18.試練の時
「これは、イサク殿下に会う前に覚えなければいけない情報をリストにしたものだ。すべて覚えろ」
そういうと、ギルジオは冊子を荒々しく机に叩きつけた。見るからにぶ厚い紙の束を前に、夕食を食べ終えてくつろいでいた私は目をぱちくりさせた。寝耳に水だ。
「え、これ、全部……?」
「当たり前だろう。俺が取り急ぎ今日まとめたものだ。全部、明日の兄上との夕食までに死ぬ気で覚えろ」
「明日の夕食までに!? 1日もないじゃない!」
私は目の前が真っ暗になりかけた。
(いつもはずっと私を見張ってるくせに、今日の授業中はそばにいないなって思ってたら、これを作ってたのね……)
とりあえず冊子をペラペラめくってみたけれど、あまりの情報量にめまいがしたのですぐに閉じた。それにしても、この量の冊子をよくもギルジオは一日で作り上げたものだ。
ギルジオは腕を組んで難しい顔をした。
「お前はオフェリアとして完璧に受け答えしないといけないんだ。これぐらいは憶えてもらわないと困る」
「イサク様に、この冊子に書いていないことを訊かれたらどうするの?」
「その時は俺が答える。俺とオフェリアはいつも一緒だったんだ。まあ、オフェリアが知っている情報は俺が知っている情報と思って差し支えはない」
「ふーん、心強いなー」
「お前、それ心から言ってないだろ!」
額に青筋を浮かべて、ギルジオは私の頭に拳骨を食らわせる。
「痛ッ! ギルジオ、女の子に暴力ふるっちゃだめだよ! サイテー!」
「うるさい! 脛をあやまたず蹴ってくるヤツを、俺は女扱いしない!」
「なんだ、なにも言ってこないと思ったけど、やっぱり根に持ってた! でも、あれは全体的にギルジオが悪いんだからね!」
「なんだと!?」
私とギルジオがてんやわんやの言い合いをしていると、控えめにドアがノックされ、侍女のアンがぴょっこりドアの隙間から顔を出した。
ギルジオはアンの登場に居心地の悪そうな顔をしたあと、私をビシっと指さす。
「とにかく、今夜はこれを全部覚えるまで寝られないと思えよ! それから、明日は、髪を染め直すから講義は止めだ!」
わかったな、と言うと、一時休戦とばかりにギルジオは足早に私の部屋を去った。入れ違いに、温かいお茶を持ってきたアンが入ってくる。
「いつもありがとうね」
アンは微笑んで少し頷いた。喋ることができないアンなりの「どういたしまして」の仕草だ。
差し出されたティーカップを受け取りながら、私は唇をとがらせた。
「それより、アン、聞いてよ。 今日は寝られないかもしれないの。ギルジオったら、この冊子全部覚えろって言うんだよ」
愚痴を言う私を励ますように、アンは微笑んで、ごそごそとポケットから紙と鉛筆を取り出す。
「え、なになに? どうしたの?」
私は首を傾げてアンが文字を書き終わるのを待った。喋れないアンが文字を書けると気づいたのは最近だ。
アンはさらさらと紙に何かを書き付けて、私に見せた。
紙には、
『オフェリア様ならきっとできますよ。でも、無理はしない程度に、頑張ってくださいね』
と、整った文字で書いてあった。
「ありがとう! そう言ってくれるのはアンだけ」
そう言って、私はアンに抱きつく。アンはくすぐったそうにクスクス笑った。
*
「……えっとだからヴィジ辺境伯爵がイサク様の伯父様で、ヴィジ辺境伯爵の妹君がシッシー様……。シッシー様はオフェリアの7年前に亡くなったお母さんと仲が良くて……」
私は頭の中で氾濫しそうな情報を整理しながら、ブツブツ呟く。なんとか渡された冊子の中身を全て頭の中に叩き込んだけれど、まだ自信がない。
「待って、シッシー様ってガオリヴィ卿の奥様じゃなかった? あれ、シス様だっけ?」
横で私の呟きを聞いていたギルジオが、我慢がならない、といった様子で口を出す。
「シス様はエイラン卿の奥方だ。ちなみに、イサク殿下の母君はシス様の義理の姉上だぞ」
「あー、もうやめて! 余計こんがらがっちゃう!」
頭を抱える私に、ギルジオは若干心配そうな顔をした。
「お前、大丈夫か? あと一時間後には兄上との夕食だが、あと一時間ずらしてもらうように頼んだほうがいいか?」
珍しいギルジオの気づかいに、私は目を見開いた。
「あれ、どうしたの? ギルジオにしてはやけに優しいじゃない」
「この馬鹿め。事の重大さが分かっているのか? この夕食で失敗したら、お前は役立たずと判断されて、兄上に殺されるんだぞ」
「ギルジオ、もしかして私が殺されないか心配して……」
「なにを言っているんだ。お前が殺されれば、俺の貴重な一か月が徒労に終わる。兄上も俺に失望するだろう。それが嘆かわしいだけだ。お前の命はどうだっていい」
「なーんだ、一瞬感動して損した」
私は腕を組んでむくれた。もとより、冷酷なギルジオに人らしい心を求めるだけ無駄だ。
(とはいっても、相手はライムンドだからなあ……)
私はギルジオに隠れてため息をつく。
正直、弟のギルジオよりも、兄のライムンドのほうが冷酷な人物であることは薄々気づいている。余命いくばくもない第一皇女の代わりに平民の女の子を身代わりにする、という荒唐無稽なアイディアを思いついたのも、ライムンドだ。
もし今日の夕食で、ライムンドから私がオフェリアとして完璧な振る舞いができないと判断されれば、一瞬の迷いもなく、私は文字通り切り捨てられるだろう。
(まだ、死にたくはない)
どんなにつらい状況でも、私はなんとか生きのびたかった。生きていればもしかしたら故郷の家族に会えるかもしれないし、この世界で死んでしまった場合、運よく自称神様が現れて3回目の人生を送るチャンスをもう一度与えられるとは到底思えない。
だから、少なくともこの世界で幸せな結婚するまで、私は死ねないのだ。
そういえば、と私はずっと引っ掛かっていたことを口にした。
「この冊子で知ったんだけど、ギルジオとライムンドは、オフェリアの親戚なんでしょ? もともとこの城は確かオフェリアのおじい様の第一大公のものなのに、なんで二人はここにいるのよ」
このチルガは、第一大公と呼ばれるオフェリアの祖父、テスタ卿が治める街だ。そして、この城はそのテスタ卿の所有物のはずだった。
ギルジオは少し難しい顔をする。
「第一大公であるテスタ卿は、政に影響力があるお方だ。いつもは首都に身を置いていて、めったにこの城には帰ってこない。だから、俺は第一大公と兄上がこの城を留守にする間、この城や領土のことを任されている」
「じゃあ、オルディアレス家の領土はどうなるの? ギルジオやライムンドだって貴族じゃない」
「オルディアレス家は、領土も財産もない。俺たちの両親は浪費家で、ろくでもない没落貴族だった。両親は借金の返済のために領土も売り払い、ついには借金が返せなくなり、借金取りに殺されたらしい。情けない話だ。そのせいで、俺たちは兄弟そろって路頭にまよいかけた。そんな時に助けてくださったのが第一大公だ」
「……ごめん、話したくないことを訊いちゃった?」
「別に、構わない。俺は両親の顔も覚えていない。物心がついた時にはこの城にいた」
ギルジオは淡々と言った。
「第一大公は俺たちの後見人になり、この城においてくれた。その上、第一大公は兄上を側近として徴用してくださった。俺たちは第一大公には頭が上がらない」
「へえ、そうだったんだ」
ライムンドのような腹の底が分からない人物を側近として徴用するなんて、よっぽど第一大公は人を見る目がないに違いない。
私が釈然としていないのに気づいたらしく、ギルジオはムッとした顔をする。
「なんだよ、その顔は。兄上は誰よりも優秀なお人だぞ」
「はいはい、わかってますよ」
私はおざなりに頷いた。
ギルジオは普段はあまり自分のことについて話さないものの、身内への評価がとことん甘い傾向があるのは十分過ぎるほど知っている。オフェリアへの崇拝っぷりも異常だけれど、ブラコンっぷりも相当だ。おそらくライムンドを見るギルジオの目には、ぶ厚いフィルターがかかっているのだろう。
(ステータス表示上では、ギルジオのほうが能力値的には高いし、優秀なんだけどなぁ……)
私がそれを指摘しても、おそらくギルジオは素直に喜ばないだろう。私は口をつぐんで、ギルジオが一日でまとめあげた冊子を再び眺めた。
やがて、マリーが食事の準備ができた、と呼びに来た。
ギルジオは私をみやる。
「いけるか?」
「もうここまで来たら、やるしかないでしょ。さっさと終わらせましょ」
そういって、私は嘆息すると、重い足取りで一歩踏み出した。
長い廊下ですれ違う侍女たちは、みな興味津々、といった顔でしずしずと歩く私を見ていた。今夜はさすがに悪口も聞こえてこない。
(まあ、今日の夕食の内容によっては、私はライムンドに殺されるかもしれないわけだし)
さながら、裁かれる前の罪人のような気持ちになった。
(ほんの一か月前は、家業を手伝う、親孝行なただの田舎娘だったはずなのに、どうしてこうなったんだろう)
ぐるぐると考え事をしていると、あっという間に目的地に到着する。通された食堂は、目が眩むほどにまぶしかった。平民の私には、煌びやかすぎる。ギルジオは神妙な顔で私をエスコートして、天鵞絨張りの椅子に座らせた。変な感じだ。
「お前は今ここから、オフェリアとして振る舞え。いいな」
押し殺した低い声で、ギルジオは私につぶやく。私が軽く頷いたのを確認して、ギルジオは音もなく後ろに下がった。
目の前には見るからに美味しそうな食べ物が並んでいるのに、緊張しているせいで一切食欲がわかない。
しばらくして、優雅な足取りでライムンドがやってきた。
「遅れたな。では、始めよう」
ライムンドの一言で、一斉に侍女たちが給仕を始める。私はいつも通りの順番で、料理に手を付けた。マリーには食事のたびに散々怒られてきたので、テーブルマナーはほぼ完ぺきだった。
無駄に長い机を挟んでちょうど真正面に座ったライムンドの冷たい薄緑色の瞳が私をとらえる。試すような瞳だ。
「オフェリア、明日はイサク殿下が来訪される」
(ああ、始まった)
私の心臓が早鐘のようになっている。声が震えないように気をつけながら、私はゆったりと微笑んだ。
「ええ、ライムンド。存じていますわ」
感想、評価、ブックマークありがとうございます!
先日、感想を初めていただけたのですが、驚きすぎて変な声が出ました。





