7.第三のスキル
目の前が、暗い。身体が芯から冷えていて、指先すら動かない。
――あーあ、せっかくチャンスをもらった二度目の人生もう終わりかぁ……。今回もまた結局結婚できなかったじゃない。
私は真っ先にそう思った。
何が悪かったのだろう。日々平穏に過ごし、鋳造工房の娘としてバスティガの地で過ごした。ただ普通の娘として生きていただけだ。悪いことをした覚えもない。バスティガに伝わる素朴な信仰も、両親の言いつけ通りにしてきた。なおざりにしたことはなかったはずだ。
――お父さん、お母さん、弟のテリー、それに、工房のみんな……。
会いたい、と呟いて、私は再び意識が遠のいていくのを感じた。
*
「う……、ん」
ガタガタと身体が揺れているのに気づいて、私は重い瞼を開けた。
(わ、私、生きてるっぽい……?)
みぞおちも痛むし、さらにいえば肩も腰も痛いけれど、痛みを感じているということは、私は少なくとも死んでいないらしい。
目の前は暗く、何も見えない。
身体中が強張っていたので、思わず伸びをしようとすると、手が何かで縛られ、自由に動かせないことに気づいた。その上、ご丁寧にも身体はぶ厚い布に覆われ、麻縄のようなもので縛られているし、口には猿ぐつわのようなものが当てられていて、声が出せない。
私は完全に拘束されていた。
(私、もしかしてさらわれた? なんでこんなことに?)
記憶を手繰れば、あのギルティスという偽名を名乗る金髪の青年が私に向かって手を差し伸べてきたあたりから記憶がぷっつりと途切れている。人さらいの主犯格はギルティスと考えて間違いないはずだ。
さらわれた理由は分からなかったけれど、おおかた身代金か人身売買が目的だろう。
(私なんてさらっても、大金になんかなりやしないっての。とりあえず、この状況から抜け出さないと。お父さんもお母さんもきっと心配しているだろうし……)
耳をすますと、車輪がきしむ音と、ときどき馬の嘶きが聞こえる。おそらく、私は馬車の荷台か何かに乗せられているらしかった。私は、渾身の力で足元の壁を蹴りはじめた。こうやって蹴り続けていれば、道行く誰かが異音に気づいてくれるかもしれない。
(誰か、気づいて!)
願わくば、この国の治安を守る憲兵が私を見つけてほしい。そうすれば、きっと私を助けてくれるはずだ。
(誰か!)
私がもう一度壁を蹴ろうとしたその時、馬車が急に止まった。簀巻き状態にされている私は慣性の法則に則ってゴロゴロと転がり、壁に強かに体を打ちつける。
「ウッ――!」
私は思わず声なきうめき声をあげた。
しばらくすると、誰かがこちらに向かってくる足跡が聞こえ、すぐにぱっとあたりが明るくなる。荷台にかけられていた幌を誰かが取り払ったのだ。
「……なぜ、お前は目が覚めている。馬ですら三日三晩眠りこけるくらい強力な魔法がかかっているはずだぞ」
あきれたような冷たい声が降ってきた。ギルティスだ。私は抗議の声を上げる。猿ぐつわのせいで、むー、という声しか出なかったものの、私が抵抗していることは分かったらしく、仁王立ちして私を見下ろすギルティスは苦い顔をした。
「静かにしていろ。じきに検問だ」
「――!! ――ッ!!」
私の声なき抗議に、ギルティスは分かりやすく苛立った顔をした。
「そうだ、お前は魔法がきかないんだったな。川に連れ出すために魔法で操ろうとした時もはじかれた。ならば、力づくで殴って気絶させるまで」
「!」
痛いのは嫌、と私は必死で頭を振る。しかし、ギルティスはお構いなしに拳を握った。
「――ッ!」
「待て。その娘の身体に傷をつけるな」
ギルティスはハッとした顔をしたあと、静かに拳を下ろす。私はホッと胸をなでおろした。
ギルティスの背後から、背の高い金髪の男が顔を出す。年は二十代半ばくらいだろうか。ギルティスに負けないほどの美貌だ。癖のない髪は長く、背中のなかほどまで伸びている。
うっすら見覚えのある顔だ。
(この人、どこかで……)
私が思い出そうとやっきになっている間に、涼しい顔で金髪の男が私の傍らに膝をついて私の顔を覗き込む。冷たい薄緑色の瞳は、ギルティスと同じ色だ。二人は血が繋がっているのかもしれない。
「ふむ、完全に起きているな。面倒だが仕方がない。もう一度眠ってもらうか」
「しかし、兄上! この娘、魔法が全く効きませんよ」
「そんなはずはないだろう」
ギルティスの言葉を一蹴すると、金髪の男は小さく何かを唱えた。私の周りの空気がにわかに暖かくなる。
(これ、魔法だ!)
私は驚いた。この世界では一応魔法が使えるものの、文明の興隆とともに魔法自体が廃れつつある。今では魔法を使える人間はごくわずかだ。
私は反射的に目を瞑った。瞼の裏で細かな光がきらめき、小さな泡がはぜるような音がする。しかし、予想していた衝撃はない。
呪文らしきものを唱えるのをやめた金髪の男は、私を見て驚いた顔をした。
「……この娘は、なぜ眠りに落ちないのだ?」
私はゆっくり瞬きをする。身体は少し暖かいけれど、眠気は一切感じない。何の変化もなかった。
「だから言ったはずです。この娘、なぜか魔法がきかない」
ギルティスは釈然としない顔をして、ため息をついた。
(あっ、これって自称神様にもらったスキルの影響……)
どうやら私が自称神様にお願いした最後のスキル、「状態異常無効」が発動したらしい。なるほど、と私は一人で納得した。
状態異常無効とは、簡単に行ってしまえば外的要因で状態異常にならない、という便利なスキルだ。だから、金髪の男にどんな魔法をかけられても、私には何の影響もない。
(まあ、本当は『身体が強ければいいなぁ』くらいの気持ちでお願いしたんだけど……)
前世の記憶の引継ぎと、ステータス表示をお願いした私は、最後の願いとして『とにかく健康な身体にしてほしい』と自称神様にお願いしたのだ。
『ワタシは健康を司る神ではないので……』と一度は断られたものの、『状態異常無効くらいならできますよ』と言われ、そのスキルを選んだ。
ふたを開けてみれば状態異常無効は生活のあらゆる場面で役に立った。
家族みんなが二枚貝にあたった時も、私だけはピンピンしていたし、食べれば笑いが止まらなくなるというワライタケという名前のキノコをまちがって食べたときも平気だった。
何かと便利なスキルだったけれど、まさかこんな場面でも役に立つとは思ってもみなかった。
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