31.夜のとばりの友人たち
オフェリアは最期の願いを述べ、満足げに頷くと、ふう、とため息をついた。気付けば、他人を気圧させるようなオーラは消え、いつもの優しいオフェリアの表情に戻っている。
「……わたくし、少し疲れたわ。コリンと二人きりにしてちょうだい」
「オフェリア、それは……!」
「お願い。コリンと二人きりになりたいの」
最後までギルジオは難色を示したけれど、オフェリアの強い願いもあって、部屋には私とオフェリアの二人だけになった。
みんなが出て行ったあと、すぐにオフェリアは苦しそうな咳をした。私は慌ててオフェリアの背中をさする。
「オフェリア、やっぱりお医者様を呼ぼう。薬を飲まなきゃ……」
「いいえ、コリン。もう、良いの。自分のことはわたくしが一番知っています。わたくしはもう、お父様のもとにいかないと」
私は思わずオフェリアにすがりついて首を振る。
「ねえ、オフェリア、そんな弱気なこと言わないで。きっと、良くなるわよ」
「コリンは、……本当に優しい子。最後まで、迷惑をかけてごめんなさい。コリンをどうやったら守れるかってずっと考えていたの。でも……」
そう言うと、オフェリアは再び激しく咳き込んだ。私は首を振る。
「オフェリア、ダメよ、もう喋らないで……」
「最期の願いとして、コリンを身代わりの立場から……解放するように言おうと思ったけれど、それでは、ライムンドがきっと事情を全て知っているあなたを殺してしまうでしょう。それに、わたくしの他に、我が一族には王座を目指す兄弟もいない。だから、わたくしは……」
皆まで言う前に、オフェリアはまだ咳き込んだ。口をおさえた手に、鮮血が散ったのが見えた。
「オフェリア、喋っちゃダメ!」
「……貴女を不幸せにしたままこの世を去る、不甲斐ないわたくしを許して。本当に、ごめんなさい」
「オフェリア、わかった。とりあえず、手に血がついているでしょ? 口もゆすごう?」
そう言って、私は侍女たちが置いていった水差しとハンカチを差し出す。
これ以上オフェリアがしゃべり続ければ、その分オフェリアの残り少ない寿命を削ってしまいそうな気がして、私はなおも話を続けようとするオフェリアの言葉を遮って話し出す。
「私ね、最初はここに来たのは確かに嫌だった。ギルジオはやたらと威圧的だし、家庭教師に鞭で打たれるし、侍女たちはみんな私のこと無視するし」
恨み節ならいくらでも言えそうだ。最初は、慣れないことも多く、辛く苦しい日々だった。オフェリアは、そうよね、と呟いて悲しそうな顔をして首を垂れる。
でも、と私は言葉をつないだ。
「悪いことばかりじゃなかった。だって、この城に来なかったらギルジオやアン、マリー、それに、オフェリアに一生会えなかったでしょ?」
「コリン……」
「だから、ここに来てよかったって思ってるのよ。ふるさとの家族にはきっと、生きていればいつか会える。だからね、オフェリアが心配してるほど、私は自分の人生を悲観してない。それに、頑張れば結婚もできると思うし」
「……コリン、結婚したら王座につけないわ」
「うーん、そこは議論の余地がありそうね」
私は苦笑する。
「とにかく、オフェリアは必要以上に責任を背負いこまないで。私は大丈夫。大船に乗った気持ちで構えていてよ」
私は自分の胸をこぶしでトントンと叩いて笑ってみせる。鼻の奥がツンとしたけれど、なんとか無視した。こんなことをオフェリアに言うのは、もちろん強がりだ。オフェリアは、この城で数少ない私の理解者で、そんな人を、私は失おうとしている。本当は、今にも泣いてしまいそうなほど、つらくて仕方がない。
だけど、これから遠いところに旅立ってしまうオフェリアに、これ以上の心配をかけたくなかった。私が悲しんで不安がる姿を見せたくなかった。
オフェリアは、しばらく何かに耐えるように黙りこくっていたけれど、急にしゃくりをあげて大粒の涙を流し始めた。きっとオフェリアは泣くのを我慢していたのだろう。
私はオフェリアに笑いかける。
「オフェリアが泣いちゃったら、またギルジオに勘違いされちゃう!」
オフェリアは、私のからかいの言葉に顔をくしゃくしゃにさせながら笑う。最期の願いを宣言した時の威厳のある顔とは、まるで別人のような、儚く、幼い笑顔だった。
「……本当に、嫌になっちゃうわ。泣かないって決めたのに、ずっとみんなの前では泣かずにいられたのに、……コリンの前ではどうしてもとりつくろえないの」
「オフェリア……」
「……コリン、ありがとう。どんなに感謝しても、感謝しきれないわ」
オフェリアは細い指で涙をぬぐった。
「……ギルジオとおじい様、みんなをよろしくね。それから、難しいかもしれないけれど、ライムンドを恨まないであげて……。彼は、ただ必死なだけなのよ」
「わかったわ……」
「わたくし、やりたいことがいっぱいあったの。でも、貴女が私の代わりに生きてくれるから、いいの……」
「オフェリア……」
「……幸せになってね」
オフェリアは泣きながら、安心したような、心から穏やかな笑みを浮かべた。まるでつきものが落ちたような表情だ。
私はホッとすると、オフェリアがくすくす笑った。
「ねえ、コリンだって、泣いてるじゃない」
「え……」
私が慌てて頬に手をやると、手がしっとりと濡れた。どうやらいつの間にか私も泣いていたらしい。私は慌てて涙をぬぐったけれど、どんどんあふれ出る涙はどうやっても止まらなかった。
そんな私を、オフェリアは優しく見つめた。
「……コリンに出会えて、……良かった」
「オフェリア、大丈夫?」
「……わたくしは、少し寝ます。またあとで、お話して……」
話の途中で、オフェリアはことん、と再び眠りに落ちた。寝顔は穏やかで、深い寝息を立てている。きっとたくさん話して疲れたのだろう。
私は倒れこんできたオフェリアの細い体をベッドの上に横たえる。
(よっぽど、私のことが気がかりだったんだろうな……)
私はオフェリアの前髪を指ですく。私と瓜二つの面差しは相変わらずだ。顔色は悪いけれど、先ほどに比べたらかなり良くなっているような気がした。咳もいつの間にかおさまっている。楽観的過ぎるのかもしれないけれど、案外、明日の朝には治っているのかもしれない。
窓の外を見ると、夜のとばりは空を深いロイヤルブルーに染めている。星々がきらめいていた。
私は小さくあくびをもらす。
(さすがに、眠い……)
連日の引っ越しの準備で私も少し寝不足だ。オフェリアが再び目覚める前に、ほんの少しだけ寝よう、と心に決めて、私は眠気のままに意識をそっと手放した。
<裏話>
オフェリアには、ギルジオ以外年が近い子供がいなかったので、コリンは最初で最後の友達でした。





