40.緋色の皇子
深緑色の華麗な軍服に、燃えるような赤毛がよく映える緋色のマントをひるがえし、突然あらわれたイサク様に、広間にいた貴族たちがどよめいた。貴族令嬢たちはうっとりとした顔でその姿を目で追っている。
私はイサク様に腰を折って王宮流の挨拶をする。私の横にいたギルジオが渋々といった様子で私に倣った。
「イサク様、お久しぶりです」
「ああ」
私たちを興味津々で見ていた貴族たちが驚いた顔をする。玉座を争っており、敵対しているはずの第一皇女と第二皇子が、どういうわけか親しげに言葉を交わし始めたためだ。
ざわめきをものともせず、イサク様は熱心に私を上から下まで眺めた。
「……うん、ドレスも似合っているな。そう思わないか、ナタリー?」
「お、お兄様! 社交デビューにしてはこのドレスの色は普通じゃなくてよ!」
「黒は特別な色だ。オフェリアに良く似合う」
なおも私への敵対心をあらわにするナタリーにさらりと返すと、イサク様はナタリーの厳しい目線から私を庇うようにイサク様は私の少し前に立つ。私よりもずっと背が高い彼は、私と目線を合わせるために少しかがんで私の顔を覗き込んだ。
「それにしても、顔色が悪い気がする。疲れているか?」
「えっと、少しだけ」
ぶっきらぼうな問いに、私は戸惑いながら答える。
私に向けられる鋭い目つきや、歯に衣を着せぬ物言いは前会った時と全く変わらない。なのに、この人と一緒にいると奇妙なな安心感すら覚えてしまう。
私の横に立ったイサク様に、オフェリアが上目遣いで訴える。
「お、お兄様! お聞きください! オフェリアったら……」
「ナタリー、止めろ。皆が見ている」
「なによなによ、お兄様はその田舎者を庇うっていうの!? その女は敵よ!」
「敵も味方もないだろう。それに、オフェリアもさすがに長旅で疲れていることくらいお前もわかるはずだ。気遣ってやれ」
ナタリーは、ぎゅっと唇を噛んでしばし沈黙した。
「……お兄様がそこまで言うのであれば、わかりました」
ナタリーは悔しそうに私を睨みつけ、挨拶もなしに踵を返して去っていく。取り巻きたちも慌てて後に続いた。
イサク様は嘆息した。
「ナタリーはどうも、少し嫉妬屋のきらいがあるな……。困ったものだ。許してやってくれ」
「い、いえ、気にしておりませんわ」
「寛大だな、オフェリアは。……しかし、やはりあまり今日は無理をしないほうが良いのではないか? このような場所に長居しては、身体に障るぞ」
「ですが、今夜は私のために開かれたパーティーです。そういうわけには……」
今日は私が王宮に来たために宴が催されているのだ。パーティーの主役たる私が中座するのは気が引ける。
イサク様は少し考えた後、なにかを思い出したようにいたずらっぽく微笑んだ。
「では、言い直す。俺にしばし付き合ってくれ。それならいいだろう?」
そういうと、イサク様は私の答えを聞かず、踵を返す。戸惑うような貴族たちの視線を一手に集めつつ、私たちは会場を後にした。
イサク様が私を連れてやってきたのは、王宮の二階にある豪奢な部屋だった。普段は客人をもてなすための部屋らしい。
ちゃっかり私たちについてきたギルジオに、イサク様が苦笑する。
「意地でもお前は俺とオフェリアが二人きりになるのを回避したいようだな」
「護衛ですので」
厳しい顔のままギルジオは答えると、私がパーティーの間じゅう手にしていたグラスをさっと取りあげる。グラスの中身は一切減っていない。私が貴族たちに囲まれて話し続けた結果、すっかり飲むタイミングを逃してしまっていたためだ。
ギルジオは、おもむろに窓を開け、グラスの中身を外に捨てた。私はぎょっとしてギルジオの腕をつかむ。
「ギルジオ、何をやっているの!? 外に人がいたらどうするの!」
「オフェリア様、申し遅れましたが、パーティーの際に出された飲み物は口にしませんよう。食べ物についても同様です。中には毒を混入させる不届きモノもいますので」
淡々とした口調のギルジオの言葉には含みがあった。
つまり、マレーイ城で私の紅茶に毒物をいれられた事件を忘れるな、と暗に言っているのだ。それはもちろん、イサク様への牽制の意味を持つ。ギルジオは、未だにあの毒物騒ぎの真犯人はイサク様たちだと疑っているのだ。
一瞬にして、イサク様とギルジオの間に剣呑な雰囲気が漂う。
(忘れてた! この二人って仲が悪いんだった!)
私は慌てて無理やり二人の間に割って入る。
「ギルジオ、今はそのようなことを口にする時ではありません。イサク様は、困っていた私を助けてくださったのよ。あなたも分かってるでしょう?」
「……はい」
ギルジオは不服そうな顔をしたものの、ややあって頷いて一歩下がる。貴族たちからの執拗な質問攻めから守ってくれたのは、他でもないイサク様だと一応理解しているのだろう。
私は改めてイサク様と向き合って頭を下げる。
「助けてくださってありがとうございました。……それから、こちらに来る際に連絡すると言ったのに、約束を反故にしてしまってすみません」
「ああ、連絡が来なかったな。その件については俺も少し拗ねていたのだぞ」
「イサク様が、拗ねて……!? そ、それはすみませんでした!」
イサク様らしからぬ発言に私は驚く。イサク様は慌てた私を見て、からかうような含み笑いをする。
「冗談だ」
笑ったとたんに子供っぽくなるイサク様の表情にどうしても胸が高鳴ってしまう。私はなんとか微笑み返した。
イサク様は頬をかく。
「まあ、手紙をもらえなかったのが残念だと思ったことに嘘はない。俺は、けっこうお前がこっちに来るのを楽しみにしていたんだ」
「まあ……」
「改めて、オフェリア。ようこそカリガルへ。無事にこちらに来てくれて嬉しい」
人をいとも簡単に射殺しそうなほど鋭いいつもの視線がふいにやわらぎ、優しい目が私に向けられる。イサク様の言葉に他意はなく、純粋が王宮に移ったこと喜ばしく思っているらしい。
(イサク様は、貴族らしくない……)
少なくとも、私を取り囲んで、心にない世辞を言いながら鋭い棘をぶつけてきたあの貴族たちとは、全く違う部類の人のように私には思える。
当のイサク様は私をふかふかのソファに座らせると、足置き用のスツールも私の足元に運んでくれた。
「とにかく、しばらくここで休んで、今日のところは離れに戻ったほうが良い。俺が適当に言い訳しておくから、あとのことは心配するな」
「イサク様の言っていることは、信頼してはいけません。オフェリア様、ここで宴を離れては、どんな噂をされるかわかったものではありません。宴にお戻りください」
ギルジオはイサク様にねめつけるような視線を向ける。イサク様はあからさまに呆れた顔をした。
「ギルジオ、お前はそういうくだらない疑心のせいでオフェリアの体調が悪くなったらどうするんだ」
「しかし……」
「俺は、嘘をつく気はない」
そう言って、イサク様はヘーゼル色の鋭い瞳をこちらに向けた。その瞳からは私たちを欺こうとするような色は、微塵として感じられない。
私は頷いた。ギルジオは不服そうに身じろぎしたものの、大人しく身を引く。
「では、俺はそろそろ行く。もう少し話したいこともあるが、あまり宴から離れると変な噂がたちかねない」
「……あの、一つだけ確認させてください。イサク様はなぜ私にそこまで良くしてくださるのですか? 同じ玉座を目指すのですから、イサク様にとって私は邪魔な存在なのでは……」
思わず私がそう質問した時、イサク様が答えを言う前にドアがばーん、と開いた。ノックなしにドアを無遠慮に開けたのは、シルファーン卿だった。どうやら、イサク様を探していたらしい。後ろから、焦った顔のライムンドも顔を覗かせる。
「イサク様! パーティー会場にいらっしゃらないから焦りましたよ! また押し寄せるご令嬢の相手をするのが嫌になって、どっかに脱走したかと!」
「オフェリア様、こちらにいらっしゃったんですね! お加減は? 第二皇子と中座されたと聞いて驚きましたよ」
「珍しくオルディアレス卿と意見が一致しましたね。私も驚きました。まったく、よりによってオフェリア様と一緒なんて! ナタリー様のご機嫌が最悪で当たり散らされたんですよ、私は!」
イサク様は騒ぎ立てるシルファーン卿とライムンドに、露骨に嫌そうな顔をする。
「もう脱走はしない。ナタリーはお前の方が扱いがうまいだろう。どうにかしてくれ」
「はいはい、わかりましたよ! 早く会場に戻ってください! イサク様はさっさとご令嬢から手ごろな結婚相手を選び、私の仕事を減らしてください! この際もう誰でも良いのですよ! さっさとお相手を決めていただきたく!」
「うるさい、押すな。お前に言われなくても今すぐにでも戻るつもりだった」
イサク様は、ムッとした顔のまま、シルファーン卿を従え大股で部屋を去っていく。
部屋を出る時に、イサク様はくるりとこちらを振り返った。
「先ほどの質問の答えがまだだったな。理由は、そうだな……『俺がそうしたいから』、だ」
「えっ、それってどういう……」
「ではな。今日はゆっくり休むと良い」
それだけ言うと、イサク様は別れの挨拶もそこそこに、緋色のマントをひるがえして今度こそ部屋を去っていった。





