24.犯人捜し
倒れたアンに、私たちは駆け寄った。しばらく悶えたあと、アンは気を失う。
苦しそうに浅い呼吸をしながらぐったりするアンを、私は揺すった。
「アン、目を覚まして! お願い……」
「オフェリア、落ち着け。あまり揺すってはいけない。恐らく毒を飲んだんだろうな。ただ、幸い飲んだ量もわずかだったようだ」
そう言って、イサク様はワゴンの上に置かれたカップを指さす。カップは二つ。客人用の銀の縁取りをしたカップと、私の愛用の野薔薇が細かく描かれたカップだ。アンは私のカップに口をつけたらしく、私のカップの紅茶が少し減っていた。
ギルジオが怒鳴った。
「誰が毒を!」
「犯人捜しの前にまずこの侍女を医者に診せるべきだ」
「しかし、殿下!」
なおも言い募ろうとするギルジオを無視して、イサク様はアンを抱きかかえて城に歩き始める。
ギルジオは舌打ちした。
「なぜ、殿下はああも落ち着いていられるのだ!? まさか、紅茶に毒が入っているとわかっていたのでは……?」
「ギルジオ、落ち着いて。イサク様の言った通り、犯人捜しをするのは後よ! とりあえず、一度城に戻りましょう。何かあってはいけないから、ライムンドたちに早く知らせて」
「……分かった」
不満そうながら、ギルジオはとりあえず頷くと、さっと走り出す。
私は、へたり込んでいる薄い茶髪の侍女に手を差し伸べた。
「わ、わたし、何も知りません……!」
侍女は震えた声で釈明する。大きな目は涙でうるんでいた。混乱しているのだろう。
「落ち着いて。立てる?」
「は、はい……」
「お茶を淹れたのは誰か知っている?」
「……いえ、知りません」
「そう……。とりあえず、ワゴンを運びましょう。このワゴンと紅茶は、給湯室にそのまま置いておいて」
震える侍女を立たせると、とりあえず私たちも足早に城へ向かった。
飲まれなかった紅茶が、ワゴンの上でカチャカチャと音を立てた。
*
ギルジオに先導してもらって足を踏み入れたマレーイ城の客間は、すでに不穏な空気が流れていた。
客間には、ギルジオ、ライムンド、シルファーン卿とナタリー、そして私しかいなかった。念のため、侍従たちは人払いしている。
「まったく、どうしてこんなことに……」
シルファーン卿はやれやれ、とばかりに深いため息をついた。
訊けば、シルファーン卿とナタリーはギルジオから一報があったあと、すぐに客間にうつされたらしい。
二人は今しがたあった事件の詳細はすでに聞いているらしく、少し神経質なそぶりはあるものの、せっかくの城の探索を途中で中断されたことのほうが気に入らなかったようだ。
ソファの上でクッションを抱くナタリーにいたっては、頬を膨らませ、あからさまに不機嫌そうな顔をしている。
客間の窓辺によりかかるライムンドに、私は声をかけた。
「ライムンド、イサク様は?」
「殿下ですか? 別室で、侍女に付き添っておられます」
「そう……。あとでお礼を言わなければ。アンを運んでくれましたから」
「その必要はありますかね? 誰が毒を盛ったかもわからないというのに」
ライムンドはわざと客人の二人に聞こえるようなトーンで言う。すぐにシルファーン卿が反論した。
「まさか、私たちは何もしていませんよ」
「そうよ、私たちは城を歩き回っていただけだわ! 毒を盛る時間がいつあったっていうの!?」
ヒステリックな声で、ナタリーもシルファーン卿を援護する。ライムンドは薄く笑った。
「二人とも自由すぎて、私の目が行き届かない時が少なからずあった。いくらでもチャンスはあったはずだ」
「なんですって? そんなことを言われるのは心外ですってよ!」
ナタリーとライムンドが睨みあったその時、イサク様が侍従に付き添われて客間に入ってきた。
「……安心しろ。さっきの侍女は無事だ。一時期は意識が混濁していたが、今は意識もある」
それだけ言うと、イサク様はナタリーの隣にどっかと座って、長いため息をついた。
アンはとりあえず助かったようだった。私はほっとする。
「……アンを運んでくださってありがとうございます。すぐに治療ができたことも良かったのでしょう」
「当たり前のことをしたまでだ。それにしても、あの侍女は、紅茶に毒が入っているとわかって飲んだのだろうな。ほとんど嚥下していなかったから助かったようなものだ」
「やはり、アンは紅茶に入った毒を飲んだのですね」
それにしても、少量飲んだだけであれほどまでに苦しむということは、かなり危ないものだったに違いない。
シルファーン卿は眉をひそめた。
「……うちの殿下をそちらが毒殺しようとしたのでは?」
シルファーン卿の言葉に、ライムンドとギルジオが気色ばむ。私は首を振った。
「いいえ、侍女のアンが飲んだのは私の愛用するカップの紅茶でした。ですから、命を狙われたのはイサク様でなく、私です」
ギルジオも重々しく頷いた。
「ああ、不思議に思っていたのだ。ワゴンで運ばれてきたカップの柄が揃っていないと。一脚は客用のもの、もう一つはオフェリア様がいつも使っているものだった」
「当然、私は愛用のカップを使いますから、私が狙われたという説が妥当でしょう」
私の言葉に、シルファーン卿とナタリーが押し黙る。
ライムンドは鼻を鳴らした。
「これではっきりしたな。オフェリア様の毒殺を試みるなど、万死にあたるぞ、シルファーン卿よ」
「いいえ、ライムンド。この城のものでなければ、そもそも私の愛用のカップなんて知らないはずです。だから、私に毒を盛ろうにもそれができない。適当なカップに毒を混ぜてしまえば、間違えてイサク様が飲む可能性だって十分にあったはずですから」
私の指摘に、ライムンドが今度は黙った。
「……おそらく、毒を盛ったのは侍女の誰かでしょう。私の愛用のカップを知っていて、なおかつ紅茶のそばをうろついても怪しくない人物」
「では、そちらの内部の犯行なら、内輪揉めってことよね? 私たちはとんだ茶番に付き合わされたものだわ!」
ナタリーは両手を広げて、やれやれ、と言ったポーズをとる。その場にいた全員が気まずい顔をする。
ギルジオは低くつぶやいた。
「……オフェリア様は遠慮して明言をしないが、しかし、俺があえて言おう。はたして誰の差し金で侍女がオフェリア様に毒を盛ったかは、わかりかねるのだ、とな」
ギルジオの一言で、再びその場の空気が凍る。
剣呑な視線が交わされた。ともすれば、誰かの一言ですぐにでも揉み合いが起こってしまいそうだ。
(ここで口争っても、お互いの溝が深まるだけよね……)
犯人の自白、あるいはアンの証言を待つしか今は道がない。これ以上の議論は不毛のように思えた。
私はふと窓の外を見る。ぽつぽつと雨が降ってきていた。
「……雨が降ってきましたね。足元も悪くなりますし、この場はとりあえずお開きにしましょう。申し訳ございませんが、お三方ともお引き取り願えませんか?」
私はそう言って頭を下げる。ギルジオはそんな私に食ってかかった。
「しかし、オフェリア様、犯人をみすみす逃すわけには……」
「今ここでなにか結論が出るとは思いません。アンの目が覚めるのを待ちましょう。重要なことは公正かつ明確な証拠をつかんでから糾弾すべきです。それこそ、ここではなく……、公の場で」
私はシルファーン卿とナタリー、そしてイサク様をひたと見つめた。
「……ここで俺たちは毒を盛っていない、と声高に主張したところで、説得力はないな」
抑えた声でイサク様は答えると、さっと立ち上がった。シルファーン卿とナタリーもイサク様に慌てて続く。
侍従がすでに三人の帰宅の準備を済ませており、玄関のドアは既に開かれ、ポーチにはすでに馬車が泊まっていた。早く帰れ、と言わんばかりの対応だ。
私は再度イサク様に頭を下げる。
「遠方よりはるばる足を運んでくださったのに、あまりおもてなしができず、申し訳ございません」
「状況が状況だ。仕方ない」
「お気をつけて」
「ああ」
別れ際の言葉はどこかよそよそしく、まるで東屋で優しい笑顔を向けられたのが遠い昔のことのようで、ちりちりと胸がいたんだ。
(せっかく、うまくやれそうだと思ったのに……)
少し傲慢なところもあるけれど、指摘すればすぐに改める素直さもある、この国の第二皇子。私が身代わりとしてここに連れてこられなければ二度と会うことのなかった雲の上の人。
城のドアが閉じられる寸前にイサク様のヘーゼル色の瞳が一瞬私をとらえたものの、すぐにそらされた。
じきに雨脚が強くなり、遠くから雷鳴が聞こえた。





