32.それは約束、あるいは呪い
目を開けると、目の前は真っ白異空間だった。いや、目の前だけではなく、四方八方全て真っ白だ。見覚えのある白い空間に、私は思わずぎょっとして身じろぎをする。
(ここって、死後の世界とかいう場所じゃなかったっけ)
私が、前世で交通事故に遭ったあと、自称神様に会った場所だ。ずいぶん久しぶりだけど、忘れるはずもない。
私が自称神様の姿を探してぐるりとあたりを見渡すと、なぜかオフェリアの姿を見つけた。
オフェリアは最初こちらに気づかず、不思議そうな顔をしていたけれど、やがて私に気づいて、はつらつとした笑みを浮かべた。今まで見たどんなオフェリアよりも顔色がいい。その上、これまでは車椅子がなければ移動できなかったはずなのに、今では誰にも支えられることなく自分の足で立っている。
「オフェリア、元気になったんだ!」
私が思わずはしゃいで声をかけると、オフェリアは大きく手を振る。どこからか風が吹いて、オフェリアの細い亜麻色の髪を揺らした。まるで、その風はオフェリアをどこかに誘おうとしているようだ。
オフェリアは晴れやかで明るい顔をした。私は驚く。オフェリアは心底幸せそうだ。
「ねえ、コリン、わたくしの最後のわがままを聞いてくださらない?」
「え、なに?」
オフェリアから放たれたなんの脈絡のない唐突な一言に、私は驚いて首を傾げた。
「わたくし、玉座について、皇帝として、父上の遺したこの国の良き道標になりたかったの」
「ええ! オフェリアって王様になりたかったの?」
知らなかった、と私は呟いた。てっきり、権力にとりつかれた周囲の人々の言葉に、オフェリアはただ従っているだけかと思っていた。
オフェリアははにかむように微笑む。
「皇帝として、したいことがたくさんあったわ。でも、どうしても叶えられなかった。だから、コリン、貴女がわたくしの代わりに、王になって」
オフェリアのとび色の瞳が、まっすぐ私をみた。この雰囲気では、とてもじゃないけれど断れそうもない。
「……わかったわ」
私の答えに、オフェリアの眩しい笑顔を浮かべた。
「ありがとう。……それから、もう一つだけ約束してちょうだい。これはもっと大事なことよ」
「えっ、なあに?」
「必ず幸せになってね」
オフェリアの優しい言葉に、私は胸が苦しくなった。
「……うん、それはもちろん。オフェリアの分まで、幸せになるよ」
私がしっかりと頷く。あたりが明るく輝いて、どこからともなくふわっと風が吹いた。
オフェリアは満足げに頷くと、気持ちよさそうに伸びをする。
「ああ、こんなに身体が軽いのは久しぶり! もう行かなきゃ」
そう言うと、オフェリアは走り出す。オフェリアが向かう先には、長髪の美しい女の人が手招きをしながら立っている。
私は慌てて軽やかに駆けていく後ろ姿を追いかけた。
「オフェリア、待って! どこに行くの? 置いていかないでよ!」
オフェリアはどんどん遠くへ行ってしまう。追いかける私の身体は重く、まるでとんでもなく重い靴を履いているようだ。
「待って、オフェリア!」
私が叫んだ時、誰かが私の手を強く引いた。
「ちょ、ちょっと! 行ってはなりません!」
「えっ」
振り返ると、目の前にはあの自称神様がいた。
白髪で年齢も性別も分からない見た目は相変わらずだ。ずいぶん切羽詰まった顔をしている。私は思わず目をぱちくりさせた。
「あ、あれ? 神様だ、なんでここに?」
「それはこっちのセリフです! それにあの方についていけば、行く先は冥界です! あそこで手招きしているのはフィーギ様ですよ! 彼女に挨拶したら、戻れなくなります!」
自称神様は必死の形相で訴える。私はすっとんきょうな声を上げた。
「フィーギって、神話に出てくるあの冥界の門番!? 本当にいるんだ……」
「そりゃあ、フィーギ様がいなければ、冥界の門番をする役割のものがいませんからね」
自称神様はこともなげに答えて、ジトっとした目で私を見た。私はとりつくろうように微笑む。
「……あの、すごい久しぶりだね」
「のんきに再会を喜んでいる場合ではありません! アナタ、なんでここにいるんですか! 困りますよ!」
「えっ、ごめんなさい……」
「しかも、なにちゃっかり契約しちゃってるんですか! 今、アナタがあの女性とした約束、ともすれば呪いの部類ですよ!?」
「ええ、そうなの? 軽く答えちゃった」
私は困惑した。振り返ると、真っ白い世界が広がっているだけで、もうオフェリアの姿はどこにもない。
「……オフェリアは? なんかちょっと様子がおかしかったんだけど」
「あの方なら、もう行ってしまわれました。どうしても思い残したことがあって、あなたをこちらに呼んだのでしょう。あのお姿は魂の本質ですから、すこし地上での性格とは異なってきます」
「……そうなんだ」
「そんなことより、冥界にいこうとする人との約束を引き受けるなんて……。アナタのお人よしは相変わらずですが、それよりもあの女性です。さすが、気高い皇女の魂となると、思いの強さで他人の魂をここまで引っ張ってこれちゃうんですね。いやはや、末恐ろしい」
「…………!」
「ちょっと呪いを解く方法を考えます。まったく、アナタもアナタで、引っ張られちゃだめですよ」
「そんなこと言われても……」
私は言いよどむ。私はただオフェリアの側でうたた寝しただけだ。
自称神様はしばらく困った顔のままウロウロしたものの、やがて肩を落とした。
「うーん、いろいろ考えたのですが、やっぱりワタクシでは、この呪いは解けそうにありません……」
「そっかぁ。……っていうか、つつがなく生きたいっていったのに、気づいたら皇女の身代わりにさせられてるんだけど!」
「ひー、言われると思った! そここらへん、ノークレームでお願いします。ワタクシだって、気づいたらアナタが大変な目に遭っていてびっくりしてるんですよ! 文句は運命の女神あたりに言ってください……」
管轄外です、と自称神様は悲しげに呟く。気弱な態度は相変わらずだ。
「オフェリアとした約束って、もし守らなかったらどうなるの?」
「あれも、いわゆる『最期の願い』と同じようなものですよ」
「……そっかぁ」
厄介なことになった、と私は頭を抱える。自称神様は心配そうな顔をする。
「前世と一緒のパターンじゃないですか。突っぱねればよかったのに、アナタは本当にお人よしで何でも引き受けちゃうから……」
「まあ、でも大事な友達との約束だもの」
「約束したからって、そう簡単に皇帝になれるんですか!? 皇帝にならなければ、アナタは恐ろしい災いがふりかかるでしょう! ワタクシはただアナタに、まっとうに幸せな人生を送ってほしいだけなのに」
「私だってできれば、平和に生きたかったわよ」
私が苦笑すると、ふいに、遠くで誰かが私を呼ぶ声がした。それに気づいた自称神様諦めたように頭を振る。
「やれやれ、お別れの時間のようです。これから先の困難に立ち向かうアナタに、幸運あれ」
「ねえ、神様。あなたの名前は?」
「末端の神ですから名乗るほどの名前はありません。しかし、ワタクシはアナタの幸せをいつも願うもの。もし、アナタが望むのであれば、一回きりにはなりますが、力を貸すのもやぶさかではありません」
「……ありがとう。じゃあ今すぐ皇帝にしてくれない?」
「管轄外ですぅ……」
「だよねえ」
私は苦笑して頷く。なんだか大変なことになってしまった気もしないでもない。
「まったく、どこまでもお人よしなんですから」
自称神様が独り言のようにそうぽつりとつぶやいた。
――――……刹那。
身体が急にふわっと浮いて、目の前が真っ暗になった。私は反射的に悲鳴を上げる。
「とにかく、しばらくこっちに来ちゃダメですからね」
そんな声が、どこからか聞こえた。
すみません、ちょっと長かったので31話、32話を分けました。





