2.鋳造工房の娘
「あ~、早く結婚したいなぁ~♪」
バスティガは今日も良く晴れていた。
穏やかな陽気の中、私は自作の鼻歌を歌いながら、鋳物砂を運ぶロバたちの背をなでる。ロバたちが心地よさそうにブルル、と嘶く。
バスティガを囲むブンガ山脈には頂上こそまだ少し雪が残っているものの、裾野は新緑できらめいていた。ブンガの山から下りてきた爽やかな風が、木々を揺らす。
「おーい、コリン! ちょっと待ってくれ!」
急に呼ばれた名前に、私は歌うのをやめて振り返った。
コリン・ブリダンはこの世界での私の名前だった。もうこの名前を与えられて16年になる。
私はいわゆる前世の記憶を持つ者として、この世界に産まれた。正しくは、恩返しを申し出る神様を名乗る変な人から、3つの願いを叶えてもらった上で、再び生まれ変わったのだ。1つ目の願いは、「前世の記憶を保持したまま生まれ変わること」だった。男性に騙され続け、散々だった前回での人生での反省点を活かすためだ。
いわゆる異世界に生まれ変わった私は、当初はとにかく戸惑うことが多かったけれど、16年もこの世界で過ごしていると、もうすっかり慣れてしまった。ロバを繰るのも手馴れたものだ。
私の名を呼んだ人物は、ややあって私に追いついた。
「コリン、やっと追いついた!」
「バルおじさん、どうしたの? 今日は非番じゃないの?」
バルおじさんは、父のもとで働く職人だ。
「今日は掃除番で出ていたんだよ。それより、ヨルダがお前さんを探しとったぞ。急ぎではないと言っていたから、それを運んだら行けばいい。荷下ろしは俺がやろう」
「うん、わかった。お父さんが私を探しているってことは、また工房で人を雇うってことかな?」
「はは、その通りだ。経理と新しく人を雇うことに関しては、ヨルダもコリンに頼りきっているからなぁ。弟のテリーはすでに鋳物に関しては何でも一通りこなせて勉強熱心だ。ブリダン家の工房は今後も安泰だなぁ」
「そんな、褒めすぎだよ」
私は少し照れながら首を振る。それでも、大好きな家族を褒められて悪い気はしなかった。
私が生まれたブリダン家は鋳物を扱う工房を代々営む家だ。父のヨルダは多くの職人たちを束ねており、人望も厚い。ちなみに、母は料理上手で何かといつも動き回る世話好きな人で、弟は明るい性格で誰からも好かれる子だ。家族仲はすこぶる良好で、大きな喧嘩は一度もしたことがない。
おじさんは少し人の悪い顔をした。
「ここだけの話だが、もしかしたらテリーじゃなく、コリンが工房を継いで工房長になるかもしれないなぁ。ここ最近イフレン帝国はアマラ様が皇帝になったんだし、これからは男女関係なく能力があるほうがトップに立つ時代がきたのさ。現にお前は賢くて何かとヨルダに頼られているし、工房の職人たちもお前には一目置いているんだぞ」
「みんな私のこと買いかぶりすぎ。それに、誰が王様になろうと、わが家には関係ない。ブリダン家の工房は伝統通り長男が継ぐし、私も良い人をさっさと見つけて結婚して、幸せな家庭を築くの」
「あのヨルダがお前さんの結婚を認めるとは思えないんだがなぁ。なんせ娘が可愛くてしかたないと公言してやまないからなぁ」
おじさんは苦笑した。
この世界では10代で結婚することは珍しくない。むしろ多いくらいだ。私にもそろそろ相手がいてもおかしくない年齢でもあるのだけれど、残念ながら私を溺愛しているお父さんが渋りに渋っているので、相手選びの段階で難航している。
私は話題を元にもどした。
「それよりも、今回はどんな人が雇われに来ていたの? 独身で彼女もいないイケメンはいた?」
「お前さんはまた、すぐそういうことを訊いてくるなぁ。残念ながら、俺も遠くから見ただけで、顔までは見てないよ」
バルおじさんの答えに、私はがっくりする。
「なぁんだ」
「そうがっかりするな。顔は見ていないが、一人金髪の若者がいたぞ」
「へえ、金髪! 北の領土の出身の人なのかしら。珍しいわね」
このあたりでは金髪のような色素の薄い髪色を持つ人は珍しい。
ギルティア帝国南部にあるバスティガの住民たちは、ほとんどが茶色か栗色の髪の毛をしている。そういう私の癖のある髪も、父親譲りの栗色だ。それに対して、北方の領土の人々は色素の薄い髪色の人々が多いのだそうだ。そうは言っても、私はこのバスティガからほとんど出ないので、たくさんの金髪の人々がいる地方なんて想像もつかないのだけれど。
ロバの背を撫でながら、おじさんはのんびりと笑う。
「金髪といえば、先月他の地方の貴族たちがうちの工房に技術の視察に来たじゃないか。その中の、金髪の貴族の男がじっとコリンを見ていたらしいな? 作業場の女たちが、きっとあの男はコリンに一目ぼれしたんだと騒いでいたぞ」
「もう、みんな変に騒ぎ立てるんだから。絶対気のせいだってば。第一、気があるんだったら私に話しかけてくるはずでしょ? でも、あの人はそうはしなかったし、おおかた誰か知り合いにでも似てたんじゃないかしら?」
私は苦笑したものの、おじさんは顎を軽く撫でる。
「お前さん、口を開けば結婚結婚うるさいが、口を閉じていさえすれば器量よしなんだから、貴族の男に見染められて首都へ……、なんてこともあるかもしれん」
「あー、私は遠慮しとく。貴族になるのも面倒くさそうだし、首都は遠いからね。結婚したらこの地方を離れてしまうかもしれないでしょう? そうすると工房も手伝えないし、それはいやだなぁ」
「親孝行だな。ヨルダもそれを訊いたら喜ぶぞ」
「もう、そう言うんだったら、バルおじさんこそ、良い人知らない? 私と同じ年くらいのイケメンで、性格が良い人がいいなぁ」
「馬鹿言え、俺がコリンに男を紹介したと知った日にゃ、俺はヨルダに煮えたぎった坩堝の中に突き落とされちまうよ。まあ、心当たりがあるとすれば――……」
おじさんの言葉の途中で、まさに新緑で青々としだした樹齢100年はあろうかという木の下を通ろうとしたとき、急に頭上からパラパラと小枝と木の葉が降ってきた。先頭を歩いていたロバが驚いて鋭く嘶いた。
「やーい、コリン! 結婚相手は見つかったか!?」
私がキッと見上げると、ちょうど気の上にベニートが木の上から勝ち誇った顔で私を見下ろしている。ベニートは村にある唯一のパン工房の息子であり、私の幼馴染だ。ここ最近は妙にこうして突っかかってくる。
私はため息をつくと、腕を組んだ。
「ちょっと、ベニート! ロバがびっくりするじゃない! 私に相手にされないからって、そうやってからかってくるのはやめなさいよ!」
「な、なんだと!」
すぐに顔を真っ赤にして木の上で怒るベニートに、私は舌を出した。
「すぐにイケメンとスピード婚するんだから、今に見てなさい!」
「お、お前みたいなガサツな女なんか、絶対無理に決まってるだろ!」
お互い歯をむきだしにしてしばらく威嚇しあったけれど、途中でベニートが木から飛び降りてどこかに走り去ってしまう。昔のベニートは弱虫で、いつも私の後ろをついてまわっていたのに、私より背が高くなったあたりから、顔を合わせれば喧嘩ばかりするようになってしまった。
一連のやりとりを見ていたおじさんが呆れたように微笑んだ。
「まったく、ベニートも素直じゃない。お前のことを気に入っているくせに、素直に気持ちを伝えられないんだよ」
「……ああいう子供っぽい男はお断りよ」
「まあ、そう言ってやるな。俺はベニートがなかなかいいと思うんだけどなぁ」
「はあ!? ベニートだけは絶対イヤ!」
私がキッパリと言うと、おじさんがまあまあ、と私の肩を叩く。
「ベニートであれば、間違いなくこの先安泰だぞ。コリンはこの村にも残れるし、工房の手伝いも変わらず続けられる。第一アイツは、お前のことをよく理解っているしなぁ。そういうヤツがやっぱり一番なんだよ」
一人で納得したようにうんうん、と勝手に頷くおじさんに、私は思いっきり苦い顔をして見せた。