48.悲しみのありか
私たちの間に、一瞬静寂が流れた。丘の上を行く風が、亜麻色の前髪を揺らす。
(イサク様の言う、大事な人って、オフェリアのことよね……)
私はかなり驚いていた。絶対に、私の大事な友達を喪った悲しみは隠し通せていると思っていたのに。
「どうして……」
「……この様子だと、俺の言ったことはあながち間違いでもないらしい」
「あっ」
何と答えて良いか考えあぐね、沈黙してしまったことで、かえってイサク様に自分の推測が正しかったと確信させてしまったらしい。
イサク様は、心配そうに眉間にしわを寄せる。
「……すまない。あまり、話したい話題ではなかったか?」
「い、いえ。完璧に隠し通せると思っていたんです。なのに、どうして……」
「俺は、昔から妙に勘が鋭い」
イサク様はこめかみをトントン、と叩く。
(ああ、なるほど。それだったらバレちゃったのも納得……)
私は内心頷いた。イサク様はスキル「ちょっかん」を持つ特殊な人なのだ。迂闊だった。このスキルのおかげで、イサク様は恐ろしく勘が鋭い。私のことをオフェリア本人でない、とあっさり見抜いたのも、イサク様だけだ。
おそらく、往来で完璧に平民に紛れ込んでいた私を見つけ出せたのも、イサク様のスキルのおかげなのだろう。
イサク様は真剣なまなざしで私を見つめていた。考えていることを全て見透かすような、まっすぐな瞳に、私は思わず身じろぎする。
(ああ、この瞳の前では、嘘をつけそうにない)
ややあって、私は一つ息をはいた。鼻の奥がツンとする。
心の奥にしまっていたオフェリアに関する記憶の蓋を、私はそっと開くような感覚に陥った。一度思い出すと、大事な友人の想いでは流れるように脳裏に浮かびだす。
「……イサク様の前では、自分を偽ることができそうにありませんね。……確かに、私は王宮に来る前に大事な友達を喪いました」
「……そうか、残念だったな」
「ええ。本当はもっと……、たくさん話したかったんですけれど、あっという間にいなくなってしまった」
私は慎重に言葉を選んで話し始める。肝心なところを伝えていないだけで、嘘はついていない。
「すごく優しい子だったんです。私が落ち込んだ時は、絶対励ましてくれて。それでいて、時々変なところで頑固なところがおもしろくて」
「……良い友達だったんだな」
「はい。未熟な私のことを、たった一人の大事な友達だって言ってくれたんです」
イサク様はただ、私がぽつりぽつりと話すのを、言葉少なに頷きながら耳を傾けてくれた。
私はずっとオフェリアの話を誰かに話したかったのだ。
城で閉じこもったまま人生の大半を過ごし、ひっそりと死んでいったオフェリアという優しい女の子の話を。
私は、大事な友達の死を悼む間もなくここまで来てしまった。
全部話し終わった時、ぽろりと一滴、頬を涙がすべりおちる。
「話を聞いてくださってありがとうございます。やっぱり、『あんなこと話しておけばよかった』とか『一緒にこんなことしたかった』とか、いろいろ後悔をしていて、今でも会いたいって思うことがあります。……でも、前を向かなきゃ」
「…………」
「私が前を向かないことには、何も始まりませんから」
私は無理やり口元に笑みを作る。
だって、私が悲しんでいると知ったら、あの優しいオフェリアはきっと心配する。それに、オフェリアの幼馴染みであるギルジオはもっと悲しいに決まっている。第一、悲しんでいる暇はない。私はオフェリアとの約束を果たさなければいけないのだから。
とにかく、メソメソしていられないのだ。
どんなにつらくても、大変でも、これまで通り前を向いて、進んでいかなければいけない。
「頑張らないと」
ぽつりとつぶやいた私の手を、ふいにイサク様が黙って引き寄せた。とす、という音をたてて、私の額がイサク様の胸に当たる。
驚いたことに、私はいつの間にかイサク様の胸の中にいた。
「!?」
「俺の前で無理に笑わなくていい」
「…………」
「俺の前では、取り繕って笑ってほしくない」
囁かれる低い声が心地よい。夕冷えを感じ始めていた身体の温度が、ふわりと上昇する。誰かの胸の中にいる安心感と、それ以上に無視できないほど早鐘のように打つ心臓の鼓動で、頭の中がくらくらした。
(え、なに、な、今抱きしめられて……!?)
「ほ、ほぁあ……!?」
驚きすぎて、鳥が首を絞められたような変な声が出た。
それを聞いて、イサク様はそっと身体を離し、私の顔を覗き込むと、クックック、と低く笑う。
「なんだ、今の声は」
「あっ、いえ、だって、……び、びっくりしちゃって……」
「オフェリアは面白いな。……まったく、あの口うるさい護衛にはいつもこういう表情を見せていると思うと、つくづくあいつが憎たらしい」
イサク様は軽く舌打ちしたけれど、ぼんやりとしている私はその言葉にうまく反応することができなかった。
「おい、本当に大丈夫か? そろそろ帰るぞ」
「ひゃ、ひゃい……」
震える声で頷くと、私はふらふらとイサク様のあとをついて行く。しっかりと石造りの歩道を歩いているはずなのに、まるで羽毛布団の上を歩いているような感覚だ。足元がおぼつかない。
情けないことに、その後の記憶はあまりなく、どうやって離れに帰ったか覚えていないし、それどころか気づいたらベッドの中にいた。
何度となくギルジオに「おい、どうしたんだ」と心配された気がする。そして、それに対して気の抜けた回答をしてしまった気もする。そのせいで、寝る前に、ギルジオに「顔が赤いぞ」と、風邪薬を渡されてしまった。
冷静に考えてみれば、不意打ちで抱きしめられた程度でこんなことになる自分が猛烈に恥ずかしい。イサク様は抱きしめた後もまったくもっていつも通りだったことが、私の羞恥心にさらに拍車をかけた。
(抱きしめられただけで、あんなに舞い上がっちゃって……。恥ずかしすぎるわ……次会ったきはどういう顔をしたらいいんだろう?)
あのクールなイサク様のことだから、おそらく私にいつも通りの態度で接してくるに決まっている。そもそも、イサク様は一国の皇子だ。女の子の慰め方くらい心得ていて、抱擁は挨拶程度にしか思っていないのかもしれない。それならば、私もなるだけ平常通りに接する必要があるだろう。
だけど――……
「で、できる気がしないぃ……」
私は布団の中で悶え、とっぷりと夜が更けていく。
胸の中でずっと渦巻いていた悲しみは、気づかないうちになりを潜めていた。
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