33.誰がために鐘は鳴る
「――ヒッ!!」
私は飛び起きる。しばらく呆然としていたけれど、私は自分の部屋にいると気づいて深くため息をついた。
(変な夢を見ちゃったなぁ。……まあ、十中八九ただの夢じゃないんだけど)
私は小さく伸びをした。
どうやら寝すぎてしまったらしく、少し頭が重い。窓の外を見ると、すでに太陽は位置で昼近くだとわかった。
「大丈夫でございますか? かなりうなされていたようですが」
私が起きたのに気づいたマリーが、気づかわしげに私の顔を覗き込む。
「……あの、私、オフェリアの部屋にいたはずじゃ……」
「夜中に、あなた様をギルジオ様が部屋に運んでこられましたよ。……連日の引っ越しの作業が深夜まで続きましたから、お疲れなのでしょう。明日は首都に向かうのです。さすがに今日くらい、ゆっくりなさってください」
「……お、オフェリアは」
マリーは一瞬黙ったあと、重々しく口を開く。
「今朝、ギルジオ様やライムンド様に見守られて、静かに息を引き取られたと聞いています」
私はマリーの言葉に思わず息を止めた。
(オフェリアが、死んだ……)
私は思わず口元をおさえる。
あの優しい女の子が、この世界にもういないのは信じられなかった。けれど、なんとなく納得もした。あの白い世界で、冥界の女神のもとに軽やかに走っていくオフェリアを、私は見送ったのだから。
頬をつたった涙がぼろぼろと手のひらの上にこぼれ落ちた。
「……ごめん、しばらく一人にしてほしい……。朝ごはんも、いらない……」
自分でも驚くほどに、声が震えていた。
マリーは私にかけるべき言葉を探すように口を開いたけれど、結局一礼して部屋を出て行く。こういう時にそっとしておいてくれるマリーの気遣いがありがたい。
部屋はすぐに静寂に包まれ、私はベッドの中で嗚咽を漏らした。
次から次にあふれ出る涙は、ぬぐってもぬぐっても止まりそうもなかった。オフェリアの前でもずいぶん泣いたけれど、それでは足りなかったようだ。
「オフェリア……。オフェリア……」
私と瓜二つの女の子の名前を呼ぶ。優しくて、誰よりも気高いイフレン王国の第一皇女。
長らく一緒にいるような気さえするのに、思い返せば私達が出会ったのは、たった数か月前。そして、言葉を交わす機会があったのはたったの数回だけだ。
(なんで、あんなにつまんない話ばかりしちゃったんだろう)
もっとたくさん話したいことはあったはずなのに、私は聞き上手なオフェリアに請われるままに、自分のことばかり話してしまった気がする。
数々の思い出と後悔が胸の中を去来しては、やりきれない気持ちになる。
ふいに無粋なノックの音が部屋に響き渡った。
私は重い身体を持ち上げて、目をこすると、泣きすぎてかすれてしまった声で返事をする。
すぐにドアが開き、ライムンドが現れた。
「オフェリア様、ご機嫌いかがでしょうか」
ライムンドはいつも通り柔和な、そして空々しい笑みを浮かべていた。私は冷たい目を向ける。オフェリアが死んだその日に、身代わりの私を「オフェリア様」と呼ぶなんて、どういう神経をしているのだろう。
「……オフェリアのことは聞いているわ」
私はあえてオフェリアの名前を口にした。ライムンドは軽く頷く。
「左様ですか。残念な結果になってしまい、私も気を落としています」
「やめてよ、白々しい。ねえ、オフェリアのお葬式は、どうする気なの? まさか、オフェリアが死んだことを隠すために、お墓も作らず、誰にも分からないような場所に埋めたりはしないわよね……?」
私の言葉に、ライムンドは心外だ、とでも言いたげに肩をすくめた。
「まさか。ちゃんと街の教会で弔わせますよ。まあ、名前は伏せますが。持病を持った侍女が死んだことにする予定です。葬儀は明日になるでしょうね」
まるで他人事のような口ぶりに、私はめまいがした。
「……では、首都への出立を遅らせて。明日の葬儀に私も出ます」
「悲しみに浸っている時間はありません。明日には出立します」
「でも……」
「できるだけすぐに出仕せよと、王から命令されているのです。事情を正直に話すわけにもいきますまい」
私は思わず言葉に詰まる。確かに、ライムンドの言う通りだ。もし出立を遅らせれば、必ず事情を訊かれるだろう。そうなると、なにかと厄介になるとは目に見えている。
私が押し黙ったのを肯定ととらえ、ライムンドは満足げに微笑んだ。
「あの方の『最期の願い』には従わなければなりません。貴女は今後、私達の主君。誠心誠意お仕えしますよ、オフェリア様」
「そんなことを言いにこの部屋へ来たの?」
私の精一杯の棘のある物言いに、ライムンドは形の良い薄い唇をつりあげた。
「いかなる状況においても主君に仕えるのが、臣下の務めですから」
そう言って、恭しく頭を下げると、ライムンドはゆったりとした足取りで私の部屋を去る。
出て行こうとする広い背中に舌打ちしかけたけれど、入れ替わりに、ギルジオが入ってくるのが見えたため、慌ててやめる。
部屋に入ってきたギルジオは、かすかに目が赤く、端正な顔には覇気も生気も消えていた。虚ろな目で私を見ると、ライムンドと同じく、ギルジオも恭しく礼を取る。
「いつも通り朝食に出られず、申し訳ございません」
「え? ううん、私もさすがに食欲がなくて朝食は食べてないよ。あの……ギルジオ、顔を上げて。大丈夫? あまり、寝てないんじゃない?」
「殿下のご配慮、痛み入ります。俺は……問題ありません」
「いやいや、顔色悪すぎるし、ふらふらだし、問題ありまくりでしょう。ちょっとだけでも休んできたら?」
気遣う私に、ギルジオは青白い顔をしたまま、何も答えなかった。
(幼馴染で、ずっと想っていた人がいなくなったんだから、ショックを受けるのも当然だろうな……)
オフェリアと出会って数か月の私よりも、重く、苦しい悲しみをギルジオは背負っているはずだ。それこそ、私の悲しみなんて大したことではないくらいに。まあ、悲しみなんて形のないものを比較しても、しかたないのだけれど。
ふいに、ギルジオは私の前に跪いた。
「オフェリア様、お願いがあって参りました」
驚きすぎて、とっさに返事ができなかった。
急にギルジオが跪いたのも驚いた。けれどそれ以上に、特別な時以外、私のことを頑なに「お前」としか呼ばなかったギルジオが、私のことをいきなりオフェリア様と呼んだことに驚いた。
ギルジオは驚きのあまり言葉を失った私の返事を待たず、言葉を続ける。
「護衛として、このギルジオめも首都に連れていってください。本来であれば、俺はこの城に残るべきと存じますが、どうしてもオフェリア様のそばで、その身をお守りしたいのです。兄上から許可は取っておりますので」
どうか、とギルジオはさらに深く頭を下げ、重ねて請願する。
私は逡巡した。ギルジオは深々と礼をしたまま、顔を伏せているので、表情をうかがい知ることができない。
私は言葉を選びながら口を開いた。
「……ギルジオ、私は一緒にあなたが首都に来てくれると確かに助かる。でも、それでいいの?」
「……俺は騎士となり、オフェリア様の剣として、一生を捧げます」
「そんなに軽々しく、一生なんて言わないで」
跪くギルジオの小さく震える肩に、私はそっと触れる。貴族という身分に、並々ならぬプライドを持つ彼が、本来は平民の私に跪くなんて、内心は嫌で仕方ないだろう。
「……あのね、ギルジオ。オフェリアは確かにああ言ったけれど、私はギルジオの意思を尊重する。あなたは、無理に私に仕えなくてもいいんだからね」
「…………」
「大事な人を亡くして辛い気持ちは、痛いほど分かる。だからどうか無理をしないでほしい。オフェリアとの思い出の詰まったこの城に残ってもかまわないし、オフェリアのために祈りを捧げたいと願うのならば、修道院に入って僧になるのもいいと思う。大事な人を亡くして、失意のうちに修道院に入る人もいるんだって、誰かに聞いたことがあるし……」
私はそこまで言って喋るのをやめる。ギルジオの足元にぽつぽつと光るものが落ちていることに気が付いたからだ。
ギルジオは泣いていた。
「ギルジオ……」
「……頼む、そばに置いてくれ。……俺は、オフェリアの願いを、叶えないといけないんだ。オフェリアの、願いを……」
「…………」
「じゃないと……、なんのために生きているのかわからなくなる……」
魂の底から、なんとか絞り出すような、悲痛な声だった。私は、その声を聞いた瞬間に頓悟した。きっと、今のギルジオは、どんなに祈りを捧げても癒せぬ深い深い悲しみの底にいる。そこから這いあがるには、亡きオフェリアの最期の願いにすがるしか、もう道はない。
「うん、わかった……」
私はそっと頷いて、悲しみに暮れる一人の騎士の肩を抱いた。それが、彼のいくばくかの救いになることを願って。
*
翌日、海霧にけぶるマレーイ城から豪奢な馬車が二台首都に向けて出発した。
ずらりと並んだ侍女や侍従が、皆一斉に深く頭を下げてその馬車を見送る。街の教会の鐘の音が18回、厳かに鳴り響いた。
「オフェリア……」
馬車の中の身代わりの皇女が、小さな声で己の偽りの名を呟いた。
暗いまま終わりましたが、これで身代わり皇女の教育編終了です!
次回より王宮出仕編始まります!





