86.皇子と村娘
「い、イサク様、……いえ、イサク殿下。父との再会を喜ぶあまり、ご挨拶が遅れまして、申し訳ございません」
私は相手の機嫌を損ねないように、全力で低頭する。
正体がバレてしまった今、私は第一皇女オフェリアではなく、平民のコリン・ブリダンだ。平民と皇帝には天と地ほどの身分差がある。
「顔を上げてくれ、オフェリア……ではなかったな。……コリン」
戸惑いがちに優しい声が私の名前を呼んで、私の心臓の鼓動がトクンと大きく揺れた。
イサク様に本当の名前で呼んでもらえた喜びは、しかしすぐに暗い思いにすり替わる。お父さんと一緒に再会を喜び合う姿を見て、イサク様は私が身代わり皇女だと確信しただろう。もはや言い逃れはできない。
おそらく、イサク様がここに来たのも、私を直々に捕まえにくるためだろう。
そう、私は身代わり皇女だったのだ。今後は国家を欺いた大罪人。
しかし、いずれ罰を受ける身であっても、明日お父さんと会う約束をしている以上、少なくとも今だけでも相手の機嫌を損ねないことが第一だ。「いのちだいじに」、作戦である。
私はますます深く頭を下げた。
「顔を上げるなど、無礼なことをするわけにはいきません。私は平民ですし、私は皇女の身代わりとして国家を欺いた大罪人です。罪状は何ですか? 国家反逆罪、詐称に公文書偽造の罪もあるでしょう」
「何を言っているのだ! コリンはなにも悪くない! むしろ謝るのはこちらだ。長い間、並々ならぬ苦労を掛けてしまった。皇女としての公務をこなしながら、その正体を完璧に隠し続けるなんて離れ業、誰もができることではない」
予想だにしていなかった一言に、私ははじかれたように頭を上げた。
「……えっ、私を捕らえて牢屋に入れるつもりでここにきたのでは……?」
「そんなわけないだろう。第一、牢屋に入れるためなら、わざわざコリンと君の父上を会わせたりはしない」
「そっ、それは……。実の父親に会わせ、私が偽物皇女だという確固たる証拠を掴むためでは……」
「……数日前の一件からうすうす気づいていたが、本当にお前は俺のことを信頼していないんだなあ。ちょっと凹むぞ」
「ええ……」
私は戸惑いながらイサク様を見つめる。しかし、イサク様の目には嘘偽りの影はどこにもない。
「じゃあ、本当に、私が偽物皇女だとしても、守って下さる気だったんですか?」
「最初からそう言っているだろう」
「……そ、そうでしたよね」
体中から、どっと力が抜けていくと同時に、胸の中に暖かな火が灯ったように温かくなった。イサク様を疑い続けたことが、こんなにも自分の身体に緊張をさせていたと、いまさらながらに気づく。
イサク様は困ったようにガシガシと頭をかいたあと、大きなため息をついてどっかと勢いよくソファに座った。それから、隣に座れ、とばかりにトントンとソファの座面を叩く。
私は逡巡した後、(ええい、ままよ!)とイサク様の横に座った。本来なら平民が皇子の隣に座るなんて絶対に許されないけれど。
イサク様はしばらく黙っていた。遠くで鳥がさえずり、だれかの足音が聞こえる以外は完璧に無音だ。
あまりの沈黙にいたたまれなくなってきたので、私は観念して一番に気になっていたことを訊いた。
「……あの、殿下。発言をお許しください。ライムンドはどこに? 私と一緒に、廃神殿にいたはずですが」
「ライムンド・オルディアレスが廃神殿に? いや、俺の記憶が正しければ、お前を助けたときは、彼の姿はなかった」
「そう、ですか……」
「今回の一件の重要参考人として、国じゅうに指名手配をかけているんだが、不思議なことにこつ然と姿を消し、完全に消息がつかめないんだ」
一瞬、ライムンドがあの燃え盛る廃神殿から逃げ出したのかとヒヤリとしたものの、すぐに思い直した。ライムンドは完全に気を失っていた上、手足を縄で縛られていた。あの状況で逃げるのは不可能。
(夢で見た通りライムンドは本当にオフェリアに連れていかれてしまったんだわ。幽世で、罰を受けるために……)
私はゾワリと背中が寒くなった。
黙り込んだ私を心配するように、イサク様は私の顔を覗き込んだ。
「……大丈夫か? ライムンド・オルディアレスはともかく、あの場にいた黒フードの騎士派は全員捕らえ、しかるべき罰を与えると約束する。コリンの身の安全も保障しよう」
「……なぜ、あんな森の奥の廃神殿に、私がいるとわかったんですか?」
私の質問に、イサク様は一瞬顔をしかめて顎に手をあてる。
「……ああ、そうだったな。何から説明すべきか……」
しばらく考えたあと、イサク様は3日前の出来事を話し始めた。
*
渾身のプロポーズをあっさり断られたイサク様は、走って部屋を去る私を見てしばらくショックで呆然と立ち尽くしていたらしい。
どうしても私を后妃にしたいあまり口走った発言は、傍から見たらどう考えても恫喝。私が青くなって出て行くのも当然だと気づいたイサク様は自己嫌悪で頭を抱えたという。
しかし、すぐにナタリーが入ってきて、イサク様の顔を見るなり、
『状況はよくわかりませんけれど、喧嘩して立ち去った女性は必ず追いかけるものですわ!』
と、すごい剣幕で怒鳴りつけ、イサク様は慌てて私を追いかけたのだそうだ。
その時、私の乗った馬車は、すでに王宮の広い敷地を走り去ろうとしており、イサク様は馬に飛び乗り、慌てて追いついた数名の護衛と一緒に追いかけたのだそうだ。
しかし、追いかけているうちに馬車の様子がどうもおかしいことにイサク様は気づいた。馬車は街を猛烈に走り抜け、北の森に入って行くではないか。イサク様は護衛の一人に援軍を呼ぶように伝え、私たちが乗る馬車の御者にバレないように距離を取って尾行した。
そして、森の奥には、朽ちかけた廃神殿を見張るように立つ異様な黒フードの騎士たちがいた。
すぐに様子がおかしいと気づいたイサク様とえりすぐりの護衛たちはすぐに黒フードの見張りの男を捕らえた。見張りの男は急に現れたイサク様にさぞかしびっくりしたに違いない。私だったら腰を抜かすと思う。
それはさておき、見張りの男から私とライムンドが廃神殿にいると聞きだしたその時、廃神殿が勢いよく燃え始めた。イサク様は、真っ先に廃神殿の中に飛び込み、炎の中気を失っていた私を助けてくれたらしい。





