ギルベルト様ルートにヒントって、ギルベルト様バッドエンドルートからのレオン様真裏ルートってこと~~~~?!
わたしは愕然とした。知り尽くしたはずのルートだと思っていたものが、まったく知らない未知のルートへ入る条件だったとは…。
そして、あろうことか、わたしはわざわざそこに転生してしまったんだ。
しかも、攻略されるのは、攻略対象者じゃない。
攻略されるのは、わたしって!!!
………。
恐る恐る、わたしの顔に注がれる、あっつい視線の発生元に視線をやる。
そこには、ビジュアル(だけ)は一推しの、最も俺様で、最も激しくて、最も病んでる、公爵令息にして特務機関長官の伯爵が、見えないよだれを口から滴らせて、わたしを攻略しようと牙をむいていた。