59.可愛いオフェリア
一時的にイサク視点となります。不穏回です。
客間に現れた第一大公は、記憶よりずっと小さくなっていた。
(……無理もないだろう。月日とは残酷なものだ)
オフェリアが自室に行ってしまった今、客間にはかつてないほど緊迫した空気が流れていた。殺気立ったギルジオともこの場でやり合ったこともあるが、あれは可愛いほうだ。
――アンリ・ドゥ・ゲルタウスラ・テスタ。
大叔父であり、かつて影の皇帝と呼ばれた男を、俺は見つめる。
賢王と呼ばれた前皇帝を支えたのは、間違いなくこの老獪な男だった。早くから政界に身を置き、先々代の皇帝のころから培ってきた盤石な人脈は多いに前皇帝を助けてきた。
そして、今もこの男の王宮への影響力は軽視できない。
前皇帝が崩御してからというもの、めっきり表舞台に姿を現さなくなったとはいえ、今もなお第一大公はこの国の重鎮たちと繋がり、密かに権力を握っているのだ。
第二皇子である俺にとって、第一大公の存在は常に目の上のたん瘤、といった存在だった。
(いつか第一大公と対峙する時が来るとは思っていたが、思いのほか早かったな)
第一大公は胡乱な目を俺に向け、今すぐにでもこの場所を去れ、と言外に告げている。しかし、ここですごすご引き下がるわけにも行かなかった。
どうせいつか言ってやろうと思っていたのだ。少々予定より早くなってしまったが、仕方ない。
俺はため息をついたあと、なるだけ丁寧な言葉を選びながら口を開く。
「第二皇子であるイサク・ジヴォ・ガイアヌに発言をお許しください、閣下」
「……なんだ」
「俺は貴方の大事なオフェリアと仇をなすつもりはありません。そして、今回の襲撃の件、俺はなんら関与していない。しかし、俺の派閥の人間がオフェリアを襲った以上、俺は責任をもって全力で真相を暴くと誓います。ですから、俺を信頼してください」
「……フン、この期に及んで白々しいことだ」
第一大公は俺から顔をそむける。まるで、俺のような若造は話す価値もない、とでもいうように。俺は気にせず、なるだけ淡々と話し続ける。
「オフェリアの護衛の件は、よくよく考えていただきたい。他のどんな騎士たちより、俺の近衛兵に護衛にあたらせたほうが確実にオフェリアを守れますゆえ」
「信じられぬ。オフェリアを襲ったのは、かなりの手練れだったと聞くぞ。お前の近衛兵でないという保証がどこにある。そこらへんの山賊を護衛にあてたほうが、よっぽど信頼できる」
「俺の近衛兵たちは、俺が直々に選んだ信頼がおける者たちです」
「繰り返す。我はそなたのいうことを信じられぬ」
「どうしても俺を信じてもらえないというのであれば、信じてもらわなくてもいい。やり方を変えるまでです」
「なに?」
「あのオフェリアは、いったい誰なのですか」
俺の短い問いかけを聞いた第一大公は、老人らしからぬ速さで顔をあげた。皺だらけの顔がぶるぶると震え始める。
「……な、何を言うか! あの娘は我が最愛の孫、オフェリアである!」
「そうですか。しかし、俺が幼いころに会ったオフェリアが本物だと仮定すると、どうもおかしい点が出てくる。第一、あのオフェリアであれば、一度敵の派閥に襲撃された場合、しばらく街に出ないようにするでしょう」
幼い頃、一度だけオフェリアと湖で水遊びをした記憶がある。やけに記憶に残っているのは、一緒に遊んでいたナタリーが溺れてしまったためだ。助けようと湖に飛び込もうとする俺を、オフェリアは止めた。
『私たち子供の力では、溺れている人を助けることはできませんわ』
オフェリアは大人びた声で言い放った。冷酷な判断であるように思えたが、実際ナタリーは駆けつけた大人たちによって助けられた。
その一件もあり、オフェリアは自ら危険に飛び込むような真似はせず、冷静な判断を下す少女だと、強く印象に残っている。
しかし、先刻のオフェリアときたらどうだ。緊迫した雰囲気にもかかわらず、俺は思い出し笑いそうになった。
「……今しがた話したオフェリアは、今にも街に飛び出しそうな勇ましい顔をしていましたよ。まったく、猪突猛進というか、怖いもの知らずと言うか」
「…………」
「とにかく、あまりにあのオフェリアは、俺の記憶の中の少女と違いすぎる」
「だ、黙れ、黙れ黙れ! あの子は、あの子はオフェリアだ! ワシの大事な、大事なオフェリアに決まっている!」
「落ち着いてください。俺はこの一件で貴方たちを追い詰める気は毛頭ない。そもそも、俺の勘だけでは証拠になりませんからね」
「ええい、ペラペラと! あの子は正真正銘の、我が孫オフェリアである!」
第一大公が急に机を拳で殴った。はずみでティーカップが床に転げ落ち、派手な音をたてて割れる。
俺は怒れる老人をただ見下ろした。第一大公もまた、俺を鋭い視線で睨めつける。
しばらく、うららかな朝の陽ざしが入る客室に不釣り合いな、なんとも剣呑な視線がかわされた。
「……護衛の件は受けていただけますね」
「それは、脅しか」
「違います。俺は俺なりに、オフェリアを守りたいだけだ。それに、先程申し上げた通り、この一件でオフェリアを窮地に立たせる気は毛頭ない。むしろどんなことがあっても、彼女を守り抜く」
「フン。お前がそこまでオフェリアを守ろうとする理由はなんだ。お前になんの利益がある」
「利益?」
俺は思わず反駁した。第一大公は、俺を猜疑心たっぷりの目で見つめながら、重々しく頷いた。
「そうだ。人は利益がなければ動かん」
「……俺は、そんなもののために動きません。ただ、オフェリアを助けたいだけです。神々に誓っても、この気持ちに偽りはない」
「嘘だな」
どうしても、俺の言うことが信じられないらしい。
上っ面の言葉だけでは第一大公を説得できないと判断した俺は、意を決して胸の内を打ち明けた。
「俺はオフェリアのことが好きです。立場ゆえに敵うことのない恋をしていると自覚もしている。だからせめて、助けたい」
俺の答えに、第一大公は虚を突かれたような顔をして黙りこくった。信じられないものを見るような瞳が、俺を見つめる。それはまるで、砂嵐の中一輪の美しい花を見つけたような瞳だった。
濁りきった鳶色の瞳から毒気が抜け、みるみるうちに透明になっていく。
ややあって、第一大公はゆっくりと何度も頷いた。
「あぁ……、そうか……そうなのか……」
第一大公は頷きながら、よたよたとした足取りで部屋中を歩き回り、やがて椅子に腰かけた。
(なんだ……? まるで別人になったようだ……)
俺が目を細めると、第一大公は震えるようなしゃがれた声でつぶやいた。
「……あの子は、心根が優しく、明るくて良い子だからなあ。お前が惹かれるのも、当然じゃろうて」
「……はい」
「王族は、……かつて権力のためにお互いに毒を盛り、血で血を洗う醜い争いを繰り返してきた。……もし、お主とオフェリアが結ばれれば、……この不幸な連鎖を純真な愛が止められるかもしれぬ」
「!」
「あの子には、幸せになってほしい。…どうか、どうか幸せに……。しかし、ワシは、もうどうしていいかわからぬ……」
消え入りそうな声だった。自身に満ち溢れた姿が、急にしぼんだように小さく見えた。
俺は思わず、目の前の老人の骨張った肩に触れる。
そこにいたのは、大事な一人息子を思わぬ事故で喪い、それでもなお権力の亡者として王宮に留まる、哀れな一人の男だった。曲がった腰や落ちくぼんだ瞳からは、年季の入った疲労が窺える。
「それならば、あの子を解放してやってほしい。どうか……」
「………ッ、お前に何がわかるのだ!」
「……っ! しかし……」
「ワシの可愛いオフェリアはだれにも渡さん!」
第一大公は、分かり合えるはずだと伸ばした俺の手を荒々しく振り払った。先ほどの澄んだ瞳はあっという間に、猜疑心に濁った人間の目に戻る。
俺は必死で訴えた。
「聞いてください! あの子は無理をしているんだ! 気丈に振る舞っているが、どれほどつらい思いをしているか――」
「ええい、うるさい! お前とは金輪際かかわりとうない! 今すぐワシの庵から出て行け! 出て行け――ッ!!」
荒々しく椅子から立ち上がり、俺を追っ払うように第一大公は手をやみくもに振り回す。
第一大公の怒り狂った声を聞いたらしいジルという名のメイドが、「何ごとですか!」と言いながら、駆けつけた。それから、荒れた部屋をみるなり、すぐに口を真一文字に結んで、ドアの方を指さす。
「お帰りは、あちらからどうぞ。裏口となりますが」
「……そろそろ、朝帰りと変な噂を流されない時間帯だろうか」
「ええ、おそらくは」
ジルは第一大公の背中をさすりながら、淡々と答える。俺は頷いた。これ以上の長居は無用だ。
「それでは、閣下。オフェリアの護衛の件は、承諾を得たと受け取りました。近々人をよこしましょう」
第一大公はブツブツと何かを呟くだけで、俺の言葉には答えなかった。俺は気にせず、さっさと踵を返す。
「あの子は、オフェリア……。可愛いオフェリアだ……」
豪奢な客間を出るまで聞こえた、ブツブツと呟かれる虚ろな声は、まるで第一大公が自分自身に言い聞かせているようだった。
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