64.嫌な予感
いつも通りの一日の始まりのはずが、なぜか起きた瞬間に嫌な予感がした。いつもはジルの声で目を覚ますのに、今朝に限って自然に目が覚めてしまったのだ。
嫌な予感はすぐに当たるもので、着替え終わって朝食を食べている時に、ライムンドが現れ、「アマラ様が至急王宮に来るようにとのことです」と短く言付けを告げた。
「なるだけ急ぐように、とのことでした」
ライムンドはいつも通り穏やかな笑顔を顔に貼り付けたまま、有無を言わせぬ口調で言い放つ。
貴族への対応を任せているライムンドには、あまり顔を合わせたくない。しかし、オフェリア商会に忙しい私は、対外的な貴族とのやりとりを含むあれこれを全てライムンドに任せてあるため、そうもいかないのだ。
朝食に出された新鮮なミルクで食べかけのパンを無理やり胃に流し込み、私は首を傾げた。
「どうしたのかしら。一昨日会ったばかりなのに」
「最近嫌な噂が王宮に流れているのはご存知ですか?」
「ああ、フォロン公国のこと?」
イフレン皇国の東にあるフォロン公国の動向が怪しいという噂は、すでに商人たちから聞いている。
1年前に親イフレン皇国派だったズハン公が崩御し、玉座についたのはズハン公の一人娘、ユーチェン姫だった。ユーチェン姫はまだ14歳で、政治を執り行うにはあまりに幼い。そのため、しばらくはズハン公を支えた優秀な宰相たちが代わりに政治の実権を握るだろうと思われた。
しかし、現実はそう簡単なものではない。
「最近、ユーチェン姫は強権派の政治家ばかり重要なポジションにつけているんでしょう? そのせいで、フォロンは荒れ放題だって」
私の返答にやや驚いた顔をしたライムンドは、ややあって頷いた。
「ええ、よくご存じですね。オフェリア様は、誰からその情報を?」
「商人たちからよ。あの人たちもそこそこ情報通なの」
「左様でございますか。説明の手間が省けて何よりでございます。間諜によればフォロンは不必要なほど軍事力を増強しているようです。実際に、国境付近では何度か小競り合いも起きている」
「アマラ様はその件には厳重に抗議したと、ライムンドから数日前に報告を受けたはずよ。どうなっているの?」
「こちらの抗議を素直に受け取る相手であれば、こうして朝早くに招集がかかることはないでしょう」
「確かにそうね。……はあ、困ったことだわ」
東のフォロン公国は小麦の産地だ。しかし、フォロン公国との小麦の取引は日に日に難しくなっている。このままだと、小麦が十分に供給できなくなり、価格が高騰してしまうのは目に見えていた。そうなると、困るのはお金のない末端の平民たちだ。
(早いところ、なんとか手を打ってほしいってアマラ様に頼もうと思っていたのよね)
朝食を食べ終えた私はジルの手を借りて手早く王宮に行く準備を済ませ、ライムンドと控えていた護衛の騎士たちともに離宮をあとにする。
離宮の庭を抜けたあたりで、見回りで外にでていたらしいギルジオが、こちらに気づいてこちらに走ってきた。
「オフェリア様、それに兄上!」
「ギルジオ、出かけるわ。アマラ様から招集がかかったの」
「俺も行きます」
「今日は鍛錬の日でしょ。護衛の騎士たちもいるし、今日はライムンドが付いてくれるから、大丈夫」
「……わかりました。いってらっしゃいませ」
ギルジオは目礼して、大人しく引き下がった。絶対的な信頼を寄せている兄がいれば大丈夫ということだろう。
(本音を言えば、ギルジオに一緒にいてほしいけど)
私は小さく手を振って、去っていくギルジオの背を見つめた。
実を言うと、未だにライムンドを前にすると緊張してしまう。
顔に思っていることがが全て出てしまうギルジオと違って、ライムンドはまったくなにを考えているのか分からない。分かっているのは、穏やかそうな見た目とは裏腹に、誰よりも冷酷無比で、目的のためなら手段を選ばない狡猾な人物である、ということだけだ。
私が黙っていると、ライムンドは相変わらず腹の底の見えない微笑みを浮かべて私に話しかけてきた。
「オフェリア様、先ほどの鍛錬の日、とは?」
「怪我が治ってから、ギルジオは騎士団で週に何回か、鍛錬に行っているの。今日はその日なのよ」
「ほう、騎士団で鍛錬を。感心なことですな」
特に感情のこもっていない口先だけだとわかる口ぶりで、ライムンドは返答をする。特にそう驚いた様子もないため、おそらくすでに知っていたのだろう。それでいて、わざと私に訊いたのだ。
(おおかた、イサク様の騎士団で鍛錬をするギルジオをどう思っているか、さりげなく聞き出そうとしているんでしょうね)
ライムンドはイサク様とその一派のことをよく思っていないのは確かだ。これ以上この話題を言及するのは、あまり良くない。
私はすかさず話題を変えた。
「ところで、あの仮面の男たちの正体は見つかった?」
単刀直入な質問に、ライムンドはよどみなく答える。
「いいえ。騎士派のものだろうと検討をつけておりますが、騎士のような荒くれものはこの国のいたるところに溢れかえっておりますので」
若干棘のある言葉を、ライムンドは後ろについている護衛の騎士たちにわざと聞こえるように言っている。まるで騎士が悪いかのような口ぶりだ。騎士たちがムッとしたのを、雰囲気で感じた。
私は眉間に皺を寄せる。
「ライムンド、止めなさい。私を守ってくれている護衛たちも、騎士の一員なのよ。そう言った無礼な言葉は許されません」
「……失礼しました」
「それで、ライムンドが言いたいのは容疑者が多すぎて絞れないってことよね」
「はい、その通りです。力が及ばず、申し訳ございません」
「問題ありません。ライムンドも忙しいだろうし」
ライムンドは第一大公の右腕として、またアマラ様の宰相として日夜働いている。その上、あの不気味な仮面の男たちの捜査も頼んでいるのだ。
私は軽く頭を振った。
「貴族階級で、実戦経験のある騎士をしらみつぶしに当たってちょうだい。ギルジオを襲ったのは、確かにとても強い人だったし、何よりプライドが高くて典型的な貴族っぽい人だったわ」
「御意」
「それから、マノカロ卿に話を聞いてちょうだい。あの人なら多少は協力してくれるかも――……」
「オフェリア様」
ライムンドが、前触れもなく話を遮った。私は背の高いライムンドを見上げる。
ギルジオと同じ色の瞳が、冷たく私を見降ろしていた。
「……何?」
「私にここまでご立派に指示なさるとは、オフェリア様はずいぶん御成長されましたねえ」
表向きは、私の成長を喜ぶ臣下の言葉だった。しかし、ライムンドの言いたいことを即座に理解した私は、サッと蒼くなる。
ライムンドは暗にこういいたかったのだ。
――平民ふぜいが、貴族である私に指図をするな。
あまりの屈辱に、握った拳が小さく震えた。
ライムンドと話していると、まざまざと私が平民だと思い知らされる。そして、私が家族や故郷の人たちを人質に取られていることも。
(……この人は、表向きは私を皇女として扱いながら、いつまで経っても私のことを見下しているんだわ)
これから先どんなに頑張ろうとも、ライムンドから認められることはないだろう。私が平民だからという、それだけの理由で。
私たちの不自然な沈黙を気にした護衛の騎士が、小さな声で「大丈夫ですか?」と訊いてきた。
私は無理やり少し微笑んで頭を振る。
「すみません、大丈夫です。ちょっと立ち眩みがして」
「それは、大丈夫ですか? 今すぐ馬車を……」
「気遣ってくれてありがとうございます。お心だけ頂くわ」
義務的に声をかけてくれただけだろうけれど、気遣ってくれることがあり難い。ライムンドの冷酷さを目の当たりにしたあとは、特に。
結局、王宮に到着するまでの間、私たちの間には冷たい沈黙が流れ続けた。





