25.私の命
イサク様が馬車に乗って帰ったあと、私はすぐに踵を返した。ギルジオが足音荒くついてくる。
「どうして三人を帰した!? シルファーン卿が逃げたらどうするんだ!」
ギルジオの言葉は、先ほどまでの背中がむずがゆくなるような丁寧な言葉遣いは取り払われ、いつも通りに戻っている。
私は肩をすくめた。
「逃げるわけないじゃない。逃げたら自分がやったと自白するようなものだし」
「しかし、シルファーン卿には前科がある。以前首都でシルファーン卿とオフェリアが会ったその日から、オフェリアの体調がおかしくなっていったんだ。そして、今回またもあいつはオフェリアの命を狙って……」
ギルジオの声が怒りに震えた。
「ああ、やっとわかった。あんなにギルジオもライムンドもシルファーン卿を目の敵にしていたのは、それが理由だったのね」
「ああ。……ところで、お前はどこに向かってるんだ?」
「給湯室よ。例の紅茶、そのままおいておくように言ってあるの」
そう言うと、私はまっすぐ給湯室へ向かう。すれ違う侍女たちが遠巻きに私たちを見ていた。
給湯室に行くと、私の言いつけ通りに例の紅茶はそのままにしてあった。ワゴンの上ですっかり冷めてしまっている。
ギルジオは客人用のコップをまっさきに手に取ってくるりと傾けた。
「やはり、イサク様のカップには毒は入っていなかったらしいな」
「なんでわかったの?」
「ほら、客人用のカップは銀の縁取りがしてあるだろ? この縁取りは、毒に触れると色が変わるんだ」
「しらなかった。……あ、私のカップは銀の縁取りがしてない」
「ああ。お前のカップに毒が入っていても、誰も気づきようがなかった、というわけだな」
私は見慣れた野薔薇の装飾の入ったカップを黙って持ち上げる。見た目は、毒が入っているようには見えなかった。美味しそうなただの紅茶だ。
「このカップね、私が好きって言ったから、アンが夜の勉強の時間にいつもこのカップで持ってきてくれるようになったの」
「そうなのか」
「それに、アンは毒を飲んだ時、なんとか力を振り絞って、割らないようにそっとワゴンに置いてくれたんだわ。割れたら、私が悲しむから。……苦しかっただろうに」
「…………」
「アンはいつもそう。いつも、私のことを何よりも優先してくれる。……自分の、命よりも」
私はしばらく黙ったあと、紅茶を手に持ったまま、給湯室を出た。
「お、おい! それを持ってどこに行くんだ」
「決まってるでしょ。アンのところに持っていくのよ」
「は、はあ?」
「私、けっこう怒ってるの」
「怒ってる? 何に対してだ?」
ギルジオが怪訝そうな顔をしたけど、私はそれ以上答えなかった。ただ、カップを持ったまま黙って廊下をずんずん進む。
行き先は侍女の待機室。アンが休んでいる部屋だ。
私が待機室のドアをノックもなく開けると、アンを看病していた数人の侍女たちが驚いた顔をしてこちらを見た。侍女たちの中には、私の教育係のマリーの姿もあった。
「お、オフェリア様! 高貴な方がこのような場所には来てはいけません!」
マリーの厳しい叱責の声を無視して、私はアンの元へつかつかと近寄る。
侍女たちに囲まれたアンの顔色はかなり悪いけれど、私に向けられた表情は明るかった。いまだに少し焦点の合わない瞳には、私が無事だったことに対する無邪気な安堵の色が浮かんでいる。
訊けば、手に力が入らず、筆談ができないほどまだ衰弱しているようだった。その上、記憶もあやふやらしい。
慌てて上半身を起こそうとするアンを私は止めた。
「今日は疲れているだろうから、そのままで大丈夫。混乱しているだろうし、いろいろ話を聞くのは明日以降にしましょう。真実は逃げないわ。でも、一つだけ話をさせて」
そう言うと、私は持ってきたカップを見せた。
「アン、これは貴女が飲んだ紅茶よね? 毒が入っていたはず」
侍女たちが、毒入り紅茶のカップを前にざわめく。
アンは不思議そうな顔をして頷いた。
私の胸がずきりと痛んだ。アンは、自分の命を懸けてまで私を守ろうとしてくれたのだ。そして、それを何の疑いもなく、自分の侍女として当然の責務だと思っている。
(でも、それは違う)
私は、私のために他人の命を賭してまで守ってもらおうなんて思っていない。
「こうでもしないと、みんな信じてくれないだろうから」
そういうと、私は一気に紅茶をあおった。侍女たちが悲鳴を上げる。それまで黙っていたギルジオが、驚いて私に駆け寄った。
「お前! 何をするんだ! 死にたいのか!」
「黙って!」
私があまりの剣幕で怒鳴ったので、ギルジオは足を止める。
やはり紅茶の中に入っていたのは毒物だったようだ。口のなかいっぱいに、何とも言えない味が広がる。喉がひりつき、灼ける様に熱かった。
(でも、それだけだ)
こんなもんじゃ、私は死なない。
どんな毒も、私を殺すことはできない。
(さすが、状態異常無効。自称神様のくれたスキルは伊達じゃかったようね)
私はひりつく喉をさすって、大きく息を吸った。
「いい? アンだけじゃなく、ここにいるあんたたちも、嫌がらせで毒を盛ったのかもしれないし、誰かに言われて毒を盛ったかもしれないあんたも、よーく聞きなさい! ギルジオ、あんたもよ!」
「…………!!」
「私は、毒なんて効かないわ! 毒を盛られても死なない! いい!? わかった?」
私の剣幕に押された侍女たちが一斉に揃って頷いた。いつも仏頂面のマリーも、この時ばかりは呆気にとられた顔をして頷いた。
アンが泣きそうな顔でおろおろと手をさまよわせる。
私はそんなアンの手をとった。
「これで分かったよね? 私に毒見は不要。これからは、私の代わりに毒を飲んで苦しんだり、その果てに死んでしまうようなことは許しません。絶対にもうこんなことは、しないで」
「…………!」
「自分の命を、大事にして!」
私が叫ぶようにそう言うと、アンはぽろりと涙を流した。
<裏話>
ちなみに、状態異常無効のおかげで、主人公は泥を食べてでも生き残れます。ある意味最強の人です。
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