90.これが最後の告白
「……あの、大変ありがたい話ですが、あの求婚はもう無効では……? それに、はっきりお断り申し上げたはずですし……」
「あれは、コリンが第一皇女の身代わりという立場だったからだろう。しかし、君はもう皇女ではない」
私は混乱した。
「私との結婚なんて、イサク様が心の底から願ったものではなかったでしょう。あれは、私たちの婚姻で王宮のいがみあう二派をまとめるための布石の一つで――……」
皆まで言う前に、イサク様は長い長いため息をついた。
「その布石とやらのために、俺がこの命を顧みず、燃え盛る火のなかに飛びこむとでも思っているのか?」
「イサク様なら、やりかねないかと……」
「おい、どうやらお前は俺のことを、よっぽど無鉄砲なバカだと思っているようだな?」
「……バカだとは思っていませんよ」
「無鉄砲だとは思っているんだな?」
ジトっとイサク様に見つめられ、私は目を泳がせた。完全に失言をした気がする。
イサク様はゴホン、と軽く咳払いをする。
「改めて聞くが、俺のことをどう思っている?」
「……え、えええっと、……心の奥底から尊敬しております」
「そういう言葉が聞きたいんじゃない。コリン、お前はあの朝、俺のことが好きだと言ってくれたな。もしかして、あの言葉は嘘だったのか?」
「……いえ、そんなことはないです。あの言葉は本心です!」
私を見つめる鋭い目から思わず逃れようと顔をそむけたものの、イサク様は顔を近づけて無理やり視線を合わせてきた。顔がだんだん火照っていく。きっと、今の私の頬は熟した林檎のように赤いだろう。
「じゃあ、なにが問題なんだ」
「……問題だらけです。現実的に考えて、私たちは結婚すべきではありません。私はただの鋳造工房の娘ですし、他の貴族令嬢たちのような有力な後ろ盾もありません。今の私は、イサク様には釣り合いっこない。……もし私が結婚できなさそうだからと同情してそう言ってくださっているのなら、心配ご無用です。もしかしたらギルジオが……」
「それは絶対にダメだ」
ピシャリとイサク様はそう言い放つ。
「さっき二人きりにしたときに、ギルジオになにか言われていただろう。あいつの顔を見てすぐにわかった。……でも、俺は絶対に君を離す気はない。あいつに渡す気も、さらさらない」
「い、イサク様! ちょっと離れてください……」
イサク様の顔は目前まで着ている。少し動けば、鼻と鼻が当たってしまいそうなほど距離が近い。
私はついに我慢できなくなって、イサク様の厚い胸板をぐいぐい押したものの、イサク様はビクとも動かなかった。私を解放する気はさらさらないらしい。
「何度も言うが、俺はコリンのことが好きだ。一生を添い遂げたいと思っている。数多の令嬢と出会ってきたが、やっぱりお前じゃないと、嫌なんだ」
「そ、そんな……。きっと気のせい、いえ、若気の至りですよ」
「そんなわけないだろう」
「じゃあ、私のどこが好きなんですか?」
「色々あるが、一番は顔だな」
「か、顔ぉ!?」
意外過ぎて目玉が飛び出るかと思った。
「そうだ。第一俺のまわりはアマラ様やナタリーのような、華やかな顔立ちのタイプが多い。だが、俺はあの手の顔立ちがどうも苦手でな。コリンのような清楚で儚げな顔立ちの方が好みだ」
「清楚で、儚げ」と聞いて、私は一瞬自分の耳を疑った。私には一番似合わない言葉のような気がしないでもない。
しかし、イサク様は楽しそうに話を続ける。
「この際だから、コリンの好きなところを言っておくか。そうでもしないと、納得しないだろうからな」
「えっ……」
「まずは、一緒にいて落ち着くところだな。それから、話していて楽しいし、飾らない態度が好ましい。それから、勇敢でたくましいところもいい」
「ちょ、ちょっとイサク様……」
「時々見せる強気な態度も良い。それから、快活な笑顔も好きだ。ギルジオのヤツにはよく見せているあの顔を、俺にも見せてほしいと何度嫉妬したことか。それから、欲がなく、他人のことばかり考えているあたりも良いな。それから、政治的手腕もある。ともすれば俺より優秀だ。その辺りは皇妃になった時、遺憾なく発揮されるだろう。どんなご令嬢たちより、極めて実務向きだ。なんせ実務経験がある。それに、俺が誤った道に走ったとしても、お前なら身体を張ってでも止めてくれるだろう」
「……お、お願いです。……もうこれ以上は勘弁してください」
私はブンブンと頭を振った。顔が熱い。頭から湯気が出そうだ。
「イサク様が私を好きだというのは、よく分かりましたから! でも、他の問題もあります。身分の違いはどうする気なんですか? 皇族に平民の娘が嫁ぐなんて、前代未聞ですよね?」
「なんだ。そんなことを心配して俺の求婚を断ろうとしているのか? コリンは何も心配することはない。この3日で打てる全ての手は打った」
「……打てる手は打った、といいますと?」
「帝国中の人間は皆お前に同情的だ。よって、世論は味方につけている。身代わり皇女時代のコリンは国民に人気があったから、そう大してむずかしい話でもなかったがな。コリンの父にも挨拶はしておいた。最初は大いに渋っている様子だったが、『コリンをよろしくお願いいたします』と最後は涙ながらに頼まれた」
「お、お父さんが私の婚約を認めたんですか!?」
「ああ。それから、アマラ様からは『優秀な人材はなにがなんでも王宮に留まらせろ』と厳命されている。貴族たちは……シルファーン卿が必死で説得している最中だろう」
「え、っと、……えええ?」
間抜けな声が出た自覚はあったものの、仕方がない。あまりに唐突な一言に、思考が追い付かなかったのだ。
イサク様は微笑んだ。
「それにしても、ナタリーが『コリンの本名を国じゅうに発表しましょう。あの子の退路が断てますよ』と言った意味がようやく分かった。確かに、お前の名前を発表しておけば、お前がどこかに逃げてもすぐに噂になるだろうし、すぐに結婚することもできまい」
「ナタリーもグルなんですか!?」
さすが悪役令嬢ナタリーだ。やることがえげつない。――というか、知らない間に話が進みすぎている。どうやら、イサク様は私が眠っている間、私と結婚するために外堀を埋めるために奔走していたらしい。
しかも、妹のナタリーとシルファーン卿まで巻き込んで。
「先ほど各所への根回しに忙しかったおっしゃっていたのは、まさか私と結婚するための根回し……?」
「当たり前だ。それ以外に何がある。正攻法でプロポーズをしたら大失敗してしまったのでな。こちらもやり方をかえざるをえなくなった」
「なんて強引な……」
「諦めて俺の嫁になれ、コリン」
イサク様はいたずらっ子のような笑みを浮かべて大きな手で私を包み込むように抱きしめる。
「俺は、なにがなんでもお前を逃す気はないからな」
完敗だった。ここまできたら、もう反論しようがない。
私はついに諦めて、イサク様の広い背中に手をまわして、おずおずと抱きしめ返す。半ば自棄に近い気持ちもするけれど、それでも不思議と後悔はなかった。





