65.私にできること
アマラ様が王宮に招集したのは、一部の宰相たち、そして私とイサク様だけだった。議場の大きな円卓の席についた面々は皆、急な招集に困惑したような表情を浮かべている。
向かいの席に座ったイサク様にこっそり視線を送ると、困惑したような視線が返ってきた。どうやら、イサク様も私と同じように急に招集されたらしく、あまり情報は得られていないようだ。
用意された席があらかた埋まったところで、アマラ様がゆったりと議場に入ってきた。相変わらずアマラ様は眩いほど美しい。けれど、いつもの快活な表情はなりを潜め、少し苛立った顔をしていた。何か問題が起こったのは間違いないようだ。
「おはよう、諸侯。急な招集だったが、皆よく集まってくれた」
高座にある豪華絢爛な椅子に優雅に腰を下ろしたアマラ様は、長い脚をおもむろに組み直すと、悩ましげなため息をついた。
「こんな朝から辛気臭い諸侯の顔なんて見たくもないが、この際致し方ない。我が国はフォロン公国の領土を侵犯しているとフォロン側から通達があった。領土の侵犯を止めなければ、宣戦布告も辞さない、と」
「!?」
一瞬で、議場に動揺が広がる。フォロン公国が怪しげな動きをしていたのは皆周知の事実だったが、いきなりこのような手を打ってくるとは誰も思っていなかったのだ。
「理由がわかりません。我々イフレン帝国はフォロンに仇なすようなことはしていないはずです」
皆がざわめき、顔を見合わせている中、イサク様は落ち着いた様子で口を開く。
アマラ様は重々しく頷いた。
「もちろん、こちらからはフォロンに対して後ろめたいことは何一つやっていない。あちらの要求は完全に言いがかりだ」
ため息交じりにアマラ様は答える。
曰く、フォロン公国は、国境近くにある村であるデーレヌイを、イフレン帝国が不当に占拠していると主張しているらしい。
イサク様の横に座ったシルファーン卿が、机の上に地図広げながら、困惑したような顔をした。
「それにしても、なぜデーレヌイなのでしょう? 港のあるシシビアあたりならわかりますが、デーレヌイ周辺は木さえ生えない乾燥地帯ですよね? 主権を主張しても、あまり魅力的な場所とは思えないのですが……」
シルファーン卿の素朴な疑問に、誰も返答しない。
それもそのはず、デーレヌイは広いイフレン帝国の国境付近にあるごくごくありふれた村だ。――ある一点を除いては。
私は小さく咳払いすると、スッと手をあげた。
「アマラ様、発言をお許しください」
「オフェリア、発言を許す。申してみよ」
「……私の記憶が正しければ、デーレヌイは水源が複数点在する村だと聞いています。フォロンは近年深刻な水不足に悩んでいると聞いていますから、おそらくデーレヌイの水源が欲しいのでしょう」
私の言葉に、皆一様にぎょっとした顔をしてこちらを見た。
アマラ様は美しい目をスッと細める。
「ほう、デーレヌイに水源、か」
「はい。商人たちのネットワークで情報はすでに得ています。あちらの地方に詳しい商人を紹介することもできますが、いかがいたしましょうか」
「でかしたぞ、オフェリア。その商人をすぐに召喚せよ。おい、誰か伝令を!」
私は伝令として呼びつけられた若い従者に、商人の名前を告げ、「できるだけ早く王宮に来てほしい」と言付けを頼む。
しかし、それを遮るように円卓に座していたでっぷりした身体つきの宰相が口を挟んできた。
「待ってください、オフェリア様。平民である商人を王宮に召喚するなんて、本来ならありえません。その商人は、本当に信頼がおける人物なのですか?」
「ええ、もちろんです」
私は短く答える。商人のコミュニティにおいて、情報は何よりも重要だ。いい加減な情報を流した商人は、あっという間に信頼を失い、手厳しい制裁を受けることになる。だからこそ、商人たちの情報は、何よりも信頼できる。
しかし、宰相たちは商人を議場に召喚を快く思っていないようだった。そこにいる誰もが半信半疑、といった顔をしている。隣に座るライムンドでさえ、「承服しかねる」と顔に書いてある。
「商人なんて、自分の利益のための情報しか持っていないに決まっていますよ。呼ぶだけ無駄だと思いますが……」
「商人たちは、天候、社会情勢、災害からその土地の交通に至るまで把握しないといけません。そこらの領主よりよっぽどその土地のことは詳しいですわ」
「しかしですなぁ。政治にあまり詳しくないオフェリア様はご存じないかとは思いますが、こういう場合はデーレヌイの領主を呼ぶのが妥当であって……」
「それでは、そのデーレヌイの領主とやらを今すぐここへ連れてきてください。デーレヌイはここから早馬でも三日はかかります。すべてが手遅れになるには、十分な時間でしょうね」
未だに渋る宰相たちに、私は冷ややかな目線を送る。宰相たちはばつの悪い顔をしてごにょごにょと何かを呟いたけれど、もはやその言葉は私には届かなかった。
黙って様子を見ていたアマラ様は、頬杖をついて鷹揚に微笑んだ。
「オフェリアの意見に異論がある者はいないと見える。デーレヌイの領主は、商人から話を聞いてからでも構わんだろう。それでは、そこの従者よ。伝令を頼んだぞ」
事の成り行きを見守っていた伝令は、アマラ様の一言に折り目正しく頭を下げ、部屋を去っていく。私はホッと安堵の息をついた。これで情報は多少掴めるだろう。
あとは、どうやって戦争を回避するかを考えなくてはならない。
(今回の暴挙は、間違いなくユーチェン姫を操っている強権派の貴族たちの仕業よね。他国の水脈に手を出すしかなくなったほど、フォロンは水に困っているんだわ。水が豊かなアンラの街から飲料水を運んでその場をしのぐことはできないかしら)
私がああでもない、こうでもない、と考えこんでいた刹那、目の前に座っていたイサク様が手を挙げた。
「アマラ様、提案があります」
「なんだ、イサク。なんなりと申してみよ」
「フォロンは今、弱っている。ならば、あちらから攻撃する前に、こちらが宣戦布告をすればよいのです」
イサク様の一言に、私はぎょっとした。こちらから戦争を仕掛けようと言っているのだ。
さすがに誰か反論するだろうとざっと周りを見渡したものの、誰も反論する様子はない。それどころか、目をらんらんと光らせた宰相たちは、顔を高揚させていっせいに頷いていた。
「確かに、その通りだ。先手必勝という言葉もある。さっさと攻撃してしまえば、勝利はすぐに手に入るでしょう」
「戦とは、久しぶりですな。しかし、幸い我が国は優れた騎士たちが残っている。フォロン公国など敵ではありますまい」
「先任のズハン公は名君だったが、ユーチェン姫はそうでもないらしい。それはフォロンの民のためにはなりますまい。ここはひとつ、優れたアマラ様の治下に……」
宰相たちが口にするあまりに身勝手な意見に、私は慄いた。
驚くことに、議場には、誰も反対意見を口にする人はいなかった。アマラ様は、渋い顔をして押し黙っている。
宰相たちの中では、先にフォロン公国に戦いを仕掛けることは、もう決定事項のようだ。皆、興奮したように自慢のお抱えの騎士や武器の話、挙句の果てには戦争に勝った暁には、フォロン公国の土地をどう配分するかで揉め始めた。
(なんて自分勝手なの!? 自分たちのことしか考えてないじゃない!)
宰相たちは、安全な場所で戦争の行方を嬉々として見守るだろう。
命を落とすのは、最前線に駆り出される身分の低い階級の騎士たちや、戦争に巻き込まれた国民たちだ。土地は荒廃し、生き延びた人々の心には禍根だけが残る。
目の前が真っ暗になった。知らず知らずのうちに手が震える。
(このままだと、こんなに身勝手な人たちのせいで、人が大勢死んでしまうわ。避けるべき戦いを、避けなかったせいで――……)
「待ってください!」
私は思わず立ち上がって声を張り上げた。宰相たちの話を黙って聞いていたイサク様が、はじかれたように顔を上げる。
「私に、一か月だけ時間をください。戦争は、必ず回避します」
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