63.とある弱い騎士の夜
一時的に、ギルジオ・オルディアレス視点となります。
夜の冷たい空気に、剣が空気を裂く音だけが響き渡る。王宮の離宮にある広い庭は、俺だけしかいない。
広い庭の一角にある大きな楡の木の下は、人目をはばからず剣を振るうには絶好の場所だった。
思い悩むことがあると、ここに来てしまう。
(くそ、クソ……ッ!)
心の中でさんざっぱら悪態を吐きながら、俺は痛む左肩を無視して剣を振り回す。
気に入らない。何もかも気に入らない。礼儀のなっていないヤツらも、いくら威嚇しても全く意に介さない厚かましい第二皇子も。
とにかく小生意気な、コリンという名前の身代わりの皇女も。
そして、コリンの窮地を救えなかった己の弱さも――……
「クソッ……!!」
「おい、やめとけ」
急に後ろから声がかかり、それと同時に膝の後ろに衝撃があった。膝の裏を蹴られたのだ。俺は情けないことに膝から崩れ落ちた。
「な、なんだ!?」
「おい、オルディアレスの弟。やみくもに剣を振り回すと、この前の傷が開くぞ」
勢いよく振り返ると、そこには近衛兵騎士団の騎士の一人が立っていた。名前は確か、トビアスと言ったはずだ。背が高く、肩幅もガッチリしていて、太ももは丸太のように太い。いかにも強そうな風采の男だ。
実際に、騎士団のリーダーらしく、度々ほかの騎士たちに命令をしている姿を見たことがある。腕は確かなのだろう。胸にはいくつもの勲章がきらめいている。
俺は舌打ちをしながらよたよたと立ち上がった。
「……余計なことを」
「悪いことは言わない。そこまでにしておけ。お前は良い剣の筋をしているんだ。怪我を悪化させてしまっては、変な癖がつく。それはあまりにもったいない」
意外な人物からの褒め言葉に、俺は目を丸くした。まさか、すっかり敵の一派とみなしていた第二皇子の近衛騎士に、そんなことを言われるとは思っていなかったのだ。
(なんだ、コイツは……。何が目的で俺を褒めた?)
一瞬で俺に胡乱な目を向けられたことに気づいたらしいトビアスは、両手を上げてヒラヒラと手を振った。
「そう警戒するな。夜の護衛の暇つぶしに話しかけただけで、こちらにまったく他意はない。まあ、俺はずっとお前に話しかけてみたかったのは確かだが」
「……いつもは俺たちに素っ気ないくせにか? お前たちは俺たち第一皇女一派を敵とみなしているはずだ」
「うーん、それについては誤解がある。まあ、最初は若干反発があったのも事実だな。敵である皇女の護衛をするなんて、時間の無駄だと陰口を叩くヤツらもいた。だから、まあ無礼な態度をとっていたのは認めよう。……おい、そう怖い顔で睨むな」
「……お前らは第一皇女たるオフェリア様に対して、相当な無礼を働いた。ここで多少誅罰を与えてやっても罰は当たらないように思うが――……」
「コラ、剣をこちらに向けるな! いいから話を最後まで聞いてくれ」
トビアスはどうどう、と言いながらなだめてくる。俺は軽く眉を寄せた。
「……言い訳くらいなら聞いてやってもいい」
「お前、没落貴族の次男坊のわりに偉そうだなあ……。まあ、とりあえず今は状況も違ってきているんだ。騎士たちは皇女様のことが好きだ。今じゃ誰が皇女様の護衛になるかで毎日争奪戦なんだぞ。いつもにこやかで優しい皇女様の人気は今じゃうなぎ上りだ」
(にこやかで、優しい……? アイツが……!?)
一瞬不思議な顔をしてしまったものの、考えてみればコリンは騎士たちの前ではいつも猫を被っている。その上、時々お菓子や飲み物の差し入れをしているので、騎士たちにそういう印象を与えてしまうのも、おかしな話ではない。
「では、なぜあそこまでオフェリア様に対して無礼な態度を取る?」
怪訝そうに訊く俺に、トビアスはニヤッと笑った。
「イサク様はな、ずいぶんあの皇女様を好いているようなんだ。だから、うっかりオフェリア様に見惚れようもんなら、イサク様に恐ろしい顔で睨みつけられちまう」
急に第二皇子の名前が出てきて、俺は口をへの字に曲げた。
「この国の第一皇女であらせられるオフェリア様に無礼を働く理由としては、ずいぶんくだらない」
「何とでも言ってくれ。お前が何と言おうと俺たちイサク様の近衛兵騎士にとっては、イサク様が一番なんでね。外野はとやかく言うが、俺たちはなんだかんだでイサク様をどうにか応援したいのさ。あの皇女様は、今までイサク様の配偶者として立候補したきたどの令嬢より性格がいい。偉ぶったところもないし、ワガママでもないし」
「……ふうん」
「ま、そういうことだから、皇女様への俺たちの態度が素っ気ないからと言って、あまり悪く思わないでくれ。こっちにはこっちの事情がある」
トビアスの口ぶりから、第二皇子と近衛兵騎士団の騎士たちの近しさが容易に窺えた。
俺は軽く頷く。
「……事情はわかった」
「それとなくあの皇女様にも、俺たちの態度は悪意があるわけじゃないと伝えてくれると助かるんだがな。……まあ、お前にとっては面白くない話か」
「なぜ俺の話になるんだ」
「……お前はあの皇女様のことが好きなんだろ」
急な一言に、俺は言葉を失った。トビアスは俺の反応を見て、ふう、とため息をつく。
「隠しているつもりか? 普段の態度でバレバレだぞ。なにより、皇女様とイサク様が一緒にいる時のお前は、心底嫉妬しているように見える」
「……ッ!」
トビアスの一言で、剣をやみくもにふるって忘れようとしていた先ほどの出来事が、ありありと脳裏に浮かぶ。
月明かりの下、あのいけ好かない第二皇子はコリンの手を取り、まるで忠誠を誓うように足元にひざまずいていた。
普通であれば、第二皇子がまるで臣下のように第一皇女の足元にひざまずいたという、ほの暗い喜びが心の中を支配しそうなものだ。
しかし、実際の俺はどうだ? あの時の俺は、心臓の奥底でムカムカしたものがせりあがって、暴れ出さないように自分を抑えるのに必死だった。
(なにより、あのバカが嬉しそうなのがまた腹が立って仕方がない……!)
手の甲に口づけられたコリンは顔を赤め、見たことのないような顔をした。――俺には、絶対に見せない顔を。
距離を取って控えていたため、二人がなにを話していたのかは聞き取れなかった。
しかし、あれは敵対している第一皇女と第二皇子らしからぬ会話だったことくらい、恋愛ごとにとことん疎い俺でも分かる。
それなのに、部屋に帰ってきたコリンに何を聞いても、「イサク様とは普通に話していただけよ」と上の空の返事しか返ってこないから余計気に食わない。
(あの男は敵だと、何度言えばわかるのだ)
確かに、第二皇子はコリンのことを気に入っているようだ。献身的な態度や行動に、過去何度も助けられているのも認めざるをえない。
それでも、コリンが身代わりとして、オフェリア第一皇女を演じている以上、イサク・ジヴォ・ガイアヌという男は敵なのだ。それは揺るがない事実である。
表向きこちらに敵意がないと見せながら、権力と王座のために、いつ蹴落としにかかってくるか、わかったものではない。
黙り込む俺を前に、トビアスはポリポリと頬をかいた。
「お前もかわいそうにな。恋のライバルがあのイサク様なんて……」
「俺は、別に……」
「無自覚なら早めに気づいてさっさと玉砕しろ。言っとくが、俺たちのイサク様に勝ち目はないんだからな。オフェリア様はいつか絶対にイサク様の后妃となる」
「オフェリア様は、結婚しない。結婚してしまえば、王位継承権がなくなってしまうだろう」
俺は当たり前のことを答えた。
コリンを次の皇帝とすることは、今は亡きオフェリアとの約束だった。王族の血が流れない、ただの平民の少女を偽りの皇女として王宮に上がらせた罪は重い。しかし、それがオフェリアの願いである以上、俺は命を懸けてでもやりとげなければならない。
だから、相手が誰であろうと、コリンが結婚のために王位継承権を捨てるという選択肢は、絶対に許されない。
しかし、トビアスは心底呆れた顔をして俺を見た。
「お前さんはどうやら、女の幸せがなにか分かっていないようだな? 確かに皇女様は良い人だ。しかし、あの人は女だ。有事の時に何ができる。メソメソ泣くことしかできないだろうよ。俺は女が皇帝になるのがふさわしいとは思わな――……」
一瞬で、血が沸騰するような怒りを覚えた。
トビアスの言葉をみなまで聞く前に、気づいた時には地を蹴っていた。怒りの言葉が口先より出るより先に、身体が動いてしまったのだ。
「これ以上あの方への侮辱は許さん。お前に何がわかる。あのお方こそ、次期皇帝にふさわしいお方!」
左腕の傷が痛むのを無視して、俺は上段から連続で斬撃する。トビアスは最初の攻撃をかろうじて避け、剣を抜いて俺の攻撃を防いだ。
「うお、あぶねえ! しっかし、やっぱり良い腕してるよな、オルディアレスの弟! お前がそっち側なのが心底残念だ」
「……ッ! ちょこまか動き回りやがって!」
「逃げるは恥だが役に立つ、ってな!」
そう言うやいなや、トビアスの姿がいきなり消えた。あたりにもうもうと砂煙が舞う。トビアスが身をかがめて足元の砂を蹴り、わざとまき散らしたのだ。
「なっ」
「実戦経験がないやつは、不意打ちに弱い」
一瞬の隙をついて、トビアスは俺の背後に回り、即座に膝蹴りを食らわせてくる。膝の裏に衝撃を感じた次の瞬間には、俺は地に伏した状態でトビアスに組み伏せられてしまっていた。
「はあ、ちょっと落ち着けって」
「卑怯な!」
「卑怯? 命を懸けた戦いの場で、そんなことを言っていられると思うのか?」
「グッ……!」
完全に、俺の負けだ。自分から突っ込んでいった挙句に返り討ちにあってしまった。抵抗しようにも、トビアスはがっちり俺を掴んでいる。
「なあ、やはりお前に足らないのは実戦経験だけだ。パワーや素早さ、身のこなし、そのすべてにおいて、お前は才能がある。その才能を活かして、うちの騎士団に入らないか?」
「……この期に及んでなにを……」
「おい、ここでうだうだ言っても、何も変わらない。このままではいつまでたっても、いざという時に皇女様を守れないぞ」
トビアスの一言は、俺の胸の中に深々と突き刺さった。確かに、その通りだ。不気味な男たちの攻撃さえも防げなかった自分の不甲斐なさは、痛いほど自覚している。
このままでは、第一皇女の護衛としては力不足だ。
唇を噛んで大人しくなった俺の肩を、トビアスがポンポンと叩く。
「……お前を怒らせるようなことを言って悪かったよ。お前が皇女様のことを盲目的に信奉しているのを考慮すべきだった」
「…………」
「まあ、皇女様のために強くなりたいと願うのであれば、騎士団に来い。鍛錬だけでも構わない。俺たちはいつでもお前を歓迎する」
「本来は敵とみなしていた俺を歓迎する、だと? ……理由はなんだ」
「理由? うーん、お前の才能に興味がある……というのもあるが、あの皇女様が万が一傷つくようなことがあったら、なんとなくイヤだからだ。あの人は純粋で、あまりに優しすぎる人だからな」
「…………」
「だから、あの皇女様に近いお前に強くなってほしい。そっちの方が、あの皇女様を守るには手っ取り早いだろ」
てらいのない言葉に、嘘の影は微塵も感じられなかった。
不思議なことに、コリンは他人に「なにかしら手を貸したい」と思わせる力があるらしい。商会を営むコリンのもとには、無条件に彼女を慕う人間が山ほどいる。おそらく、コリンが窮地に立たされれば、多くの人が喜んで手を貸すだろう。何の見返りも、求めることなく。
そして、目の前の騎士もまたそう思っている人間の一人なのだ。
「……それなら納得できる」
「分かってくれてよかったよ。じゃあ、俺は持ち場に戻る。これ以上無理な鍛錬はするなよ。それから、怪我が治ったら、絶対に騎士団に顔を出せ」
トビアスは言いたいことだけ言って、返事を待たずにさっさと踵を返す。
俺は複雑な思いを胸に、去っていく背中をただ見送るしかできなかった。
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