39.あっちもこっちも敵だらけ
「……さあ、オフェリア、こちらへ」」
朗々とした女皇の声が私の偽りの名を呼ぶ。私が顔を上げたと同時に、見たこともないほど大きな扉がさっと開いた。
痛いほどの視線が、ざっと私に集中する。一瞬足が止まりかけたけれど、私はなんとか一歩踏み出す。
平民であるコリン・ブリダンは、今、第一皇女オフェリアとして貴族たちの前に姿を現した。
緊張しすぎて口から心臓が飛び出しそうだ。だけれど、もう後戻りはできない。
私は豪奢なドレスの裾を踏んづけないように気を付けながら、赤いカーペット上を進む。パーティーに集まった貴族たちは品定めするような視線を私に向けている。私のすぐ後ろを、恭しくギルジオが歩いた。ギルジオに熱い視線を送る貴族令嬢たちの姿もちらほらあるものの、当のギルジオはあの性格からして全く気付いていないだろう。
玉座で頬杖をついたアマラ様に、私は王宮作法に則ってまず礼をとる。
「数多の神々に愛されしこの帝国に祝福あれ。遍く皇帝の御力に幸いあれ」
散々練習した拝謁の際のお決まりの口上を述べると、貴族たちが一斉にどよめく。アマラ王の後ろに控えていたオルディアレス卿ことライムンドが、心なしか安堵の表情を浮かべた。身代わり皇女のデビューを失敗しないかとひそかに心配していたのだろう。
アマラ王が妖しく微笑む。
「オフェリア、堅苦しい挨拶はそこまで。皆に顔を見せてあげなさい」
「はい。……皆さま、ごきげんよう。お久しゅうございます」
私はそう言って、貴族たちをぐるりと見渡して軽い礼をとる。貴族たちが、ほう、とため息をつくのが聞こえた。どうやら、初めての印象としてはまずまずと言ったところなのだろう。そんな中、私の視線からサッと目をそらす令嬢たちを見つける。
イサク様の妹、ナタリーと、その取り巻きの一団だ。そして、取り巻きたちは私に仕えたばかりの侍女たちだった。
(はー、なるほどねえ)
一瞬にして事情を把握した私はため息をつきたくなるのを何とかこらえる。
あの侍女たちが大事なパーティーで私に喪服を着せるなんて嫌がらせをしたのは、彼女たちがナタリーの取り巻きだったためらしい。
前回会った時に「悪役令嬢みたいな子だな……」と思ったけれど、私の勘は全く間違っていなかったらしい。さすが悪役令嬢、やることがえげつない。
ただ、ナタリーの顔に浮かんでいる悔しそうな表情を見ると、どうも嫌がらせは失敗したようだ。
(はあ、思い付きのアイディアがうまくいって良かった)
私は心の中で安堵の息をついた。
パーティーに行く時間ギリギリになって、喪服を着させられたことに気づいた時には肝が冷えた。だけれど、ショックを受けて立ちすくんでいる暇さえあの時の私にはなかった。私はとにかくギルジオと打開策はないかとクローゼット中を探しまわり、発見したのが鮮やかな黄色のストールだ。
『ギルジオ、着物の帯みたいにこのストールを私の腰に巻いて!』
『キモノノ、オビ?』
『あー、ベルトみたいに巻いてほしいってこと! それで、後ろでいい感じのリボン結びにしてくれる?』
不可解そうな顔をするギルジオにそう指示して、私は髪の毛もさっさとほどいて緩いハーフアップにする。それくらいのヘアアレンジくらいなら一人ですぐにできるよう、教育係のマリーが徹底的に叩き込んだのだ。おそらく、あらゆる不測の事態にも対応できるように、というマリーの配慮だろう。
(マリーってば、私が嫌がらせされることまでしっかり予想してたってことね)
厳しいながら、優秀な教育係についてもらったのは身代わり皇女である私にとってかなり僥倖だった。
そんなこんなで、急ごしらえではあったけれど、私は喪服で社交デビューを飾る、という最悪な事態は何とかぎりぎりで免れた。
頬杖をついたアマラ王は、私の後ろで笑う。
「オフェリアよ、そう緊張せずに良い。みな、お前のことを歓迎しているのだぞ」
「そうだと良いのですが……」
そう言いながら、私はちらりとナタリーのほうに目を向ける。ナタリーと私は一瞬目が合ったけれど、ナタリーがすぐに目をそらした。牽制は一応うまくいったようだ。
アマラ王は私の発した言葉の中の棘に気づかないふりをして、「楽しむが良い」とだけ言うと、右手をさっとあげた。それがパーティー開始の合図だったらしく、楽団が陽気な音楽を奏で始め、召し使いたちが忙しそうに給仕を始める。
アマラ王は挨拶だけ済ませると、さっさとパーティー会場を出て行ってしまった。自由奔放な女王と聞いていたけれど、前評判通りのようだ。皆と親睦を深めようという気はさらさらないらしい。
後ろにいたギルジオがサッと私の後ろについて耳打ちする。
「来るぞ。俺から離れるなよ」
「来るぞってどういう――……」
私がギルジオに聞き返す前に、あっという間に私たちは好奇心を隠そうともしない貴族たちに囲まれた。
「お久しゅうございますな、オフェリア様。わたくしめのこと、覚えていますかな?」
「いやはや、社交界に姿を現さない間に、お美しくなられましたな!」
押し寄せる貴族たちから次々と投げられる言葉に、私は何とか笑顔で応じる。
「おかげさまで。皆さんお元気そうで何よりです」
私の返答に貴族たちは表だけは優雅な笑みを浮かべる。そこからは怒涛の質問攻めが始まった。
どの質問も、表向きはまるで世間話のような普通の会話だったものの、どうにかして私の粗を探しているようにしか思えないものだらけだ。しかも、時々するどい棘のある質問をなげかけてくるからたまったものではない。後ろで控えるギルジオが時々殺気を放ちながら返答する場面も何回もあった。
(な、何なのよコイツら……)
見た目は確かに美しく、立派だ。しかし、中身はあまりに醜悪。
給仕に渡されたグラスを口につけることすらも許されないほど、矢継ぎ早に質問されるのにも、いいかげんうんざりする。
この場所にいる貴族たちは、オフェリアの存在を少なくとも快く思っていないらしい。敵はナタリーばかりではないということだ。
しかも、人だかりはなかなか私を解放してくれない。夜が更けてきているのに、私に対する追及は止まりそうもない。
(これってもしかして、朝まで続くの?)
一瞬眩暈すら覚えたその時、ふと人垣の向こうから「どいてくださる?」とお気位の高そうな甲高い声が響いた。私の周りにいた貴族たちが、ぎょっとしたように道を空け、散り散りに去っていく。
人が一瞬私の周りから離れていき、安堵のため息をついたのもつかの間、人の波が割れた間を堂々とこちらに歩いてくる人物を見て、私は顔をしかめたくなった。
たくさんの取り巻きを従え、こちらに歩いてくるのは、燃えるような赤髪の美少女。第四皇女ナタリーだ。
「ごきげんよう、オフェリア。相変わらず辛気臭い顔だこと」
「ごきげんよう、ナタリー……と、皆さん。良い夜ですね」
隠そうともしないナタリーの言葉の棘を、私は全力でスルーした。
周りの貴族たちが、野次馬根性丸出しで遠くから私を見ている。完全に多勢に無勢という状況にもかかわらず、どうやら誰も助け船を出す気はなさそうだ。
ナタリーは高飛車な態度を崩さず、私を上から下までねめつけて小馬鹿にしたように笑う。
「なかなか王宮に上がらないから、てっきり王位を捨てたいのかと思っていたわ。この期に及んでのこのこやってくるなんて、本当に厚かましいのね」
「その節は失礼いたしました。なかなか体調が整わず、王宮に上がるタイミングを逃し続けてしまいましたの」
「虚弱な王はこの国に不要でしてよ、オフェリア。早くあの磯臭い居城に戻ったほうがよろしいのではなくて?」
野次馬たちの間でクスクスと意地の悪い笑い声が響く。
表情から鑑みるに、ナタリーはかなり機嫌が悪いようだった。私にどうにかして一矢報いてやらねば、という魂胆が丸見えである。それに、話しかけてくる時間も絶妙だ。おそらくほかの貴族たちが私を弱らせたのを確認し、満を持して今声をかけたのだ。
どうやら、嫌がらせが失敗に終わったことにそうとう腹を立てているらしい。くどくどと貴族らしい遠回しな嫌味は、私の着ているドレスにまで及ぶ。
「まったく、パーティーに久々に出て、黒のドレスを選んでくるなんて、奇抜なセンスをしているのね。せっかくだから教えて差し上げますけれど、一般的にはもっと明るい色を選ぶものでしてよ」
口元が一瞬引きつりかけたけれど、なんとか耐える。
(いやいや、差し向けたのは自分じゃん!)
そう言いたいのもやまやまだけど、今は我慢の時だ。
しかし、さすがに後ろに控えていた短気なギルジオが、我慢ならぬ、といった様子で一歩前に出る。そして、ナタリーたち、――いや、正しくはナタリーの後ろにいる取り巻きたちを、睨みつけた。私に嫌がらせしたのを、ギルジオは許す気がないようだ。
ギルジオに睨まれた取り巻きたちが一斉に震え上がった。ギルジオの整った顔立ちが怒るとそこそこ迫力があるのだ。
しかし、しゅんとした取り巻きたちに反して、ナタリーはなお強気だった。
「だから田舎に引きこもっていた貴女なんてお兄様の足元にも及ばな――……」
そこまでナタリーが言い募ったとき、にわかにパーティー会場が騒がしくなった。ナタリーは不快そうな顔をする。
「何なの? せっかくいいところ……」
「オフェリア!」
私たちを遠巻きに見ていた野次馬をかき分けて、誰かが私を呼んだ。私の心臓が跳ねる。
「オフェリア! すまない、遅くなってしまった」
「お、お兄様なんで!? 今日は遅くなるって……」
私の前でふんぞり返っていたナタリーが私を呼ぶ声の主が登場した途端、途端にまごつき始める。
それもそのはず、あらわれたのはナタリーの大好きなお兄様こと、この国の第二皇子イサク様だった。





