おまけの話①ユーチェン姫の場合
フォロン公国の長、ユーチェン姫とサンドロのはなしです。
「お、オフェリア様が行方不明!?」
フォロン公国の広い王宮の執務室で、私こと、フォロン公国の長、ユーチェン・コン・ユーは悲痛な声をあげた。庭木の赤い実ををついばんでいた小鳥たちが、驚いて一斉に飛び立っていく。
報告をした若い侍従が驚いて目を丸くした。私はあまり声を荒げたりしないタイプなので、驚いたのだ。
でも、私が驚くのももっともだった。
オフェリア様が何者かによって誘拐され、行方不明だという号外がイフレン帝国に送った使者によって私の手元にもたらされたのだ。
私は信じられない気持ちでクシャクシャになった号外を何度も読んだ。
「ねえ、これは確かな情報なの?」
「ええ。この号外は五日前にイフレン帝国中に配られていたものです。イフレン帝国とフォロンは距離がありますゆえ、多少タイムラグが……」
「じゃあ、今すぐに早馬を用意して、イフレン帝国の各所に使者を送りなさい。そして、オフェリア様の情報を掴んだら即報告するように命令して。それであれば、多少は早く情報を掴めるでしょう? それから、もしどこかでオフェリア様が困っているという情報を聞きつけたら、どんな手をつかってでも亡命の手助けをなさい。いい?」
「御意」
「ああ、オフェリア様……。誘拐なんて……。無事でいてください……」
命令を各所に伝えに走っていった侍従をみやり、私は重いため息をついた。
(私、あの人になにも恩返しできていないというのに……。もしものことがあったらどうしよう……)
もう会えないかもしれない、という思いが、私の胸の中を黒く塗りつぶす。
私が親しげにオフェリア様、と呼ぶその人のフルネームは、オフェリア・ジヴォ・ゲルタウスラ・テスタ。隣国、イフレン帝国の第一皇女にして、最も尊敬する人物の一人だ。昨年末に亡くなったお父様の次に尊敬している。
オフェリア様は、イフレン帝国から突如使者としてやってきて、黒魔術によって操られていた私を救い、この国の建て直しも手伝ってくれた恩人だ。
その時の彼女の手腕は、古くからの宰相たちも目を見張るほど鮮やかで、あっという間だった。気付けば、彼女は国に蔓延る黒魔術を一掃し、見返りを要求することなく、平和条約だけ結び、さっさと国に帰っていった。
『オフェリア様、もっとフォロンに滞在くださいな。もっとお話が聞きたいわ』
そう駄々をこねる私に、困った顔をしながら年に一度必ず会いに来てくれると誓ってくれた、無欲で、明るく、豪快だけどお人好しな人。
きっと、イフレン帝国の皇帝になれば、素晴らしい治世をされるに違いない。そう、宰相たちが口をそろえて絶賛していた。
聞くところによればオフェリア様は第一皇女だけれど、第二皇子と王座を巡って争っているはずだ。フォロンから帰国してから半年近く。もしかしたら、血を流すことなくフォロンとイフレンの和平を実現したオフェリア様の功績に嫉妬した第二皇子が仕組んだ罠にはまってしまったのかもしれない。それとも、好戦的な騎士たちに逆恨みされてしまったのか……。
「ああ、あのままフォロン公国にもう少しオフェリア様をとどまらせておくべきだったかしら。そうしたら、オフェリア様を守れたのかしら、私……」
色々考えていると、鼻の奥がツンとした。心を強く持たなければ昔のように再び黒魔術師に漬け込まれてしまうとわかっているのに、もう二度と会えないかと思うと、涙がぽろぽろと溢れ出す。
しかも、泣いているうちに、去年の暮れに亡くなったお父様のことも思い出してしまうからたまらない。お父様の死を嘆き悲しんでいるうちに、私は強権派の黒魔術に飲まれてしまったというのに。
「ユーチェン、どうしたんだ。泣いているのか?」
ふいに優しい声が、私の頭上から降ってくる。顔を上げると、サンドロ・ジャンジーニが、心配そうにこちらを見ていた。サンドロは、オフェリア様と一緒にフォロン公国に来た使者の一人で、今は私の恋人だ。
「い、今は泣いいたんじゃない。ちょっと目にゴミがはいっただけ……」
私は泣いていたのを誤魔化そうと、慌てて目をこすった。しかし、サンドロは私が泣いていたのに目ざとく気づいたらしく、
「この一帯で、局所的に雨が降ったっぽいなあ。ユーチェンもちょっと濡れただろう」
とか何とか云いながら、さりげなく手巾を渡してくれた。私の恋人は、こういう優しい気遣いができる人だ。
(まったく、こうやって優しくされたら、皆サンドロを好きになったはずだわ。どれだけのお嬢さんたちを虜にしてきたのかしら)
私は心の中でむくれたけれど、なんだか悔しいので絶対表に出しはしない。
サンドロは、ヒマワリのような明るい髪の色をした美青年だ。華やかな面差しと如才ない会話は、周りの人々を魅了する。
人の懐に入るのがうまいのか、宰相たちにも気に入られていて、今ではフォロン公国の調整役として、なくてはならない人材になった。
サンドロの手巾をありがたく借りて目元を拭うと、私は小さく息をついて背筋を伸ばした。
「サンドロには伝えておくべきね。だって、貴方の元雇用主に関連することだもの」
「……ん、お嬢さんのことか?」
「そうよ。先ほど、オフェリア様が行方不明になったって、従者から速報が入ったわ」
「えっ、お嬢さんが!?」
「何者かに、誘拐されたって……。うう、オフェリア様に何かあったら、どうしよう……」
行方不明、という言葉が出たあたりで、私の眼が再び潤みはじめ、喋っているうちにポロリと大きな涙が一つこぼれる。
しかし、サンドロはあっさりしたもので、ケラケラと明るく笑った。
「なあんだ。そんなに心配することはないよ、ユーチェン。お嬢さんは絶対何があっても死なないよ」
「…………」
「あの人は、手練れの悪党たちに囲まれてもなお生き残ったんだぞ。おまけに、悪党たちと口げんかしたときた。ギルジオが『オフェリア様には心臓に鋼鉄製の毛が生えてる』ってよく言ってたけど、俺もそう思うよ」
私は驚いて、ぽかん、と口を開ける。
「……そ、そんなことがあったの?」
「ああ。イフレン帝国じゃ結構有名な話だぜ? まあ、お嬢さんはそのうちケロッとした顔でまた戻ってくるさ。なんなら、誘拐犯なんてコテンパンにしてるんじゃないか? お嬢さんはそういう人だよ」
「信じてもいい?」
「もちろんさ。俺は、惚れた女には嘘をつかないって決めてるんだ」
サンドロはそういうと、前触れなく触れるだけの口づけをした。私は驚いて息を飲む。顔が一瞬で火照るのを感じた。
「ちょ、ちょっとサンドロ! 不意打ちはやめなさいって、あれほど言ったじゃない!」
「メソメソしてると、また黒魔術に操られちまうぞ」
「め、メソメソなんてしてないもん!」
私が拳を握ってブンブンと振ると、「怖い怖い」と笑いながらサンドロは優しく私の頭を撫でた。
「まあ、続報を待とうじゃないか。あの人のことだから、きっとまた予想以上のニュースで俺たちを驚かせてくれるさ」
私は、サンドロの言葉に頷いた。驚かせてくれなくてもいいから、せめて無事でいて欲しいと強く願いながら。
しかし、この時サンドロが冗談半分で口にした一言は、現実となった。本当に、予想以上のニュースが舞い込んできたのだ。
私たちは、数日後の昼下がりに、早馬によってもたらされた続報に揃って絶叫した。
「オフェリア様が、オフェリア様じゃなかった……!?」
訳が分からない速報に、私は混乱した。
私たちがオフェリア皇女だと思い込んでいた彼女は、コリン・ブリダンという名前の平民の女性だった。しかも誘拐したのは、身代わり皇女としてあまりに優れていたことを危惧したライムンド・オルディアレスという貴族の犯行だったという。
あまりにスキャンダラスな内容は、あっという間にフォロンの宰相たちの間にも広まってしまった。
「じゃ、じゃあ、身代わり皇女はただの平民。なんの権利もない少女が我が国は和平合意を結んだことになる。これは、無効なのでは……?」
などと、元強権派の貴族たちが騒ぎ出したので、私たちは事態の鎮火にかなりバタバタすることになった。
が、
「コリン・ブリダンが第一皇子になったイサク様と婚約を発表!?」
新たな速報によって、一気に「次期皇妃との和平ならまあ、和平合意は有効か」という話で落ち着いた。
「やっぱりお嬢さん、驚かせてくれるなあ。しかしまあ、俺のあの予想は外れてほしかったなあ」
一連の騒動ですっかり気疲れしたらしいサンドロは、座椅子の上で大きなため息をついたのを、私はクスクス笑ってこたえた。
確かにこの数日は何かと大変だったけれど、胸の中はすっかり晴れ、それどころかうっすら高揚感すらある。オフェリア様が偽物だったことはショックだったけれど、なんだかとってもオフェリア様らしい気がしたのだ。
(本当に、オフェリア様はいつも予想を超えてくるわ。また会う時には、聞きたいことがたくさん)
そう胸を弾ませながら、私はオフェリア様、いや、コリンという少女宛に婚約祝いの手紙を書くため、急いで筆をとったのだった。
完結しましたが、おまけの話を書き足していこうと思います。
あくまでおまけなので、ゆるっと楽しんでください。





