84.自称神様と死神皇女
「か、神様……!?」
私は呆然として呟く。気付けば、当たりは先ほどまでいた火の海ではなく、静かな白い空間だった。手足に枷もない。
「えっ、ここって天国の一歩手前の世界じゃなかった? やっぱり私、死んだの? 走馬灯みたいなものを見た気がするんだけど……」
オロオロする私を前に、自称神様は大きなため息をつくと腕を組んだ。
「まったく、相変わらず他人を頼るのがヘタな人ですねえ! いざとなったら一回限りで力を貸すと、ワタクシ申し上げたはずですが、どうして頼ろうとしないのですか!? そりゃあ、ワタクシはとんでもなく頼りないという自覚はありますけれども!」
「あっ、すっかり忘れてた……。ねえ神様お願い。私をあの炎の中から、助けてくれる?」
「もちろんですとも! すぐに助けが来るように手配しましたので、その辺りはご安心を。まあ、無理やりこちらに呼んだので、数日昏睡することにはなりますがあの人なら大丈夫でしょう。それより、アナタと話したい人がいるということで無理やりこちらに呼んだのですよ」
「え、話したい人?」
私がきょとん、としていると、どこからか軽やかな足音がした。
「コリン、コリン!」
鈴を転がすような懐かしい声が私を呼ぶ。振り返る前に、誰かが勢いよく私に抱きついてきた。
「ごめんなさい、コリン! 私のせいでこんなに危ない目にあわせてしまって」
「お、オフェリア!? どうしてここにいるの!?」
懐かしい友達の姿を見て、私は目を見開いた。オフェリアは私と瓜二つの顔にはにかむような笑顔を浮かべて、私の手を取る。
「この神様にコリンにもう一度だけ、会いたいってお願いしてここにきましたの。まさか本当に会えるとは思っていなかったけれど……。ああ、本当に会いたかったわ、コリン」
「私もすごく会いたかったよ、オフェリア」
「そう言ってくれて、とても嬉しいですわ」
オフェリアはゆっくりと私を抱きしめた。まるで、母親が子供を抱きしめるような優しい仕草に、私の胸が締め付けられたように苦しくなる。
私は、結局オフェリアの「皇帝になる」という最期の願いを果たせなかったのだ。こうやって優しく抱きしめられる資格はない気がした。
「……ごめんね。オフェリアとの約束を守れなかった。私、ライムンドに裏切られて、身代わりの皇女だってバレちゃった……」
「謝らないでちょうだい。コリンは本当によくやってくれましたわ。コリンのことを、心の底から誇りに思っていますもの」
「本当に? でも、オフェリアが私を恨んでも当然だよ。私、本当に馬鹿だった。もう少しで約束を果たせたのに、秘密を隠し通せなかった。ライムンドの悪事に気づけなかった。……最期の願いに背いたんだもの。怖いけど、幽世の呪いを受ける覚悟はできてるよ」
「一生懸命に頑張ったコリンを、恨んだり祟ったりしませんわ。それに、私がコリンに託した最期の願いは『皇帝になること』ではないのよ」
オフェリアからの思わぬ一言に、私は一瞬ぽかん、と口を開けた。隣にいた神様も、間抜けな顔をして頭の上にハテナマークを浮かべている。
「えっ、えーっと、僭越ながらオフェリア殿。アナタは確かにこの少女と最期の願いの契約を交わしましたよね……!? このワタクシ、はっきりと契約しているところを見ましたが……」
「ええ。でも、最期の願いは『皇帝になること』じゃない。確かに、私は『王になって』ってコリンに言ったけれど、本当の最期の願いはそのあとなの。さあ、よく思い出してごらんなさい」
私と同じハシバミ色の目が、私をじっと見つめる。
(オフェリアは、なんて言ったっけ……)
私は目を閉じて、約束を交わした日のことを思い出す。
『皇帝として、したいことがたくさんあったわ。でも、どうしても叶えられなかった。だから、コリン、貴女がわたくしの代わりに、王になって』
『……わかったわ』
『……それから、もう一つだけ約束してちょうだい。これはもっと大事なことよ』
『えっ、なあに?』
確か、そんな会話をした気がする。大事なのはその後の会話だ。
そして、私はようやく腑に落ちた。
オフェリアの最期の願い、それは――……
『必ず、幸せになってね』
私は手を打った。
「オフェリアの最後の願いって、まさか、私が幸せになることだったの!?」
「そう、そうなのよ! やっとわかってくれて嬉しいわ」
オフェリアは花が咲くように微笑んだ。
神様が「そ、そんなあ!」と悲鳴のような声をあげた。
「ワタクシ、すっかり勘違いをしていましたよ! 『皇帝になれ』という、とんでもない最期の願いをされたものだとばかり……」
「そうじゃないかなって思っていたの。だから、こうやって会いに来たのよ。コリンは約束は絶対に守ろうとする人だし、ずっと気にするだろうと思ったから。……紛らわしい言い方をしてごめんなさい。貴女に苦しい思いをさせてまで、皇帝になってほしいと願ったつもりではなかったのよ」
オフェリアはたおやかに頭を下げた。
「本当にごめんなさい、コリン。貴女には大変な思いをさせてしまったわ。途中で逃げても良かったのに、貴女は私の願いに囚われて、逃げることができなかったんでしょう」
「あ、謝らないで! ちゃんとオフェリアの話を聞かずに、完璧に勘違いしてた私も悪いって。それに、オフェリアの願いがなくてもライムンドに村の人たちを人質に取られていたから、逃げられなかったしね。それに……」
私は一呼吸置いた。
「身代わり皇女として過ごした日々も、なんだかんだで悪くなかったわ」
大変なことも確かにあったけれど、それでも大切な人たちもいた。それは、かけがえのない日々だったのは間違いない。
私の答えに、オフェリアはホッとしたような顔をした。
「それを聞いて安心したわ。これからは、貴女の望むままに生きて」
「うん、わかったわ」
「良いお返事ができて偉いわ。……ああ、そう言えば、もう一つ私はやることがありますの」
オフェリアは微笑んで、フイッと手を振る。瞬く間に、大きな黒い人型の影が現れ、見慣れた金髪の男を抱えてこちらにやってきた。
男はヒステリックに何かを叫んでいる。
「わ、私を離しなさい! この不気味な悪魔め! 私を誰だと思っているんですかッ? オルディアレス家の嫡男、ライムンド・オルディアレスですよ!?」
「……ライムンド?」
影に捕らえられたライムンドは、逃げようと必死でもがいている。しかし、必死の抵抗も空しく、彼を抱える影はびくともしない。
暴れるライムンドを見つめるオフェリアの横顔は、恍惚としているようで、ぞっとするほどに冷たかった。
「ライムンドは、私が連れていきます。最期の願いに背いた人間に、災いあれ。彼はその身をもって、災いとはなんたるかを知るでしょう」
オフェリアは呟くようにそう言うと、私の頭を優しく撫でた。
「私みたいに、どうしようもない男に惚れるようなことをしないでちょうだいね、コリン」
「……うん」
「まあ、貴女は大丈夫ね」
「えっ?」
オフェリアは意味深に微笑むと、私がどういう意味か訊く前に、黒い影とともにサッと消えていった。
私の隣にいた自称神様がブルリと身体を震わせる。
「ああ、さすが皇女様ですねえ……。まったく、恐ろしい人だ。はあ、くわばらくわばら」
「ねえ、連れていかれたライムンドは、どうなるの?」
「恐ろしいことになる、とだけ言っておきましょうか。具体的にどうなるかは、……知りたいですか? 確実に夢見が悪くなりますよ」
自称神様は青い顔をして首を傾げる。その表情だけで色々察したので、私は慌てて首を横に振った。
「止めておくわ。知らないほうが良いことも、この世界にはたくさんあるもんね」
「それがよろしいかと。さて、用事も済みましたし、そろそろ元の世界にお戻りください。お願いですから、今後お人好しはたいがいにして、大人しく生きてくださいよ」
「分かっているわよ。今後は平々凡々な幸せに満ち溢れた人生を送るつもり。前世からの夢だった結婚だってするわ」
一瞬、赤髪の皇子の横顔がふっとうかんで、私の胸の中がちくりとうずいた。けれど、こればかりは仕方ない。
「とにかく、オフェリアとの約束もあるんだから、なにがなんでも平凡にありふれた幸せを掴むのよ」
「そうしてくださいな。……まあ、できるなら、ですが」
「え、何よその不穏な言い方」
私が眉間に皺を寄せると、自称神様は諦めたように笑う。
「その性格じゃ、一生アナタが平々凡々な人生を送るなんて、不可能だと思うんですよねえ」
――――……刹那。
私が何かを言い返す前に、身体が急にふわっと浮いた。私は反射的に悲鳴を上げる。この感覚、身に覚えがある。
この白い世界から、元の世界に帰る時の感覚だ。
「ちょ、まって――……」
「とにかく、しばらくこっちに来ちゃダメですからね」
そんな声が、どこからか聞こえたけれど、次の瞬間には私は意識が途切れてしまっていた。





