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<完結>身代わり皇女の辛労譚!  作者: 沖果南
身代わり皇女の商売と戦争
57/94

57.安心する場所

 急に現れたイサク様は、まっすぐと私の元へ駆け寄ってきた。しかし、ギルジオが敵意むき出しにしてそれを阻む。


「オフェリア様に近寄るな! なにを企んでいる!」

「何の話だ」

「とぼけるな! 今しがた刺客に俺たちを襲わせた張本人のくせに」

「刺客、だと!? 俺が、オフェリアに!?」

「そうだ! 今しがたお前の派閥の騎士たちが、俺たちを襲い、王位継承権を放棄しろと迫ってきたんだぞ!」


 イサク様の眉がはねた。


「なんだと!? それは、どういうことだ!? いったいどこの誰がそんなことを!」


 怪我をしているギルジオに掴みかからん勢いで、イサク様が詰め寄る。どうやら、本当になにも知らないらしい。

 私は慌てて二人の間に入った。


「イサク様、ギルジオは私を庇って怪我をしています! それに、御者も怪我をしているんです! どうか、治療を先に……!」

「……わかった。事情は後から聞く」


 イサク様は大きなため息をつくと、息を切らして追いついた近衛兵たちの一人にギルジオを引き渡した。


「な、なにをする!」

「コイツはすぐに宮廷医のもとへ連れていけ。傷が深いが、適切に治療すれば後遺症もないだろう」

「やめろ、俺は死んでもオフェリア様のそばに……ッ」


 ギルジオはバタバタと抵抗するが、いつもの勢いはない。どうやら出血多量で意識が朦朧としてきているらしい。やがて、騎士に引きずられるようにしてギルジオは連行されていった。気絶した御者も目を覚まし、同じように運ばれていく。

 その間、イサク様は事のあらましを私から聞き出し、続々と現れる近衛兵たちに細かく指示を与えた。頷いた近衛兵たちはすぐに夜闇に散っていく。恐らく、なんとかあの漆黒の男たちに関する情報を探し出そうとしているのだろう。

 

(そうは言っても、多分あの男たちの尻尾を掴むのはかなり難しいよね……)


 私は唇を噛む。あのリーダー格の男だけでも正体を掴みたいが、漆黒の衣裳のせいで彼がどんな顔をしていたのかも分からない。

 気を利かせた騎士の一人が、代わりの御者を用意してくれたらしく、私は馬車で帰れることになった。

 当たり前のようにイサク様が馬車に先に乗り込む。どうやら、送ってくれるつもりらしい。私も後に続こうとすると、近衛兵が苦い顔をして声をかけてきた。


「皇女様、手に持った短剣をこちらへ。さすがに、鞘のない短剣を持ってイサク様と馬車に乗るのは、控えていただきたく存じます」


 ハッとして手元を見ると、私は短剣をぎゅっと握りしめていた。手にはくっきりと柄の痕が刻み込まれている。


(ああ、どうりでイサク様と話している間じゅう、近衛兵の人が私を睨んでいると思った。警戒されて当然だわ)


 私は小さく息をつく。


「すみません。……これはギルジオのものなので、後で返していただけませんか?」

「かしこまりました」

「ありがとう」


 私は震える手で短剣を近衛兵に渡す。近衛兵は私から短剣を受け取ると、サッと踵を返してどこかへ消えていった。

 イサク様の手を借りて馬車に乗り込むと、馬車は滑るように夜の街を進みだす。

 向かいあって座る私たちの間に、あまりに気まずい雰囲気が流れた。


(こうやって二人きりになるのって、いつぶりだっけ……)

 

 イサク様の瞳と同じ、ヘーゼル色のネックレスをもらってからというもの、イサク様と一緒になるのは極力避けてきた。パーティーで彼の姿を見れば適当な理由をつけて退出し、王宮でもできるだけニアミスしないよう、細心の注意を払う生活を送ってきたのだ。

 その上、私はこの一年オフェリア商会のことでとにかく忙しかった。だから、余計に顔を合わせる時間は減った。

 その甲斐あってか、ペンダントをもらってから、イサク様とは軽い挨拶を交わす程度の交流しかなくなった。それにホッとする自分もいたけれど、どこかがっかりする自分もいたのも事実だ。

 とにもかくにも、いくらこれまであからさまに避けていたからといって、今はこのような狭い場所で二人っきりでいるのだ。何も話さずやり過ごすのは難しいだろう。

 私は意を決して大きく息を吸うと、ぺこりと頭を下げた。


「……助けてくださってありがとうございました」

「騎士として当然のことをしたまでだ」


 イサク様は私から視線を外したまま答えた。鋭いヘーゼル色の瞳は、私をとらえようとしない。

 あまりにそっけない態度に、私は悲しくなる。


(でも、イサク様の態度は当たり前よね。イサク様の告白に、私は応えられなかったんだから)


 本当は、何度も逡巡したのだ。あのヘーゼル色のネックレスを身に着けて、公の場に行けば、私は晴れてイサク様の恋人になることができる。イサク様に惹かれている自分がいることも、きちんと自覚していた。


(でも、私が第一皇女の身代わりである以上、そんなことは絶対に許されない。何より、イサク様が私のことを心の底から好きだとは限らないもの)


 イサク様の告白は、私を心から愛してのことではないだろう。

 私と婚約すれば、おのずとイサク様のもとに玉座が転がり込む。それが狙いなのだ。そして結婚してイサク様が皇帝になれば、私はすぐに用なしになるに決まっている。


(用なしになった元第一皇女なんて邪魔なだけ。どこか辺境の地に軟禁されて、惨めな一生を送ることになるわ)


 そうなればきっと、故郷にいる家族に会う機会も与えられないだろう。それだけはどうしても避けたかった。私は、何としてでも生き残って、家族に会うのだ。

 ガタ、ゴト、と馬車が進む音が耳障りに鳴り響く。

 長い長い沈黙のあと、突然イサク様が緋色の髪をガシガシとかいた。


「……これを」


 イサク様は、おもむろに着ていた外套を脱ぎ、荒々しい動作で私に渡してくる。急なことで一瞬反応が遅れた私は、呆然としながらそれを受け取った。


「……えっと、これは?」

「これで隠すが良い」

「隠す? 何をですか?」


 私は訳が分からず、パチパチとまばたきをする。イサク様は言いにくそうに明後日の方に目を向けながら、私の足元を指さした。


「足が」

「えっ」

「……ドレスが破れて、足が出ている。眼の毒だ」

「あっ……」


 破れたドレスの隙間から、自分の膝頭から太ももにかけてあらわになっている。私は慌てて渡されたマントを膝の上に広げ、胸までたぐり寄せた。


(わ、忘れてた……。逃げる時に走りやすいように、自分でビリビリに破いちゃったんだった!)


 どうやら、イサク様がこちらを向こうとしなかった理由はこれだったらしい。

 ネックレス云々の話ではなく、単純に目のやり場に困っていたのだ。いろいろと勘繰りすぎた自分が恥ずかしい。


「失礼しました。私、すごくはしたない姿でしたね……」


 私が消え入りそうなほどに小さな声で呟くと、イサク様はようやくこちらをまっすぐに見た。瞳は相変わらず鋭い。その鋭い眼が、怪我がないか確認しているのか、私の全身をくまなく観察している。

 見つめられて恥ずかしさに俯く私に、イサク様は同情するようにポンポンと肩を叩いた。


「……どうせさっきのヤツらにやられたんだろう? 酷いことをするものだ」

 

 私を見つめるヘーゼル色の瞳には、心配そうな色が浮かんでいる。

 余計な心配をさせていることに気づいた私は、慌てて両手を振った。

 

「あっ、あの! ドレスは、先ほどの男たちに襲撃されたわけではなく、自分で破きました。だから、安心してください!」

「自分で破いた!?」

「えっと、その、……隙を見て逃げようとしていたのですが、その際に走りやすいよう……」

「なんだって!?」


 イサク様は目を大きく見開くと、ややあって大笑いし始めた。ぎこちない雰囲気が一瞬にして吹き飛ぶ。


「なんてことだ、オフェリア! ……お前は本当に、おてんばだなあ」

「お、おてんばだなんて! 私は小さな女の子ではないんですよ!」

「おてんばじゃなかったらじゃじゃ馬だ。まったく、肝が据わっているというか、冷静というか。お前は相変わらず、面白いな」


 膝を叩いて心底楽しそうに笑うイサク様は、初めて会って話をした時のままだった。笑うと、威厳に満ちた空気がふっと和らいで子供のように無邪気な印象になる。

 その笑顔は、出会ったあの日から何も変わっていない。


(ああ、……なんだ、イサク様は全然変わってないんだわ)


 2年の月日が経ち、第一皇女と第二皇子という立場の溝は、昔よりさらに深くなっていった。

 それでもなお、イサク様は変わっていないのだ。

 私の胸の中に、ぽっと温かい光が灯った。時が経ってもなお変わらないものがある、という事実を知り、安堵の息をついた次の瞬間、どっと疲れがこみあげてくる。


「おっと、大丈夫か?」


 身体中の力が抜けてふらついた私を、イサク様は難なく支えた。私を支える手は大きく、温かい。この場所は安全だ、と本能が告げている。ホッとしたのもつかの間、今更になって、情けなく手が震えだした。


「い、イサク様……、私……」


 思い返せば、なんと危ないことをしたのだろう。剣を持つ男たちに囲まれ、その上無謀にも口答えするなんて。


(ともすれば、一緒にいたギルジオだって危なかった……)


 ついカッとなって、あの漆黒の男の怒りを助長するようなことを言ってしまった。そのせいで、結局はギルジオの命まで危険に晒してしまった。あまりにも軽率な行いに、眩暈がする。

 イサク様の到着が一歩遅ければ、私たちはあの男たちに無残に切り殺されていただろう。

 ガタガタと震えだす私の肩を、イサク様がおずおずと抱いた。


「怖かっただろう。もう大丈夫だ」

「私のせいで、ギルジオを危ない目に遭わせてしまいました……」

「大丈夫だ。あの男、怪我のわりにはピンピンしていただろう」

「でも……」


 なおも言い募ろうとする私を、イサク様はまっすぐ見つめた。


「お前が罪悪感を抱く必要はない。悪いのは全てお前を襲ったあの愚か者たちだ。しかし、俺たち騎士団が必ず犯人を捕まえる。だから、大丈夫」

「……はい」


 今までなんとか気丈に振る舞っていた仮面が剥がれ落ち、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。イサク様が優しく私の頬の涙を人差し指でで拭った。


「お前は、よく泣くなあ。こうやって泣いているのをみるのは、二度目だ」

「……こうやって泣くのは、イサク様の前だけです」

「……可愛いことを言ってくれる。これでは諦められないじゃないか」


 イサク様は優しく微笑んで私を抱き寄せた。私は嗚咽を漏らしながら、イサク様の肩にグリグリと額をこすりつける。

 どうしようもない安心が、身体中を満たした。

 イサク様の前ではなぜか自分をうまく偽れなくなってしまう。ギルジオや侍女たちの前では、感情を偽ることなんて慣れっこなのに。

 結局、イサク様は王宮の離れに到着するまで、優しく私の話を聞き、「大丈夫だ」と言い続けてくれた。

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