56.卑怯者
恐怖で震える足をなんとか突っ張って、私は男たちの前に立つ。ビリビリに破いたドレスの裾が夜風に揺れた。
目の前の男たちの正体を暴こうとステータスを表示しようとしたものの、うまく表示できない。どうやら、顔が隠れているとステータス表示できないらしい。
(いざという時に仕えないスキルね!)
私は心の中で特大の舌打ちをし、ギルジオから受け取った小さな短剣をお守りのように握りしめ、私は漆黒の男たちを睨みつけた。
「……なんのために、このようなことを?」
「恐れながら、諫言させていただきたく思います。王位継承権を放棄ください」
「……なんですって?」
「この国の次期皇帝はイサク様です。貴女様はそれを分かっておられない。ですので、ここはひとつ、多少怖い目に遭ってもらおうと思いましてね」
リーダー格の男に賛同するように、漆黒の男たちも声をあげる。
「本来政治というのは、力を持つ騎士たちがなすべきもの。卑しい商人となり、庶民の人気取りに奔走するオフェリア様には到底政治など理解できますまい」
「そもそも、なんなのだ! あの破天荒な女の一言のせいで、次期皇帝も女だと!? 冗談じゃない!」
「皇帝は男であるべきだ! イサク様こそ次期皇帝にふさわしいお方!」
「多少下々のものたちから人気があるからといって、それがなんだ。調子に乗るな!」
不自然に潰した声が、ここぞとばかりに不満をぶつけてくる。私はあからさまにぶつけられる敵意にクラクラした。
(これは、イサク様の差し金? でも、イサク様はこういうことを命じる人ではない。正々堂々と勝負する人だわ。では、シルファーン卿?)
いくら考えを巡らせようと、今は情報が少なすぎる。第一、私のことをよく思っていない人たちの存在なんて山ほど思いつく。
男たちの言い分を聞いたギルジオが、尊大にせせら笑った。
「はあ、なるほど。この状況下で、第二皇子の派閥はだいぶ焦り始めたということか。なんせ、第二皇子イサク様は第一皇女であるオフェリア様ほどの目立った勲功は未だにあげられていないからな」
「無礼な! イサク様には未だにその力を示す機会がないだけだ。その時になれば、あのお方は必ずや数多の勝利と栄光をもたらすだろう!」
怒りを含んだ男たちの声は、どこか空々しく響いた。
私がアマラ王から商会を任されているのと同じように、イサク様はアマラ王から軍の一個隊を任されている。しかし、現在のイフレン皇国は外交に問題はなく、戦とは無縁だ。
そのため、イサク様の活躍の場はほぼないと言っても過言ではない。
イサク様がなんの勲功も挙げられていないのは、当然と言えば当然なのだ。平和な国では、騎士が活躍する機会はどこにもないのだから。
ギルジオは整った薄い唇をゆがめた。
「あの第二皇子があげられる勲功といえば、せいぜい国内の剣技大会に出場して優勝するのが関の山。今の状況は、当然といえば当然か」
「クッ、言わせておけば、没落貴族のオルディアレスの弟ごときが生意気な!」
「フン、そういうお前たちはどうだ? 公の場でオフェリア様を表立って批判すれば、一瞬にして立場を失い、宮廷に居場所がなくなってしまうヤツばかりではないのか? だから、わざわざ徒党を組んで、このような汚い真似をしているのだろう」
「このっ……!」
耐えかねたように、一人の男がひらりと前に飛び出る。ギルジオが小さな声で「かかったな」と呟き、片頬で二ッと笑う。私はその時になってようやく、どうやらギルジオは衛兵が異変に気付いて駆けつけてくれるまで、なんとか時間稼ぎをしようとしているのだと気づいた。無計画に煽っているわけではないらしい。
しかし、リーダー格の男がギルジオに切りかかろうとする男を阻む。
「止めろ。この男は、腕が立つ。お前に勝ち目はない」
「しかし……」
「塵一つとして証拠を残してはいかんのだ。血の一滴も、流してはならぬ。お前では役不足だ」
「……御意に」
悔しそうに、剣を抜いた男はすごすごと引き下がる。
リーダー格の男は軽く咳払いすると、仰々しく私に向かって腰を折った。
「我々は、ただ正義を司るムダーホ神に代わって正しいことをしているのです。やみくもに暴力をふるうことは、本意ではありません。しかし、皇女様の返事によっては、命の保証はないと思ってくださいませ」
暗に、大人しく従わなければ殺す、と脅しているのだ。背中に嫌な汗が流れるのを感じながら、私はそれでも相手を睨みつけるのを止めなかった。
そんな私を、リーダー格の男はあざ嗤う。
「この期に及んでそんな目で私たちをみるとは、勇ましいことです。しかし、いいですか? 貴女は次期皇帝にふさわしくない。身体が弱く、長い間社交界に出ず、領地に引きこもっていた貴女に、いったい何がわかるのです」
「…………」
「女とは、大人しく男に守られていればいい。有事に剣も握らない皇帝など、この国には不要です」
「…………」
「それに、貴族から巻き上げた金を、民にばらまいて人気取りをする賤しい行為を、我々は看過すわけにはいきません。このままではオフェリア皇女のとりまきたる賤しい商人たちが、この国を乗っ取ってしまう」
「……なんですって?」
低く、冷たい声が私の口から漏れ出る。身体の熱が一気に引いていく。
私のことを悪く言うのは一向に構わない。けれど、私のことを慕い、信じてついてきてくれる人たちが貶されるのは許せなかった。
私はぎゅっとこぶしを握った。
「黙っていればよくもぬけぬけと言ってくれるわね。ムダーホ神に代わって、ですって? ムダーホ神は正義を司る神です。みだりに貴方たちが騙って良い名前ではないわ。貴方がたが今やっているのは、卑怯者がやることよ。正義に則ったものでは絶対にない!」
「なっ……!」
「それに、私たちのことを賤しい商人だとかなんとか散々に貶してくれたけれど、なにも生み出さず、他人を脅して、壊して、奪いつくす野蛮な騎士よりマシよ!」
最後の方の言葉は完全にいつもの口調に戻ってしまっていた。どうやら、思ったよりも私は怒っていたらしい。
今まで黙っていた私が突如キツい口調で反論したため、漆黒の男たちが私の怒りに気圧されたように、一瞬ピタリと黙り込む。
しかし、一方のリーダー格の男の瞳の奥には、殺意と怒気が閃いた。
「……この恥知らずが。多少痛い目に遭わせてやらねば、ものの道理というものが分からないらしい」
一瞬、きらめく何かが闇を裂く。そして、次の瞬間、剣と剣がぶつかる音がした。
私に心臓に向かって真っすぐ向けられた剣先を、ギルジオの剣がすんでのところではじいたのだ。
「――グッ!」
「何も知らない、身の程知らずの小娘が! 思い知らせてやるッ!」
「フン、ようやく本性を現したな! オフェリア様には指一本触れさせん!」
ギルジオが私を庇うように立つ。私も短剣を握りしめた。心もとない武器だが、ないよりましだ。
リーダー格の男がギルジオに剣を向けたのを見た漆黒の男たちが、次々と剣を抜いた。一瞬にして、その場の緊張が高まる。
しかし、その緊張も長くは続かなかった。
「おい、そこで何をしているッ!」
朗々としたよく通る声が、静かな通りに響き渡る。漆黒の男たちは明らかに動揺したが、リーダー格の男が鋭く舌打ちをする。
「命拾いしましたな。しかし、我々は必ず殿下の御身を破滅させましょう。……おい、撤退しろ!」
後半は、漆黒の男たちに向けた言葉だった。漆黒の男たちは訓練された動きで、すぐに闇に融けるように消えていく。
私は慌ててギルジオに駆け寄った。
「ギルジオ! 大丈夫!?」
青い顔をしたギルジオが急に地に膝をつく。左腕に酷い怪我をしている。どうやら、私に向けられた一撃を防いだ時、リーダー格の男に切られたらしい。
「あの男、強かった……。宮廷式の剣の型ではない。実践の剣だ。おそらく、ただの貴族ではない。高位の、かなり力のある騎士だろう……」
「いや、そういう冷静な考察は後からでいいから! それより、怪我は大丈夫なの? 結構ざっくりいってるみたいだけど……」
「ッ、心配ない。ちょっと怪我しただけだ。……それより、さっさと帰るぞ」
「えっ、なんで? とりあえず来てくれた衛兵さんにお礼を言わないと……」
「アレがただの衛兵に見えるか?」
ギルジオがアレ、と指をさす先を見て、私は驚きのあまり目を見開いた。
こちらに向かってきているのは青毛の馬に乗る、あまりに見覚えがある人物だった。月明かりに照らされるその髪は、燃えるような緋色。肉食動物のような、鋭い眼光。
「オフェリア! 大丈夫か!」
騎士はひらりと馬から降り、私の名前を親しげに呼んだ。私の心臓が、大きくバクバクと音を立て始める。
「……い、イサク様!」
そこに現れたのは、奇しくもこの国の第二皇子であるイサク・ジヴォ・ガイアヌその人だった。





