9.身代わり
「まって、どういうことなの? オフェリアになる? 私が死ぬ? 玉座?」
突然の一言に私は続けざまに質問した。
けれど、頭の中に浮かんだ質問全部を口にする前に、横で苛々と貧乏ゆすりをしていたギルジオが鋭く一喝した。
「おい、口を慎め! お前の目の前の方が誰なのかわかっていないだろう。第一大公の側近にして、オルディアレス家の当主、ライムンド・オルディアレス様だぞ。お前のような下賤な民が本来は話しかけていいお人ではない!」
「えっ、第一大公の側近、ってことは、貴族?」
「そうだ。俺たちは敬われるべき立場なんだ。言葉をもっとわきまえろ!」
「人さらいに言葉をわきまえる義理なんてないと思わない?」
私のまっとうな反論に、ギルジオはあからさまに苛ついた顔をした。正論は時として人を苛立たせるものだ。しかし、事実は事実。まさか貴族が人さらいみたいな真似をするとは思っていなかった。
私はそこでハッとした。
(あっ、そういえばこのライムンドって人、先月うちの工房に視察に来て私の顔をじっと見ていた貴族じゃない!)
やっと思い出した。そろいもそろってゾロゾロと偉そうな貴族たちがうちの工房を視察に来たのだ。その時に私の顔をジロジロ見ていた人だ。つい先日もバルおじさんとの会話にも話題になった。
当のライムンドは満足げに微笑む。
「あの田舎の工房で一目会った時から、オフェリアに似ていると思ってやまなかったが、やはり、何度見ても似ているな。私の目に狂いはなかった」
ライムンドの一言で、ギルジオはムッとした顔をして私を睨んだ。
「おい、お前、兄上にオフェリアに似てるって言われたからって調子に乗るな! 兄上はこう言ってはいるが、断じて似てないからな!」
「ええ、そんなこと言われても知らないってば……」
なんで私が一喝されるんだろう。オフェリアという人物と会ったことがない以上、私が似てないと怒られる道理はないはずだ。クレームなら目の前の兄上とやらに言ってほしい。
その兄上たるライムンドは、おっとりと微笑んだ。
「髪の色が微妙に違うだけだろう。髪なんて染めればわかるまい。しかし、ずいぶんとまあ勇ましい娘だ。オフェリアとは全く違うタイプと言ってもいい」
「当たり前です。オフェリアはこんなじゃじゃ馬じゃない」
ギルジオは鼻息荒く否定する。ずいぶんオフェリアに肩入れしているようだ。
「で、そのオフェリアって子は、誰?」
私は首をかしげる。ギルジオがぎょっとした顔をした。
「イフレン帝国の第一皇女だ! お前、そんなことも知らないのか?」
「第一皇女? 第一皇子の間違いでしょ。次の王はイサクとかいう人じゃないの?」
「違う、それは最近事情が変わったんだ。皇帝の命令で、王位継承権は男女平等に与えられることになったんだ。だから、イサク様よりも誕生日が早い上に、先王の一人娘であるオフェリアが王位継承権第一位になった。なんでこんなに重要なことを知らないんだ?」
「だって、私が住んでいたバスティガはイフレン国の南端よ。王宮の事情なんてそこまで伝わらないし」
この世界は新聞も出回っていない上に、そもそも識字率も低い。情報の伝達の手段も口伝えが主だった。そのため、人々の舌から舌を巡るたびに話が尾びれ背びれがついてしまうため、南端にあるバスティガに伝わるころにはすっかり真実と真逆の話になってしまうことも多々あるのだ。
とにかく、バスティガの人々は国政に極端に疎かったし、貴族たちなんて雲の上の存在くらいにしか思っていなかった。
はたから私たちの会話を聞いていたライムンドは、少し眉根をくもらせる。
「これは、今後が不安になるな……」
「兄上、この娘、一応文字は読めるようですよ。神話の本を読んでいたとか」
「ほう、それは僥倖。しかし、文字が読めるだけでは皇女の身代わりとはなれない。いろいろと教えこむ必要があるな。今後かなり苦労するだろう」
そういって、ライムンドは嘆息する。
(無教養で悪かったわね)
私は心の中でへそを曲げかけたけれど、ふと気になっていたことを質問した。
「で、なんで私はそのオフェリアの身代わりにならないといけないの?」
私の質問で、ギルジオの薄緑色が揺れた。代わりに、ライムンドはこともなげに答える。
「第一皇女オフェリアはもう長くはない。近々死ぬ」
「兄上、その言い方は……」
「事実だ。だからこうして身代わりの娘を探し出した」
きっぱりとライムンドは言い放つ。ギルジオは苦みばしった顔をした。一瞬二人の間に剣呑な空気が流れる。私は何と言っていいかわからず、口をつぐんだ。
馬車の中に気まずい沈黙が下り、私は何となしに窓の外を眺める。
しばらく馬車が森の中を進むと、にわかに窓の外が明るくなった。暗い森を抜けたらしい。
小さな窓から、遠くに巨大な壁があるのが見える。もう少しで検問だと言っていたから、おそらく街の城壁だろう。
逃げるチャンスが巡ってきたのだ。
しかし、ギルジオは鋭い目線を私に向ける。
「オフェリアのことはともかく、お前は何が何でも城に連れていく。逃げられると思うなよ」
頭の中を見透かされてしまった私は、ギクリと肩を震わせた。私の反応をみたギルジオは小馬鹿にした顔をする。
「逃げたらどうなるかわかっているのか? お前をどこまででも追いかけ、殺す」
「そうやって脅すなんて、卑怯だわ」
私の言葉に、ギルジオは顔をゆがませ、口をつぐんだ。どうやら卑怯なことをしているという自覚があるらしい。
いきなり黙ってしまったギルジオの代わりに、こともなげにライムンドが口を開いた。
「留意してほしいのだが、役目を果たせなかった時にも、命はないと思ってほしい。2か月後、ダクリの川岸にあがるお前の姿かたちをした死体は、今のところ幻覚魔法のかかった木偶の予定だ。ただ、お前がヘマをすれば、その木偶は娘、お前自身になる」
恐ろしいことを言っているのに、まるで詩を諳んじているような軽やかな口ぶりだ。
「えっ……」
「お前が死ぬか生きるかは、お前次第だ」
ライムンドは私の首を指さして微笑んだ。心臓に、ひやりと冷たいものを押し当てられたような、そんな気持ちになる。これは、単なる脅しではない。
(この人、ギルジオの何倍も怖い)
おそらく、ギルジオは私をさらったことに多少迷いがある。しかし、ライムンドはそうではない。自分のやっていることに関して、なんの疑問も、迷いも、良心の呵責さえも感じていないようだった。
私が青ざめたのを見てか、それとも何も考えていないのか、ライムンドは私の肩に優しく触れた。
「大丈夫。私だって君に危害を加えたいわけではないからね。これからよろしく、オフェリア様」