30.これは最期の願い
「2日前に会った時、オフェリアは元気そうだったじゃない。急にどうしちゃったの?」
「今日の夕方、急に苦しみだしたらしい」
廊下を歩く道すがら、ギルジオは手早く状況を説明した。
「医者曰く、今夜がヤマで、今夜を越えられてもそう長くは生きられないだろう、と」
「やだ、不吉なこと言わないで。大丈夫よ。だって、オフェリアが体調を崩すことなんてよくあることだし、今日だって、きっといつもの……」
私が皆まで言う前に、ギルジオは立ち止まって睨んだ。強い瞳が私を射すくめる。
「大丈夫、だと? いったい、何を根拠にお前はそんなことを言っているんだ? お前が言う通りオフェリアがいつもの風邪だったら、どんなに、どんなに良かったことか!!」
ギルジオの凄みのある声が広い城にこだまする。通りがかった侍女が肩を震わせ、怯えた目で私たちを見た。
ギルジオの形相に、私は思わず言葉を詰まらせる。怒っているように見えるけれど、本当はやりきれないほどの悲しみを隠しているのだ。思い詰めているのが痛いほどわかった。やがて、ギルジオはハッとした顔をして口を押えた。
「……すまない、八つ当たりをしているな、俺は……」
「ううん、私も軽々しく気休めを言ってごめん。とりあえず、行こう」
私たちは長い廊下を再び歩き出す。
夜なのに、城の中にいつもの静寂はなく、ただただ慌ただしかった。オフェリアの部屋まで遠い道のりが、さらに遠く感じる。足取りが重い。
忙しそうに行き交う侍女たちはみな一様に沈んだ顔をしていた。中には人目もはばからずに泣いている侍女もいる。当然だ。この城の人は皆、オフェリアを心の奥底から慕っているのだ。
オフェリアの部屋の前にも、落ち込んだ顔の、今にも泣きそうな侍女が一人立っていた。私たちを見ると、こちらに向かって走ってくる。
「ギルジオ様……ッ!」
「オフェリアは……」
「う……、先ほど、ね、眠られて、……もう長くないって……、お医者様が……」
わあっ、と声をあげて、侍女が泣き崩れる。ギルジオの瞳が、気が動転するあまり大きく揺れた。
私はギルジオの代わりに訊く。
「あの、部屋に入っても大丈夫そう?」
「……は、はい……」
「ほら、ギルジオ、行こう」
私はそう言ってギルジオの広い背中を押す。そうでもしないと、彼は倒れてしまいそうだった。
私はギルジオと一緒に、オフェリアの部屋の立派なドアを開ける。
「オフェリア……」
小さな声で呼ぶと、返事はなく、ただだれかのしゃくりが聞こえるだけだった。私が部屋の中に入ると、部屋の真ん中に鎮座する大きなベッドにいつも通り、オフェリアが横たわっている。ぐったりと目を閉じるオフェリアは、どうやら眠っているようだ。
部屋には、数人の侍女たちが沈痛な面持ちで壁際に控えていた。
窓際に立って外をぼんやりと見ていたライムンドが、部屋に入ってきた私たちに気づいて首を傾げる。
「二人とも、来たか。先ほどまで吐血がひどかったが、ようやくオフェリア様は落ち着かれたところだ」
「お医者様は……?」
「薬を取りに行った」
それだけ言うと、ライムンドは窓の外に再び目をやる。
部屋の中には、侍女たちのすすり泣きの声と、ギルジオが落ち着きなく歩き回る足音だけがむなしく響く。
なにをするでもなく、私はとりあえずオフェリアのベッドの近くの椅子に腰かける。相変わらず私と瓜二つの女の子は、静かに眠っていた。具合がかなり悪いのは、素人の私でも一目見てすぐにわかる。瞼は落ちくぼみ、顔は青白い。
思わず、私はオフェリアの骨ばった手をぎゅっと握った。
(オフェリア、どうか目を覚まして……)
まるで私の祈りが通じたように、オフェリアが小さくうめいて身じろぎをした。ギルジオが驚いた顔をしてベッドのそばに走り寄る。
「オフェリア!?」
呼ばれたオフェリアは返事をするように小さく吐息をついて、ゆっくりと目を開けた。私と同じとび色の瞳が少し遠くを見て、やがて私たちをとらえ、ゆっくりとまばたきをする。
「オフェリア、目が覚めたの?」
「ええ……」
むりやり体を起こそうとするオフェリアを、ギルジオがそっと止める。
「オフェリア、無理をするな」
「いえ、今無理をしないと……。次、目が覚めるか、……わかりませんから」
「……ッ!」
ギルジオの顔が、悲しみで大きく歪んだ。
部屋の隅で控えていた侍女が気をきかせて、オフェリアの背中にクッションをいれる。オフェリアはようやく半身を起こした。肩口から、長い亜麻色の髪がさらさらと流れ落ちる。
「わたくしは、……残念ですが、もう、長くはないようですね」
「そんなこと、言わないで」
手を握っている私が震える声で否定すると、オフェリアは首を振る。
「これはもう、動かしようのない事実ですから」
クッションにもたれるオフェリアは、死を目前にしているとは思わないほど落ち着いていた。それどころか、目を覚ましたオフェリアは、見たことがないほどに威厳に満ちた表情をしている。頬はこけ、今にも倒れそうなのに、どこか他人を圧倒するようなオーラすら感じるほどだ。
「みんな、よく聞いて。わたくしの『最期の願い』を言います」
それは、最後の最後まで気高くあろうとする皇女の宣告だった。長い闘病でかすれた声は、それでも朗々と響き渡り、部屋中にこだまするようだ。
オフェリアが無理をしているのが分かっているのに、私たちはただ息をのんでオフェリアの言葉を待つしかできなかった。
「わたくしの最期の願い。それは、コリンに関することです。今後、コリンを第一皇女オフェリアとして扱うこと。わたくし亡きあと、コリンの願いは、わたくしの願いと心得なさい」
「…………!」
「コリン・ブリダンにわたくしのもつ全権を移譲します」
部屋にいる全員が驚いた顔をした。もちろん、私もだ。驚いた私にオフェリアは横顔で少し微笑みかけて、それからぐるりとまわりを見渡した。
「いいこと? 今後、コリンが第一皇女オフェリアです。皆、わたくしにしてきたように、よく仕え、助け、そして支えてあげなさい」
泰然と言い放ったオフェリアに、ライムンドは驚いた顔をしてにじり寄る。
「オフェリア様、それは……!」
「ライムンド、何を言おうともわたくしの願いは覆りませんわ。もし、願いに背くのならば、幽世の神々より報いをうけるでしょう」
「……御意に」
オフェリアの敢然とした態度に、ライムンドは苦虫を噛み潰したような顔をして引き下がった。
もう少しで第一章の皇女教育編が終了し、第二章の王宮出仕編になります。
暗い展開が続きますが、しばしお付き合いください!





