19.侍女部屋にて
今回は侍女のアンの視点になります。
私、アン・ウォーレンは、給湯室の隅で落ち着かない気持ちでカトラリーを拭いていた。
このカトラリーを拭くのはもう3度目だ。私の手元に並べたカトラリーは十分過ぎるほどに光沢を放っていたけれど、何かをしていないと気がおかしくなってしまいそうだった。
(オフェリア様、大丈夫かな……)
私はちらりと横に座っているマリーさんを見た。マリーさんは眉間のしわをさらに深くして、黙々とカップを拭いていた。マリーさんが拭いているカップも、十分過ぎるほどピカピカだ。
しばらく見つめていると、私の視線に気づいたマリーさんが押し殺した声で「なんだい」とだけ言った。
私はポケットから紙と鉛筆を取り出す。
『オフェリア様、大丈夫ですかね?』
そう書いてマリーさんに見せると、マリーさんはフン、と鼻を鳴らした。
「あの子は図太いところがあるから大丈夫だよ。この1ヶ月、マナーもみっちりしっかり教えこんだんだ」
『でも、もし失敗したら……』
ライムンド様に殺されてしまう、とまで書こうとしたけれど、手が震えてそれ以上書けなかった。マリーさんはそれ以上なにも言わず、ただ黙々と手を動かす。あまり「もしも」のことを考えたくないのだろう。
マリーさんだって、教育係を任されてしまった以上、厳しくあたってはいるけれど、心の奥底では明るく、人懐っこいあの子のことが好きなのだ。
(かわいそうなオフェリア様……)
オフェリア様と私が呼んでいる人は、本当はコリンという名前の、オフェリア様と瓜二つの少女だ。かなり遠くからさらわれてきたと聞いている。
でも、彼女はいつも悲惨な境遇を感じさせないほど、気丈に振る舞っていた。利発でおしゃべり好きの彼女は、いるだけでその場の空気をパッと変えてしまう。
無口であまり感情を表に出さないギルジオ様も、表には出さないけれど、かなり身代わりのほうのオフェリア様のことを気にかけているようだった。気にかけ過ぎてしょっちゅう取っ組み合いの喧嘩になるのが玉に瑕だけど。
(喧嘩するほど仲がいいってことよね)
意外とあの二人はお似合いなんじゃないかと私は勝手に思って応援している。
とにかく、カトラリーを拭き終わった私は、そっと立ち上がってやることを探し始める。
隣の台所では、片付けのために待機させられている侍女たちが興奮したように騒いでいた。みんな、今日の夕食に内心興味津々なのだ。
この城に来てからというもの、身代わりにされたオフェリア様はいつも毅然としているせいで、他の侍女たちには「えらそう」、「生意気」、「調子に乗っている」等々誤解されて、酷い悪口を散々浴びせかけられていた。
最初は、私もそう思っていた。オフェリア様の名を騙る、嫌なヤツだと。
(でも、本当は違う)
毅然として振る舞ってはいたけれど、最初のうちは、傷つき、憔悴して毎日泣いていたのを私は知っている。本当に、彼女はなんてことのない普通の女の子だった。
その上、竹を割ったようなさっぱり性格が災いして、
『陰でコソコソ言うんだったら、私に直接言ってよ。直すからさ』
と、侍女たちに言い放ったことがさらに侍女たちの逆鱗に触れ、陰口は激化してしまったのだ。
(私の声がもし出たのなら、誤解を解いてあげられたのにな)
そっと私は、自分の喉にふれた。
5年前、私はオフェリア様の飲み物の毒見番だった。そして、私はオフェリア様の代わりに飲んだ毒で声を失ってしまった。焼けるようなのどの痛みは今も鮮明に覚えている。
幸運なことに、すぐに毒を吐き出したので命は助かったものの、喉が潰れてしまい、完全に話すことができなくなってしまった。当時この城を管理していたライムンド様は、喋れなくなった私をあっさりとクビにしようとした。それを知ったオフェリア様が、私を特別に侍女にしてくれたので命拾いしたのだ。
(ライムンド様のこと、みんな優しい人だというけれど、私はそうは思わない)
ライムンド様は見た目や態度は確かに柔和そうに見えるだけで、心はどこまでも冷徹そのものだ。
だから、あのオフェリア様が万が一、何かをやらかしてしまえば、あっという間に用なしと判断されて、人知れず殺されてしまうだろう。
私は身を震わせて、再び違う場所に置いてあったカトラリーをいそいそと取り出し、一つ一つ拭く作業に戻る。
作業に没頭していると、やがて廊下がにわかに騒がしくなった。私は顔を上げる。
隣の台所のドアが騒々しく開く音がした。きっと、夕食の給仕をしていた若い侍女が帰ってきたのだ。台所で片づけのために待機していた侍女たちが騒ぎ出す。
給湯室と台所の音は筒抜けなので、私はそっと聞き耳をたてた。
「あの子、ライムンド様との夕食を終えたわ!」
「結果はどうだったの!?」
一瞬、水をうったように部屋が静かになる。私の鼓動が跳ねた。
「……大丈夫だったって!!」
聞き耳をたてていた私は、思わず止めていた息をはいた。隣にいたマリーさんが、視界の端で小さくガッツポーズをしたのが見えた。
(オフェリア様は、ライムンド様のテストに合格できたんだ……)
よかった、と私は胸をなでおろす。
台所にいた侍女たちは結果を知ったとたんに、堰を切ったように騒ぎ出した。
「夕食の様子をみた? どうだったの?」
「普通に終わったよ。途中から、本物のオフェリア様が話してるみたいで、ちょっと不気味だったし」
「なぁんだ、つまんない」
「つまらなくていいじゃない。さすがに、ねえ……?」
侍女たちの間に、一瞬気まずい沈黙が流れた。
「……私たち、あの子を散々いじめてきちゃったけどさ、……殺されちゃうのは、なんかかわいそうじゃない」
「それもそうよね。……ところで、料理室で賭け事してたヤツらがいたでしょ。あれ、どうなったの?」
「なんだかんだでみんな『殺されない』に賭けたから、賭けにならなかったみたいよ」
「そりゃそうよね。最初はダメダメだったけど、最近は廊下ですれ違うたびに、オフェリア様が歩いてるって錯覚するくらいだもの」
噂話好きの侍女たちが、かしましく騒ぎながら次々に部屋を出て行く。夕食を片付けに行くのだ。
マリーさんはやれやれ、といった様子で頭を振って、私を見た。
「アン、いつも通りオフェリア様にお茶を淹れてあげな。疲れているだろうから、レモンと砂糖を多めに。あくまで明日が本番だ。くれぐれも早く寝るようにお伝えするように」
私はマリーさんに向かって大きく頷き、軽い足取りで立ち上がった。





