26.迷宮入り
「本当にお前、平気なのか?」
「だから、毒がきかない体質って言ってるでしょ。解毒剤もいらないと思うけど」
「本当か? いきなり倒れたりしないか?」
「しないってば。安心して」
ジロジロ見てくるギルジオに、私はとりあえず苦笑してみせた。
実際、毒を飲んだのにも関わらず、身体に全く不具合はない。我ながら状態異常無効というスキルはすこぶる便利なものだ、と感心している。
「まあ、これでみんな私が毒がきかないってわかったでしょ」
「お前、馬鹿なのか? いや、考えるまでもなく正真正銘の馬鹿だな」
「そんなに人のこと馬鹿馬鹿連呼しないでよ」
私が口答えすると、ギルジオは前触れなく私に一発げんこつを食らわせた。
「痛っ! なにするのよ! 女の子に暴力ふるっちゃ……」
「お前が毒を飲んだ時、心臓が止まるかと思ったんだぞ! 間違いなくお前のせいで寿命が縮まった! 二度と、ああいう馬鹿なことをするな!!」
「ギルジオ……」
「なにが『自分の命を大事にして』だ! 他人に言う前に、お前が自分の命を大事にしろ!!」
城中に響き渡るような大声で怒鳴ったあと、一呼吸おいて、頼むから、と掠れた声でギルジオは呟いた。
どうやら本気で心配されていることに気づいた私は、慌てて謝る。
「心配かけてごめん。本当に大丈夫だから。あっ、そうだ! 今日のイサク様の面会も、ヒヤヒヤしたでしょう。私も、オフェリアっぽくないこと言っちゃった自覚はかなりあって……」
「……いや、殿下の御前の振る舞いは、立派なものだった。立ち振る舞いも、言動の高貴さも、オフェリアそのままだった」
「……え?」
思わぬ褒め言葉に、私は動きを止める。眉間にしわを寄せ、薄緑色の目を空にさまよわせると、ギルジオはようやく口を開いた。
「……今日のことだが、その……、個人的に礼を言わせてくれ」
一瞬ぎこちない間があった。
「その、……なんだ、まあ、あ、ありがとう……」
「え!? ギルジオが私にお礼を言うなんて、どうしたの? 私、お礼を言われるようなことしたっけ?」
「イサク殿下に、俺の家族が没落貴族だと言われた時、お前はイサク様をいさめてくれた」
ああ、と私は頷いた。
「あれね。たぶん、イサク様も全然悪気はないのよ。売り言葉に買い言葉ってやつ。気にしないであげてほしいな」
「なんだ、妙に殿下の肩をもつんだな」
途端に不機嫌そうな顔をするギルジオに、私は苦笑する。
「そりゃあだって、イサク様良い人だったじゃない? 見た目ほど怖くはなくて、むしろ優しくて、間違いを指摘したらすぐに謝ってくれた。その上、私のこと掛け値なしに褒めてくれたしね」
そこまで言って、私は顔が赤くなるのを感じた。ギルジオは馬鹿にしたようにフン、と鼻を鳴らす。
「あれは、ただの世辞の部類だろう。舞い上がるなよ」
「うーん、やっぱりそうなのかな。……まあとにかく、いい人に会えて、これから先、少しは楽しくなりそうだなって思ったの。だけど、今回の件があったから、それも難しくなっちゃったなぁ」
私は無理に明るくそう言ったけれど、去り際のイサク様の冷たい視線を思い出すと、なんとなく胸が苦しかった。
一瞬だけ、心が通じ合った気がしたけれど、それは幻のように消えてしまった。
ギルジオが苦り切った顔をする。
「ずいぶんおめでたい頭をしているようだ。イサク様が誰かに命じて、お前を毒殺しようとしたかもしれないんだぞ」
「うーん、それはないと思うんだけどな」
あのあっけらかんとした性格の皇子が、毒殺のような卑怯な手を使うとは思えない。好戦的なところはあったけれど、正々堂々と勝負するのを好むタイプであることは明らかだった。
「とにかく、殿下がまだ玉座を狙っている以上、敵は敵だ。そこらへん、良くわきまえておけよ」
「……うん」
ギルジオの忠告に、私は肩を落として頷いた。
(仲良くなれそうと思った私が甘かったんだろうな)
イサク様は元第一皇子で、オフェリアは現第一皇女。それに、私はオフェリアの身代わりときている。お互いの立場がこの上なく複雑なのは、わかりきっていたことだ。
私がぼんやり考えこんでいると、誰かが走ってこちらに向かっている音がした。ややあって、転がりこむように、専属医が入ってくる。よほど慌ててここに来たのか、肩で息をしていた。
「た、大変ですッ!」
「なんだ、いきなり。解毒剤はどうした?」
ギルジオは床にへたりこむ専属医に怪訝そうな顔をむける。専属医はなんどか深呼吸をして、無理やり呼吸を整えた。
「はあ……解毒剤は、こ、これです……。それ、より……う、うちの侍女が一人、う、海に身を投げたと、領民から連絡が……!」
「なっ」
突然の予期せぬ知らせに、私とギルジオは絶句する。
窓の外の雨は大降りで、遠くで雷鳴が聞こえた。
*
身を投げた侍女の死体が近くの浜に上がったと知らせがあったのは、次の日のことだった。
領民の通報は、いたずらではなかったようだ。
私は自室で知らせを受け、そう、とただ頷いた。さすがのギルジオも、絶句して目を伏せる。知らせを伝えに来た侍女が涙を目に浮かべ、早足で去っていった。
身を投げたのは、ビビという名前の侍女だった。
私も覚えている。よく私の陰口を言っていた、気位の高そうな黒髪の侍女だ。侍女たちのリーダー格で、いつもキビキビ働いていた。
すでに冷たくなってしまっていた彼女の服のポケットには、少額の金貨が入っていた以外は特に怪しいところはなかったという。
死体に口なし、とはよく言ったもので、それ以上の情報は得られなかった。
後日、私の代わりに毒入り紅茶を飲んだアンに聞くと、動揺してあまり記憶は定かではないけれど、毒をいれたのは確かにビビだった、と証言をした。
アンの証言で、私のカップに毒を混入させたのはビビであることは、もはや動かしようもない事実になった。





