61.商人と騎士
「はあぁー……。本当に、護衛付きの生活って窮屈ね」
私はオフェリア商会の社長室の机に突っ伏して、長いため息をついた。
黙々と契約書に目を通していたギルジオが、少しだけ顔を上げて、眉間の皺を伸ばすように揉む。
「……念のため言っておくが、俺も護衛だぞ」
「ギルジオは別よ。護衛っていうより秘書って感じじゃない。計算も正確だし、契約に関しても詳しいし、書類の整理も得意だし」
「お前が俺に余計な仕事を押し付けるからだ!」
ギルジオが怖い顔で睨みつけてきたのを、私は軽くスルーした。ここのところいつもこの調子だ。
イサク様の近衛兵たちが私の護衛として1か月経とうとしている。
騎士たちは、私たちに挨拶にきたあの日から、三交代二十四時間体制で私たちと行動を共にしている。
そのせいで、私は常に皇女らしく振舞い、ギルジオは常に私を皇女らしく扱う必要があった。下手にふるまって私の正体がバレてしまっては困るからだ。
その結果、私たちが普段通り過ごせるのは、騎士たちの入室を禁じている離宮の自室とこのオフェリア商会の一室だけになってしまった。
「すごく熱心に護衛してくれるのはいいんだけど、朝から晩までずっと一緒なんだもの。息が詰まるわ。話しかけてもそっけないし。そのくせ、この前なんて護衛をつけずに王宮の図書館にちょっと行って帰ってきただけで、てんやわんやの大騒ぎだったし、とにかくめんどくさい……」
「……そんなに嫌そうな顔をするなら、最初から護衛なんて拒否すれば良かったんだ」
「そうはいかないでしょう。ギルジオも本調子じゃないんだし、あんまり負担かけたくないもの」
私の一言に、ギルジオは心底不服そうな顔をした。
襲撃の後、私を庇って怪我をしたギルジオは宮廷の医者のもとに運ばれた。その後、どんなに怪我のことを訊ねても、ギルジオは「適切な治療を受けた」「もう大丈夫だ」としか答えなかったし、私もそれを信じ切っていた。
しかし、問い詰めてみるとずっと左腕が上がらない状態が続いていたらしい。思ったより重傷だったのだ。
「しばらくはイサク様のご厚意に甘えましょ。ギルジオはあんまり無理しないで」
「傷が治れば、片っ端からあいつらに勝負を挑んでやる。あの騎士団の中に、犯人がいるかもしれないからな。それに、襲われた時のあの剣筋、もう一回手合わせすればすぐわかる」
「あんまり無理しないでね」
苦笑しながら首を傾げると、肩口から亜麻色の長い髪がさらさらと流れた。そういえば、髪の毛もだいぶ伸びてきた気がする。
「ねえ、ギルジオ。そろそろ髪を染めないといけないと思わない? 根本に、ちょっとだけもとの髪の色がでてきているでしょう」
「そうだな。しかし、今まで通り街の美容室に出るわけにはいかない。騎士たちがつきっきりで護衛しているからな。どうするべきか……。あの美容師に、離宮に来てもらえるかどうか訊いてみるとしよう」
「うん、おねがいね。まったく、おちおち街の美容室にも行けないんだから、本当に今の生活ってすごく不便だわ。あの不気味なヤツら、早く正体がわかるといいんだけど」
私たちを襲撃したあの不気味なフードの男たちは、未だに捕まっていない。あれほど大勢いたのにも関わらず、証拠となるような痕跡が襲撃現場になに一つ残っていなかったらしい。あの襲撃は、とにかく用意周到に行われたものだと嫌でもわかる。
イサク様たちが懸命に犯人捜しをしていると聞いてはいるけれど、おそらく犯人を特定するにはかなり難しいだろう。
ギルジオは苛々した顔で腕を組んだ。
「どうせ今回の襲撃はシルファーン卿が裏で糸を引いているに違いない。さっさとあの男を逮捕すれば一件落着なのに、まったく騎士団はなにをモタモタしているんだ?」
「証拠が全く出てこないんじゃ、どうしようもないわよ。ライムンドも調べてくれているみたいだけど、あの様子じゃ何の進展もないんじゃないかな。とにかく、私たちに今できることは待つくらいじゃないの?」
「お前は正体不明のヤツらに命を狙われているっていう可能性もあるのにどうしてこうも落ち着いているんだ。やっぱり心臓が鋼鉄でできているのか?」
「慌てたり怖がったりして、なにか解決すると思う?」
「それは、そうだが……」
ギルジオは言いよどむ。私は軽く肩をすくめた。
「第一、私たちは今、イサク様の近衛兵騎士団に守ってもらっているのよ? 相手はどうせイサク様を皇帝に推す騎士派のヤツらだろうし、イサク様が私たちの味方をしている以上、簡単に手は出してこない」
先日謁見したアマラ様曰く、イサク様自ら動いて私たちを守ってくれているのは、第一皇女と第二皇子が敵対していないとアピールして、過激な騎士派が暴走するのを抑制する目的もあるらしい。
『アイツなりに、お前のことを必死で考えた結果だ。護衛つきの生活はとにかく面倒だが、しばらくは我慢せよ』
アマラ様にそう言われた私は、大人しく頷いた。
もちろん、イサク様の目論みは効果てきめんで、今のところ私たちは襲撃されることもなく安全に過ごせている。――まあ、襲撃されても近衛兵騎士団の騎士たちがあっという間に撃退してしまうだろうだけれど。
「きっと今頃、あの不気味なヤツらはイサク様のために取った行動が裏目にでていることに気づいて、慌てふためいて後悔してるわよ。これに懲りて、大人しくしてくれるといいんだけど」
「……悔しいが、その通りだ。今回ばかりは、その……あの第二皇子に、感謝しなければいけないな」
苦々しく呟くギルジオに、私はしたり顔で微笑んだ。
「ギルジオが思っているほど、イサク様は悪い人じゃなかったでしょ?」
「……俺はそれでも信用してないからな」
「はいはい」
私はひらひらと手を振ると、思いっきり身体を伸ばして仕事を再開する。なんだかんだで、商会の仕事も大詰めだ。
「さあて、コルタの火薬は安定してきたし、あとは実際に使ってもらうことを考えなきゃ。どうせなら大々的にやりたいから、ボスリン山あたりにトンネルを掘りたいんだけど……」
ボスリン山は、四王の崩御と呼ばれる、痛ましい滑落事故が起こった場所だ。北方の主要な街と首都をつなぐ道であるのにもかかわらず切り立った崖が続き、道も険しい。
そのため、通行人や馬車が誤って崖に落ちてしまう事故が絶えず、行商人たちの中にはボスリン山のことを「死の山」と呼ぶ人たちもいるほどだ。
しかし、ボスリン山脈にトンネルができれば、人々は安全に北方の街に行き来することができる。しかも、コルタの発明した火薬の宣伝にもなって一石二鳥だ。
しかし、そうは言っても問題も山積みだった。
「もう、何度試算しても、オフェリア商会の資産で投資するにはお金が足りないのよね。アマラ様に投資を持ち掛けてみようかしら」
「投資の問題もあるが、技術的な問題もあるぞ。ボスリン一帯は地盤がかなり固いはずだが、大丈夫か?」
「問題ないと思うけど、一度試してみないと分からないよね。あっ、アルボーニさんが教えてくれたんだけど、あのあたりって全然人手が集まらないらしいじゃない?」
「人が集まらないかぎり、難しいぞ……」
私たちは揃って唸った。考えることが多すぎて頭がパンクしそうだ。
しばらくああでもない、こうでもない、とギルジオと議論していると、ドアがいきなりノックされ、返事をする前にアルボーニさんが部屋の中に入ってきた。
「オフェリア様、そろそろお帰りのお時間ですよ。まったく、商会の前を騎士がウロウロするなんて、営業妨害甚だしい! これじゃお客様がすっかり怯えてしまいますよッ」
アルボーニさんはでっぷりした身体を怒りでふるふると震わせながら、私に抗議する。いつも胡散臭い笑みを浮かべている彼が、最近珍しくずっとプリプリと怒っている。商人と騎士は相性が悪いのだ。
私は苦笑しながら立ち上がった。
「ごめんね。騎士たちを連れてすぐに帰るわ」
「まったく、大事な皇女様を守って下さるのはありがたいですが、騎士というのは、何ゆえあそこまで偉そうなんです? 常に周りの人間たちに威嚇しないと死んでしまう呪いにでもかかっているとしか思えない!」
「仕方ないわよ。それが仕事なんだもの。イライラするのも分かるけれど、あんまり怒らないで」
アルボーニさんをなだめつつ、私は手早く書類をまとめると、騎士たちが待つ階下へ向かう。もう少し仕事をしたかったけれど、残りの仕事は離宮でやるしかない。
足早に部屋を出て階段を下りると、すでにオフェリア商会の前で、馬車とともに騎士たちが待機していた。
「お待たせして申し訳ございません。行きましょう」
私がニッコリと微笑むと、騎士たちは硬い顔でかすかに頷く。寡黙で愛想がないのはいつものことだ。しかし、騎士たちの反応を見たアルボーニさんは気に入らない様子で口をへの字にし、ギルジオが「無礼な」と舌打ちした。
私の胃が若干キリキリと痛みだす。
(騎士たちの態度は別に気にしていないつもりだけど、ギルジオたちがとにかくイライラするからたまったもんじゃないのよね……)
馬車に乗り込んだ私は、皇女らしく穏やかな笑みを取り繕いながら、内心大きなため息をついた。





