38.ある侍女の思惑
一時的に侍女Aの視点となります!
私、ジャンヌ・マリブはざわつく王宮のホールで、小さなため息をついた。
理由は単純。今日は特別なパーティーだというのに、私が今朝選んだ薄緑色のドレスが隣でふんぞり返っているミランダのドレスと色が似ているせいだ。ミランダのドレスのほうがやや鮮やかな色のため、完璧に見劣りしてしまっている気がする。
(今日はとっておきのパーティーだっていうのに、最悪。お給金が出たら、新しくドレス買わなきゃ)
私は欲望で口元が歪みそうになるのを、扇子でそっと隠した。
幸いなことに、お金のアテはある。最近、親のツテで世間知らずの第一皇女の侍女になることができたのだ。あの「死神オフェリア」と名高いあのぽっと出の田舎娘の侍女になるだなんて、気に入らないことこの上ないけれど、お給金はそれなりに良い。
私が次のドレスを買うための皮算用をし始めたその時、他の貴族令嬢たちと噂話に花を咲かせていたミランダが急に歓声をあげ、小走りで一人のひときわ豪奢なドレスを着た少女の元へ走り寄る。後れを取るまいと、私たちも慌てて後に続いた。
「ナタリー様、ごきげんよう。今日も素敵ですわ」
「本当に! 今日のドレスも、お似合いですね」
私たちが口々に猫なで声で媚びへつらうと、当のナタリー様は慣れた様子で頷いた。今日も目鼻立ちがはっきりした顔に、高級な白粉をたっぷり塗っている。
私やミランダは、ナタリー様のいわゆる「取り巻き」かつ「太鼓持ち」だ。
御機嫌を伺いつつ、私たちは口々にナタリー様を褒め称える。そうしていれば、この社交界では安泰にやっていける。逆に言えば、ナタリー様に目をつけられた貴族令嬢はこの王宮ではやっていけない。
ひとしきり褒められて上機嫌になったナタリー様は、ニッコリと微笑む。
「皆さんごきげんよう。このドレス、ビヨンヌ地方のレースをふんだんに使ったものですの。ここ最近の流行と聞いていましてよ」
ナタリー様の一言で、ビヨンヌ地方のレース織のドレスを買おうと私は心に決めた。
ナタリー様はこの国の第四皇女であり、第二皇子であるイサク様の妹君だ。当然、この社交界における発言力も影響力も計り知れないほど強く、特にファッションの分野においては、ナタリー様のドレスがいつだって流行の最先端だ。
ナタリー様が「ここ最近の流行と聞いていましてよ」と言えば、次の流行はナタリー様の思い通りになるのだ。もしナタリー様が「ここ最近の流行は寝間着でしてよ」と言えば、私たちは喜んでダンスパーティーに寝間着で参加するだろう。
私の横でミランダがキョロキョロしながら落ち着かなげに口を開いた。
「ナタリー様、イサク様はどこですの?」
ミランダの質問に、私たちの目が一斉に光った。イサク様は皇子であるにも関わらず、まだ婚約者がいない。そのため、私たち貴族令嬢はイサク様になんとか近づき、あわよくば恋人になろうと躍起になっているのだ。
ナタリー様はこともなげに答えた。
「お兄様は宰相様とお話してから来られるようですわ。何やら大事なお話があるとか」
「まあ、あの気難しい宰相殿にイサク様はもう頼られていますのね。やはり次の王に相応しいのはイサク様ですわ」
一瞬、ナタリー様の頬がヒクリと引きつった。どうやら触れてはいけない話題に触れてしまったようだ。
「そうよ、本当に次期王は私のイサクお兄様がふさわしいって言うのに、あの女がいるから……」
忌々し気に、ナタリー様は爪を噛む。私たちは顔を見合わせた。
あの女、とは、おそらく私たちが仕えている第一皇女 オフェリアのことだ。
あの亜麻色の髪の世間知らずのお嬢様は、アマラ王の勅令で第一皇女になったその日から、ナタリー様の目の上のたん瘤だ。
なんたって、ナタリー様の自慢の兄であるイサク様が、アマラ王の気まぐれのような勅令で王位継承権の位を下げた。王としての素質は申し分ないというのに。そして、王位継承権第一位になったのは、田舎で社交界を避けて暮らしていたあの世間知らずの皇女、オフェリアだったわけで。
当然、ナタリー様はそれが気に入らない。第一皇女オフェリアは、ナタリー様の恰好の攻撃対象になってしまったのはある意味必然だった。
苛々しているナタリー様を、年長のミランダがやんわりとたしなめる。
「ナタリー様、綺麗な爪を噛んでしまってはいけませんわ」
「でも……」
「その例の女ですけれど、一昨日あたりに離れの荘に到着しましたわよ。連れてくる侍女も少ないし、最初はどこの侍女が来たのかと思いましたけれど」
ミランダの一言を皮切りに、一斉に私たちは笑みを浮かべる。口元は笑っているだけで、目には底意地の悪い、薄暗い感情が揺らめいていた。
「まったくもって田舎臭い女ですのよ!」
「喋り方も馴れ馴れしくて野蛮!」
「髪もボサボサで、野暮ったい服を着ていて!」
私たちの話に、ナタリー様は不機嫌そうな表情を一変させ、徐々に笑みを深めていく。
オフェリア様の悪口を聞いて、ナタリー様がすっかり上機嫌になったところで、ミランダがとっておきの話題を口にした。
「今日は見ものですわ。なんたって、あの女、今日は喪服を着てきますのよ」
「ええ、パーティーに喪服を!?」
ナタリー様は驚いた顔をした後、心底おもしろいことを聞いたように目を細めた。どうやら私たちの嫌がらせをたいそう気に入った様子だった。
「あの女、なんの疑いもせず真っ黒のドレス着ましたわ。やっぱり何もわかってない田舎者。あの女が第一皇女なんて、信じられませんわ」
「まあ、死神オフェリアのあだ名に相応しい恰好! お似合いじゃない」
「その通りですわ」
ミランダも、満足そうに微笑んだ。
『死神オフェリアに相応しい服を選びましょう』
そう言い始めたのはミランダだった。
「死神オフェリア」とは、第一皇女オフェリアについたあだ名だ。なんでも、生まれたときに疫病が流行り、身内も何人か立て続けに喪ったらしい。そこで、不吉がってつけられたあだ名が、「死神オフェリア」だった。
恐らく、第一皇女オフェリアは、社交界デビューの日によりにもよって喪服を着てきたと笑いものになるはずだ。
その上に、死神オフェリアというあだ名もある。鮮烈なデビューになることは間違いないだろう。
みんなで顔を見合わせてクスクスと笑ったその時、侍従が皇帝であるアマラ様の到来を告げた。
私たちは慌てて大扉に最高位の礼を取る。大扉から宰相であるオルディアレス卿とシルファーン卿を引き連れてホールに現れたアマラ様は、ひときわ輝いていた。
赤色の輝かんばかりの髪は長く、頭の高いところに緩く一つに結んでいる。整った顔立ちで何よりひときわ美しいのはその眼だ。深緑色の瞳は、ブルエット地方で産出される輝くエメラルドを思い起こされる。ドレスは混じりけのない白色で、歩くたびに大量のビジューがきらめいた。
「今宵は、星がきらめく美しい夜だな。神々も大いに祝福していることだろう。……まあ、食べ、飲み、騒ぎ、思い思いに楽しむが良い」
形式にとらわれない、ぶっきらぼうな挨拶はいつも通りだ。
アマラ様は破天荒な人だった。
この美しい皇帝が即位して二年経つ。兄である皇帝が崩御し、王位継承権に最も遠かった彼女は予期せぬかたちで玉座についた。つまり、「とりあえず次の皇帝までのつなぎで」この国のトップとなったわけだ。何せ、この国が女を皇帝に置いたのは長い歴史上初めてだった。
だからこそ、誰も彼女に皇帝としての役割も、資質さえも求めていなかった。
しかし、アマラ皇帝は周囲の予想や期待を大きく裏切り、その真価を存分に発揮した。腐敗していた政治を改め、法を精査し、予算を大幅に改変した。その辣腕ぶりは大いに周囲を驚かせた。
そのアマラ皇帝が、玉座の証たる、皇帝だけが座ることを許された豪奢な椅子にゆったりと座る。紅をつけて妖しいまでに赤く艶めく唇が、微笑んだ。挨拶をさっさと切り上げようとしたアマラ皇帝に、後ろで控えていたオルディアレス卿が耳打ちする。
「……チッ、めんどくさい。ああ? うーん……、……確かに紹介しておかねばなるまいか。あー、諸君。今日、この社交界に迎える人物は、この国にとって大事な人間だ。第一皇女オフェリアがようやくこの王宮に来た」
おお、というざわめきが、貴族たちの間に広まる。そのざわめきは、好意的というよりも、多少好奇心や揶揄の混じったざわめきだった。
「死神オフェリア」は貴族たちの間では伝説の存在だ。先王の一人娘であるのにもかかわらず、社交界にはほとんど姿を現さず、ずっと田舎に閉じこもっていた深窓の姫君。最近まで死亡説すらまことしやかにささやかれていた程度に、彼女が表舞台に出てくることは今までなかった。
「オフェリアは身体が弱く、長らく臥せっていたと聞く。私が無理やりこちらに呼んだのだ。あまり突っついてやるなよ。……さあ、オフェリア、こちらへ」
アマラ様の合図で、大扉がサッと開いた。
貴族たちの視線が大扉に集中する。ナタリー様は興奮が抑えきれない様子でクスクスと笑った。
私たちも押し合いへし合いしながら、喪服を着て現れるはずの田舎娘をなんとか見てやろうと躍起になった。
(さあ、赤っ恥をかきなさい、死神オフェリア!)
大扉が開く。パーティー会場のざわめきが大きくなった。
そこに現れたのは、豪奢な黒いドレスを着た気高い貴族令嬢だった。私たちが仕立てた辛気臭い喪服姿の田舎娘の姿はそこにない。
あまりに美しい貴族令嬢の出現に、貴族たちが揃って、ほう、とため息をついた。
「えっ、なんで……?」
私は思わずつぶやく。
確かに、私たちがあの豪華絢爛のクローゼットの中から選んだのは喪服だったはずだ。死神オフェリアの名にふさわしい、今すぐにでも誰かの葬儀に行けるほど完璧な喪服だ。
なのに、ホールに現れたのは洗練された格好の別人だ。確かに黒いドレスは着せ付けたものと同じだけれど、印象は全く違う。
亜麻色の髪は野暮ったいまとめ髪ではなく、ほどよいハーフアップにして、豪奢な花飾りを美しく散らしている。デコルテで光る大ぶりの美しいトパーズのネックレスは程よく花を添えている。
そして、何より、黒いドレスだったはずのドレスは、私たちが着せた時と全く違っていた。違いは一目瞭然で、鮮やかな黄色の薄い布地を腰に巻きつけており、それを後ろでリボンにしているのだ。黄色いリボンは豪奢な黒いドレスに映え、黒いドレスはすっかり様変わりし、喪服を連想させ難いものになっているわけだ。
美しい皇女は、端正な顔の騎士を連れ立って、堂々と広間の真ん中を進む。
「な、なんで……」
「私たちが選んだのはあんな格好じゃなかったはず……」
困惑したミランダと私たちは顔を見合わせる。
そんななか、ナタリー様が怒りでわなわなと震えていた。
「なによ、なによこれ……!! 全然、全ッ然話が違うじゃない……!!」
ナタリー様の怒気混じりの呟きに、私たちはただ、震え上がって俯くことしかできなかった。





