47.お忍びの人
街の裏通りを軽快に進む馬車の中で、ギルジオが頭のてっぺんからつまさきまでじろじろ見た。
「適当に平民らしい服を集めてみたが、意外とどうにかなるものだな。今のお前は、どこからどう見ても平民だ」
「そりゃあ、私は生粋の平民だもの」
私はやや投げやりに答える。
今日の私は、くたびれてレースの色が変わった若草色のワンピースに、ボンネットを目深に被っていた。どこからどう見ても平民だ。私を皇女らしく見せていたのは、やはり着ているものの力も大きかったらしい。
(いつも私が皇女らしく見えてるのも、馬子にも衣裳ってやつよね。知ってたけど……)
私はため息をついた。
とにかく、今日街に出た理由は、オフェリア商会に行くためではない。理容室で髪の毛を染める予定なのだ。
本当は離宮に理髪師を呼び寄せようと考えていたものの、それはやめておいた。離宮の侍女たちは私を目の敵にしているナタリーの取り巻きだ。私が定期的に髪の色を染めていることを怪しんで、侍女の誰かが告げ口すれば、私が身代わり皇女だとバレてしまう糸口をナタリーに与えてしまうかもしれない。
そのため、髪を染めるために街に出る必要があった。幸いにも、私は商会に出る機会が多いため、街に出たとしても侍女たちに怪しまれることはない。
やがて、人通りの少ない通りに馬車を止めさせ、ギルジオは少しあたりを見渡す。
「理髪店の前に馬車を停めるとさすがに目立つ。ここからは手筈通りに一人で行ってくれ。……怪しい人に話しかけられて、ホイホイついていくようなことはするなよ」
「大丈夫に決まってるでしょ!」
心配そうなギルジオの言葉に、私は苦笑しながら答えて手を振った。
いくら事情があって皇女のふりをしているとはいえ、私は根っからの平民なのだ。このような街の往来を歩くのはギルジオよりも慣れている。
馬車を停めた通りを足早に去り、私はさっさと通りを曲がって往来に紛れた。平民の変装は完璧だ。今のところ、誰も私に気にかける人なんてない。人々も、まさか皇女が護衛もつけずに歩いているとは思わないだろう。
昼下がりのカリガルは活気にあふれていて、人々は騒々しい。メインの通りには所狭しとばかりに出店も並んでいる。
(こういうところを一人で歩くのって、そういえば久々だなあ)
街を出るときには、いつもギルジオと一緒に行動してきた。
一瞬、故郷にいる家族の顔と一緒に、「今が逃げるチャンスでは」という思いが胸の内によぎる。しかし、今すぐここから逃げたとして、故郷へ帰る前に間違いなく私は捕まってしまうだろう。あまり良い案だとは思えない。
第一、オフェリアとの約束があるのだ。大事な友達との最後の約束を、どうしても反故にしたくはなかった。
しばらく歩くと、ギルジオが手配した理容室は、すぐに見つかった。表の看板は休みだと書いてあったけれど、ドアをノックすると、すぐに年配の理容師が顔を出す。
「予約していたものです」
私が抑えた声でそう言うと、理容師は用心深く周りを見渡し、私を中に招き入れると、深々と頭を下げる。昔気質の職人肌のような風格を漂わせる理容師、といった風采をしている。
ギルジオに余計な詮索はするなとくぎを刺されているのか、理容師は口数が極端に少なかった。
理容師は、黙って通りから見えない奥の部屋に私を通すと、慣れた様子で髪の毛を染め始めた。腕も良いらしく、かなり手際も良い。ぼんやり考えごとをしている間に、あっという間に髪の毛は染め終わった。
口止め料もかなり含んだ料金を理容師に渡すと、長居は無用とばかりに私は丁重にお礼を言ってさっと外に出る。
(追っ手はいないし、大丈夫なはず)
怪しまれない程度にぐるりと回りを見渡し、私は来た道を戻りだす。ギルジオは先ほどの場所に、馬車を停めて待っているはずだ。
外はまだ明るいものの、出店はそろそろ店じまいをはじめていた。いくら首都カリガルの治安は良いとされているとはいえ、さすがに夕暮れ近くなれば一人で歩くのは心もとない。私は早足で目的地まで向かう。
(思ったより早くに終わったし、寄り道していこうかしら……)
一瞬パティスリーの前で足を止めかけたが、やっぱりやめておいた。パティスリーのような対面式の買い物をしてしまうと、私が皇女だとバレてしまうかもしれない。
その上、私は「死神オフェリア」という嫌なあだ名のついた曰く付きの皇女なのだ。歓迎されない可能性だって大いにありえる。
私は後ろ髪ひかれる思いでパティスリーの角を曲がろうと歩き出した。その途端、後ろから誰かに腕を掴まれる。私は驚いて肩を震わせた。
「おい、なにをしている。そっちは人通りが少なくて危ないぞ」
「――ッ!!??」
私が驚いて振り向くと、そこには背の高い、見慣れた人がいた。私は目を見開く。
「えっ、……い、イサク様……!?」
「シッ、あまり大きな声を出すな。目立つと困る」
頭一つ分上から私を鋭い目で見降ろしつつ、イサク様は抑えた声で言った。私は混乱する。
(な、なんでこんな街の往来でイサク様に遭うかな!?)
人違いではないかと何度見ても、やはりイサク様だ。
イサク様は、緋色の髪を隠すように目深にキャスケットを被り、平民がよく着るような白いシャツに、アーガイル柄のチョッキと、ダボっとしたズボンをはいている。
服だけ見れば完璧な平民なのに、顔を見ればイサク様なのでいささか脳内が混乱した。
「な、ななんで、こんなところに……」
「あまり込み入った話を往来でするのは避けるぞ。正体がバレたらまずい」
「あっ、すみません。その通りですね」
「うむ。とりあえず歩くぞ」
イサク様は頷くと、私の手をひいてさっさと移動する。私は慌てた。
「待ってください、さっきの通りに馬車を待たせているんです」
「まあ、多少なら待たせろ。何たったって、あの口うるさい護衛なしのお前を見つけるなんて本当に珍しいからな」
口うるさい護衛、というのは、おそらくギルジオのことだろう。確かに、私とイサク様がこうやって二人きりになったのは初めてだった。
イサク様は街を慣れた様子で歩いている。私はただ、手を引かれるままに歩く。会った時もそうだったけれど、イサク様は少し強引なところがある。
(強引だけど、不思議なことにまったく嫌じゃないのが不思議)
今この状況をギルジオが目撃したら激怒するに違いない。だけれど、どうしてもイサク様の手を振り払えない自分もいる。
「デート」という言葉が脳裏に去来したものの、馬鹿げた考えを追い払った。
(今の状況は、デートっていうより連行に近いし! そうそう、私は今仕方なくイサク様について行ってるだけだから……)
必死で自分に言い訳していると、ふいにイサク様が私の方を見下ろす。
「今日は何ゆえに、街にいるんだ?」
「今日は、その、……お忍びで街を歩いていたんです! ほら、商会を経営する以上、街の様子は知っておきたいですから」
なかなか苦しい言い訳だったものの、イサク様は意外とあっさり信じてくれた。
「そうなのか。熱心だな。オフェリアの商会は、評判がいいと聞く」
「そう言ってもらえて光栄です。おかげさまで、忙しくさせてもらっています」
「ほう、それはいいことだな」
「でも、伸び悩んでいるのも本音なんです。新しい従業員もたくさん雇ったんですが、その分人件費も増えましたしね。カリガルの商売は成熟していますから、迂闊に新規事業を立ち上げると価格で勝負するしかなくなります。かといって、全く新しい事業に手を出すと、かなり大きな投資になりますし……」
「ほう……。いろいろと悩みがあるのだな」
イサク様は面白そうに顎を撫でた。
「俺には商いの知見がないから、興味深いな」
「ええ、商いはすごく奥が深くて……って、あっ、私のことばかりはなしてしまいましたね! すみません! 私、すぐペラペラ自分のことばっかり話しちゃうんです! ギルジオにそれでいつも注意されて……、あっ、私、また自分の話を……! ごめんなさい!」
まったく、私はイサク様相手に何を話しているのだろう。頬が火照るのを感じて、私は俯いた。
そんな私に、イサク様は不思議そうな顔をする。
「なぜ謝るんだ。もっと話してほしい。俺はその、……あまり話すのが得意ではないからな。話してくれる方がありがたい」
「そ、そんな! 私ばっかり話すのは気が引けます! あの、イサク様は、なぜここに?」
「散歩をしていた」
「さ、散歩?」
「そうだ。時々王宮を抜け出して、こうやって街まで歩くんだ」
「ここまで馬車でかなりかかりますよ!?」
「そうだな。いい運動になる。たまには、オフェリアもどうだ? 歩いていると気も晴れる」
気分転換をしたいからと、皇子があっさり王宮を抜け出せることに驚きだ。私なんて、部屋から少し離れただけでギルジオに大目玉を食らうというのに。
しばらく行くと、丘の上の公園のような場所に出た。どうやら、イサク様はここを目指していたらしい。人気のない夕方の公園に、心地よい風が吹いていた。
「この場所まで迷いなく来られたということは、本当によく街に出られているのですね」
「いや、そうでもない。街に出るようになったのは最近だ。この前、俺はオフェリアに諫められただろう」
「えっ、私、何か言いました?」
「言ったぞ。最初に会った時、『身分に関係なく話を聞かねばならない』、とな」
「ああ、なるほど」
確か、ギルジオに向かって『没落貴族の出身であるお前の話は聞く価値がない』と言い放ったイサク様に、私は生意気にも『そんなことはない』と反論したのだ。
とっさに口をついた言葉だったとはいえ、今思うと心臓が冷える。
イサク様は嘆息した。
「あれには、なかなか考えさせられた。たしかに、王として国民の意見は分け隔てなく聞く必要があるのに、俺は無意識に貴族と平民とを分けて考えている節があった」
「は、はあ」
「だから、手始めに街に出てみたんだ」
「それは、とっても殊勝な心掛けですわ」
私は驚いた。こうも素直に私の意見を受け入れてくれるなんて、思ってもみなかった。目の前にいる緋色の髪の皇子はまっすぐで素直で、それでいて理想的な王になろうという強い意志がある。
イサク様のヘーゼル色の瞳は、まっすぐにキラキラと輝いていて眩しかった。
「……実際、街を歩いてみてどうですか?」
「おかげで視野が広がったように思う。……お前のおかげだ」
「まあ。私のような若輩者に、そのようなお言葉をかけてくださるなんて、僥倖の至りです」
「謙遜はよせ、オフェリア。俺に堂々と諫言できる人間はなかなかいない。お前のような存在はなかなか貴重なんだぞ。第一、俺たちは同い年なんだ。そう改まったしゃべり方はよしてくれ」
「し、しかし……」
「お前は、どこまでも俺に一線を引きたがっていないか?」
ずいずいと迫ってくるイサク様に、私は口をパクパクさせる。
(そういえば、イサク様とオフェリアは同い年で、で、でも、相手はこの国の皇子様だし、本当の私は16歳だし……。あ、でも本当に私が16歳だとしてもイサク様には関係ないんだって、えっと、でも……)
私が混乱して頭がぐるぐるし始めた私を見て、イサク様は小さく吹き出した。
「すまない。からかいすぎたな。まあ、しゃべり方についてはおいおい直してくれ」
「……善処します……」
「その話し方をやめてくれと頼んでいるのだ。まったく、俺は諦めないぞ。……しかし、お前は本当にくるくる表情が変わっておもしろいなあ」
「えっ、そうですか?」
「ああ、そっちのほうがいい。王宮にいる時のお前は、笑顔の仮面をつけたまま、感情を押し殺しているように見えるぞ」
「うっ……」
私は言葉に詰まった。図星だ。
「作り笑いにはかなり自信があったんですけれど、バレていますか? 私、あんまり王宮の宴のような席は得意ではなくて……」
「いや、ぱっと見では分からないと思うぞ。しかし、よくよく見ると、目がガラス玉みたいになっている」
「目が死んでるってことですよね? うう……、もっと自然に笑えるように心がけます……」
「俺しか気づいていないと思うがな」
イサク様はそういうと、思案げに顎に指をあてた。
「まあ、そもそも王宮に来たときはとにかく元気がなかったが、多少回復したようでなによりだ」
「ああ、あの時は長旅で疲れていましたから」
「いや、そういう話ではない」
「えっ?」
怪訝そうな私を見て、イサク様は言葉を探すように、逡巡し、やがて口を開いた。
「……お前は王宮に来たとき、悲しそうな顔をしていた。だから、誰か大事な人を亡くしたんだと思っていたんだが、違うか?」
私は、皇子の口から出た思わぬ問いに息をのんだ。





