34.気まずい旅路
美の女神ティテーがつくったと呼ばれるイフレン帝国の首都カリガルは、大いににぎわっていた。色とりどりの市場に、騒ぎあう大勢の人々。道は広く、両脇には所狭しと立派な石造りの建物がひしめき合う。
そして、さらにすごいのが丘の上にある王宮だ。イフレン王国伝統の建築様式をふんだんに取り入れた豪奢な城の壁は、輝かんばかりの白亜で、尖塔の屋根の色は青空を溶かし込んだようなスカイブルー。まるでおとぎ話に出てくる荘厳なお城のようだ。
馬車の窓から外を眺めていた私は、思わず歓声をあげた。
「わあ、すごい。私、あそこに行くのね」
「ええ。この街のどこからでも、王宮を見ることができるつくりになっています。下々の民まで、偉大なる王の御力をいつも感じられるようにと」
「なるほどね」
「そろそろ中心街に入ります。ここからはカーテンは閉めておきましょう。下々の民に無下にご尊顔を見られるのはよくありませんよ」
「……別に私の顔が見られたって、なにか減るわけでもないじゃない」
「オフェリア様」
ライムンドにたしなめられて、私は仕方なく頷いてカーテンを閉める。
「やっと目的地に到着するのね……。4日も馬車に乗りっぱなしで、さすがに疲れちゃった。早くゆっくりお風呂に入りたい」
「帰ったらすぐに風呂を用意させましょう。明日はパーティーが開かれますから、今日のうちに疲れを取らなくては」
「休ませる気はないってことね」
私はため息交じりにつぶやいた。
ギルジオ、ライムンドとの気まずい雰囲気の旅もようやく終わる。宿で寝るとき以外はずっと一緒だったのだ。さすがに息が詰まって仕方なかった。王宮に上がることに不安はあるけれど、それよりもこの旅が終わることに正直ホッとしているのも事実だ。
(いつも私の話に頷いてくれるギルジオも、さすがにふさぎ込んで無口だし……)
私の話し相手は、必然的にライムンドだけだった。時々ギルジオが口を開いても、どこか上の空で、よそよそしい。
理由は明白だ。ギルジオはほんの数日前に、大事な幼馴染であるオフェリアを喪ったのだ。
ギルジオは、静かに喪に服している。私も、その邪魔をする気は毛頭なかった。
私の心の中にも、オフェリアの死は暗い影を落としている。私は、誰かとオフェリアのことを話したかった。
(誰かと話せば、少しは気がまぎれるんだけどな……)
マレーイ城で身の回りの世話をしてくれていたアンやマリーがすでに恋しかった。あの二人と一緒なら、もう少し旅もマシだっただろう。
「アンやマリーは、元気かな……」
思わず口からこぼれた独り言に、ライムンドが折り目正しい微笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ。また王宮では新しく侍女がつきます。オフェリア様の寂しさも少しは和らぐでしょう」
「うーん。でも、侍女っていっても、貴族令嬢なんでしょ?」
私は少しうんざりしながら訊く。どうやら、爵位の低い貴族令嬢は、嫁入り前に位の高い貴族の侍女になるのがこの国の一般常識のようだった。出稼ぎ的な側面もあるのだろうけれど、あくまで名目は嫁入り修行なのだそうだ。
正直に言えば、私が出会った貴族令嬢といえば、イサク様の妹君であり、あのいかにも悪役令嬢らしいナタリーくらいだ。比較対象の母数があまりに少ないのは認めるけれど、今のところ貴族令嬢に良い印象はない。
ライムンドは涼しい面持ちで言った。
「身持ちはしっかりしているほうが良いでしょう。どの侍女も立派な家柄のご令嬢ですよ。王宮内の良いコネもできますし」
「立派な家柄、ね。私は最低限の仕事をしてくれればあとはどうだっていいけど」
私は重いため息をついた。
ライムンドが侍女になってくれる貴族令嬢を探すのにいろいろと暗躍したらしいと知ったのは昨日のことだ。貴族の確執やら関係やらを考慮してうんたらかんたら、と聞いたけれど、正直貴族の権力への執着ほど、私が理解できないものはない。そのため、ほとんど聞き流してしまった。今そんなことを真剣に聞かなくても、これから先、嫌でも苦労することになるのは目に見えている。
そんなことよりも聞いておくべきことは山ほどある。私はずっと避けていた話題を口にした。
「ねえ、オフェリアのおじい様の第一大公のことだけど、どんな人なの?」
私は第一大公の名前を口にしながら、思わず顔をしかめる。
第一大公ことテスタ卿には会ったことはないけれど、印象が良いとは言い難い。
この世界でたった一人の孫であるオフェリアの死にも立ち会おうとせず、葬儀にも来なかった人だ。どうせ、ライムンドと同じように合理主義者で冷酷無比、その上権力の権現みたいな人なのだろうと私は高を括っている。
私の不信感たっぷりの表情とは裏腹に、ライムンドはなんとも言えない微妙な顔をした。
「第一大公はその……、この国に必要なお方だが、身体が弱っておられる。公の前では徹底してオフェリアとして振る舞うように。話は適当に合わせてくれればよいですよ。私がフォローします」
曖昧な言葉でごまかしたライムンドに私は首を傾げる。あまりにも要領を得ない回答だ。
だけど、その言葉の意味は、すぐに分かった。
*
王宮から少し離れた場所にある私たちが今後住むことになる王宮の離れは、瀟洒なつくりをしていた。緑いっぱいの庭に面しているホールは、心地よい風が吹いている。
「おう、よく来た!」
そう言って真っ先に両手を広げて私を迎えたのは、立派な身なりの、やせ細った老人だった。目はオフェリアと同じとび色で、どことなく目元が似ていた。服はゆったりしたシルエットで、天鵞絨でできている。
自己紹介をされずとも、目の前の老人の正体も察しがつく。オフェリアの祖父であり、先王オーウェンの父、第一大公であるアンリ・ドゥ・ゲルタウスラ・テスタだ。
なにと声をかけるべきか戸惑っている間に、第一大公は私をしっかり抱擁した。
「オフェリア、久しぶりだ。何と美しく、立派になったことか。私の亡き妻、ジニアーノにそっくりだ」
(オフェリア、ですって……!?)
私が身代わりであることを知っているくせに、と一瞬気色ばんだ私は、すぐにその考えを変えた。
老人のオフェリアと同じとび色の瞳には、一点の曇りもない。本当に私を自分の孫だと信じ切っているのだ。
私は目をすがめる。
(ステータス、オン……)
見慣れた箱が、老人の横に表示された。
―――――――――――――――
なまえ:アンリ・ドゥ・ゲルタウスラ・テスタ
とし:74
じょうたい:ぼけ
スキル:カリスマ
ちから:D
すばやさ:D
かしこさ:A
まりょく:C
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(じょうたい、ぼけ……? って、このおじいさんボケてるってことか!)
なるほど、と私は納得する。二人が言いにくそうにしていたのは、この二人の恩人であるこの老人がボケているからなのだ。
(ライムンドが第一大公の前では徹底してオフェリアとして振る舞え、って言った理由がわかったわ……)
おそらく、オフェリアの死も、オフェリアの身代わりに私を連れてきたことも、第一大公にはすでにライムンドは伝えてはいる。けれど、この可哀そうなご老体は覚えていないのだ。覚えていないとはいえ、何度も事実を伝え、そのたびに傷つけるのもあまりにも酷だ。
事情を一気に悟った私は態度を改め、深々とお辞儀をした。
「おじい様、ご機嫌よろしゅう。お顔色が良いようでなによりですわ」
「うむ、挨拶も立派立派。さすが我が孫だ。王宮ではなにかと不安だろう。何でも相談しておくれ」
「ええ、ありがとうございます」
「可愛い孫と一緒に、ギルジオも、ついにこちらに来たか。嬉しく思うぞ。領土や城の管理の件で手紙はやり取りしていたため、息災なのはわかっておったが、大きくなったの」
そう言って第一大公はギルジオの肩を叩き、固い握手を交わす。ギルジオは、しっかり頷いた。
「任されていた領土や城のことは全て滞りなく。どうかご安心ください」
「そうか。お前の仕事っぷりは信頼できる。問題ないだろう」
ニコニコとわらった第一大公は、ふいにライムンドに厳しい目を向ける。
「ライムンド、それより、この前の法案の件だが……」
微笑んでいたライムンドの顔に、一瞬にして緊張が走った。
「あの件は、いつも通りニギリス様にお任せしました」
「いかん! ニギリスでは力不足だ。このような法案をまかせるにはサーシャが良い。念のため、ウィルシュタッドの倅にも伝えよ」
急にハキハキと喋りだす第一大公に、私は呆気にとられたものの、ライムンドは慣れた様子で返事をして一つ頷くと、すぐに部屋を出て行った。
(えっ、さっきまでの優しい雰囲気はどうしちゃったの!?)
混乱した私は、ギルジオに視線をなげる。
『後で伝えます』
と、だけギルジオは答えた。
誤字脱字の指摘、ありがとうございました。
2020.2.7 一区切りついたので、タイトルを大幅に変更しました。理由としては、思ったより主人公が結婚したがらなかったためです。
また、章をつけました。





