23.皇子と護衛
「まあ、そうは言いつつ、アマラ王はおもしろい人だぞ。もちろん、オフェリアのお父上である先王のオーウェン様も、素晴らしい人だった。けれど、それとはまた違う素晴らしさがある」
「それは、早く会ってアマラ王とじっくり話してみたいものです」
「ああ、オフェリアも王宮にくるんだろう? 近いうちに会えるさ。そうだ、お前はいつ王宮に来るんだ?」
イサク様のヘーゼル色の瞳が私をまっすぐとらえてきらきら光った。まるで、子供のように無邪気な瞳だ。まっすぐな瞳に、私はどぎまぎしながら口ごもる。
後ろに控えていたギルジオがひとつ咳払いをした。
「あいにく、オフェリア様は体調がまだ安定しないのです。まだ先になるかと」
「なんだ、そうか。残念だな」
イサク様は途端につまらなそうな顔をする。いつもは威厳のある顔つきをしているのに、感情を表に出すと、とたんに年相応の青年らしい顔つきになるから不思議だ。
「王宮に移る日程が決まり次第、すぐにご連絡いたしますわ」
「ああ、そうしてくれ。いずれにせよ、19歳になるまでには来るんだろう? そうでなければ王位継承権を失うからな」
「ええ、もちろんです」
「では、そう遠くない未来に王宮で会えるのだな。お前と切磋琢磨するのが楽しみだ」
そういうと、イサク様の形の良い目に好戦的な光がよぎった。
「俺は今でも玉座を諦めてはいないからな。必ずやアマラ王に認められ、お前を押しのけてでも玉座を手に入れる」
「!?」
私は言葉を失った。イサク様から発せられるあまりの気迫に、肌が粟立つのを感じる。
やはり、この王の風格をすでに持ち合わせている赤毛の青年は玉座を諦めてはいなかったのだ。
私がおののいたのと反対に、後ろにいたギルジオがにわかに殺気だった。
「お言葉ですが、オフェリア様は賢王オーウェン様の血脈を受け継がれた、聡明なお方。王宮へ移るのが遅れてはいますが、アマラ王もすぐに王の資質をお認めになるでしょう」
きっぱりとギルジオは断定する。オフェリアのことになると口を挟まずにはいられないのだ。私は頭を抱えたくなった。
(めんどくさいことになるから、ここで張り合わないで……!)
イサク様はニヤリと微笑んだ。
「さあ、どうだかな」
「……ッ! オフェリア様を侮辱なさるつもりか! いくら殿下といえども、聞き捨てなりません!」
「おっと、オフェリアについて悪く言ったつもりは毛頭ない。没落貴族であるオルディアスの弟なんかの意見など、聞く価値はないと言っているんだ」
イサク様の言葉に、一瞬でギルジオ顔が真っ赤になり、腰にある剣の柄を握り、抜いた。剣身が眩しいほどに陽光を反射し、鋭い光が空を切る。
「ギルジオ、いけません!」
私は反射的に二人の間に入った。イサク様はギルジオが抜刀したのを見て、薄い微笑みを浮かべる。
「いや、良い。これは決闘を申し込まれたと思っていいか? ギルジオとやらは相当の使い手と見た。一度手合わせ願いたい」
「止めてください。ここは私の庭です。流血沙汰は許しません。ギルジオ、剣をおさめなさい」
ギルジオは唇を噛み、私をしばらく睨んだあと、悔しそうな顔をして剣を鞘におさめる。
私はイサク様に深く頭を下げた。
「イサク様、ギルジオが激昂のあまりに剣に手をかけてしまったことは私から謝ります。ギルジオは忠義者ゆえ、どうしても私のことになると頭に血が上りやすくなってしまうのです」
「皇子である俺に抜刀するとは、大変な忠義者を配下にもったものだな」
「申し訳ございません。後でよく言って聞かせますので、この場はどうか穏便にお納めください」
「…………。手合わせの機会を失ったことは残念だが、オフェリアに免じて許そう」
鷹揚にイサク様は笑った。私は顔をあげる。
「しかし、イサク様、一つだけ指摘させていただきたく思います」
「なんだ?」
私は一度息をはく。
「ギルジオが没落貴族であろうが、平民だろうが、身分を理由に謗って良い理由にはなりません。それに、どんな身分の者の発言であれ、聞く価値のない意見なんてありません」
第一皇子に諫言するなんてあまりに無策だけれど、言わずにはいられなかったのだ。
ギルジオが私の後ろで驚いたような、身じろぎをした音がした。
イサク様はハッとした顔をして、しばらく考え込んだ。気まずい沈黙が流れる。
「……そうだな、オフェリアの言う通りだ」
しばらくして、イサク様が深く頷いた。私は嘆息する。とりあえず、大ごとにならずにすんだようだ。
イサク様はガシガシと頭をかいた。
「……オフェリアはすごいな。王たるもの、どんな身分のものの言葉も耳を傾けねばならないと亡き父上に諫められた記憶があるのに、俺はいつの間にかその視点がすっぽり抜けてしまっていたようだ」
「いえ、私のようなものの意見も素直に受け入れていただいて僥倖の至りです。その度量、感服致しました」
「皆の意見を受け入れよ、と言ったのはお前だぞ。それにしても、この城に閉じこもっていた世間知らずな皇女だとばかり思っていたが、そうではないらしい。幅広い身分の者たちとしゃべってきたんだな。平民たちよく話すのか?」
私はどきりとした。オフェリアなら、確かにあのようなことは言わないかもしれない。
「し、城のものが良くしてくれましたからね!」
「それは良いことだ。これは、お前が王宮に移ってくるのがますます楽しみになった」
イサク様は私の取り繕った言葉を深く追求せず、目を細めた。
あいかわらず、第二皇子と話すと時々肝が冷える場面があるものの、根は悪い人物でないことは確かだった。
何気なく庭に目を転じると、ちょうど庭の小道を侍女がワゴンをもって歩いているのが見えた。
「あっ、お茶の準備ができたみたいですね。ワゴンが来ました。紅茶は、チルガ産の茶葉をつかっているのですが、お口にあえば……、って、あれ?」
私は口をつぐんだ。侍女が運ぶお茶を乗せたワゴンを追って、誰かが走ってきているのが目に入ったのだ。
イサク様が首をかしげた。
「誰か走ってきているように見えるが……」
「あれは……、うちの侍女のアンです。どうして走って……?」
いつもおっとりとしずしず歩くアンからは想像もつかない速さだ。
振り向いてギルジオを見ると、彼も不可解な面持ちをしていた。
アンは息を切らしてお茶を乗せたワゴンに追いつき、ワゴンの上の紅茶が入ったカップを持った。ワゴンを運んでいた侍女が驚いた顔をして、カップをアンの手から奪おうとしたものの、その手からひらりとアンは逃れる。何か迷ったような表情をした後、アンは意を決したように、カップに口をつけた。
「えっ」
私は驚いて言葉を失った。
ギルジオは戸惑った顔をして、ワゴンのほうに大股で歩き出す。
「おい、アン! 何をしている!!」
――――刹那。
「ッ!?」
震えながらカップをワゴンに置いて、怯えた顔をしていたアンの体が、突如ぐにゃりと曲がった。
そばにいた侍女が甲高い悲鳴を上げる。
(えっ)
私は、状況がわからないまま立ち尽くす。めまいがして、足元がぐらつき始める。
イサク様が何かに気づいたように急に立ち上がって怒鳴った。
「おい、そこの侍女が飲んだものを今すぐ吐かせろ!!」
しかし、イサク様が叫んだ時にはすでに、アンは徐々に苦悶の表情を浮かべ、もんどりうって崩れ落ちるように倒れた。シミ一つないまっさらなエプロンが、土で汚れていく。
「アン――ッ!!!」
私の絶叫が、広い庭にこだました。





