17.四王の崩御
元第一皇子が来訪する、という一報は、ライムンドが帰ってきた日の翌朝にはまたたくまにマレーイ城中を席巻していた。
(なんか、一気に慌ただしくなったなあ)
まだ朝早いのにもかかわらず、侍女や従者たちの慌ただしい声が、城の奥まったところにあるこの部屋まで聞こえてくる。急ピッチで来賓をもてなすための準備が進んでいるようだった。
そんな慌ただしい雰囲気の中、私は朝食の席で、パンをモソモソと食べながらあくびを押し殺す。私の向かいの席に偉そうに座って紅茶を飲むギルジオも、整った顔にどこか疲れが見える。
昨日の一件で、私たちは完全に寝不足だった。
(オフェリアに『最期の願い』の話をされて、ギルジオと喧嘩して、極めつけに久しぶりに現れたライムンドに元第一皇子が来るって言われて……)
昨晩の怒涛のやりとりで、昨晩はすっかり目がさえてなかなか寝付けなかったのだ。恐らく、ギルジオもそうなのだろう。
私はあくびが再び出そうになるのをなんとかごまかすために、口を開く。
「……ギルジオ、昨日はなんで私が部屋を抜け出したこと分かったの?」
「お前の部屋から聞こえてくる足音が、明らかにお前のものではなかったからな」
ギルジオは軽く嘆息する。
「あやしいと思ってお前の部屋に行ってみれば、そこにはアンがいた」
「アンの足音と私の足音って、違う?」
「お前の足音は大男の足音とおなじくらいうるさい」
後ろで話を聞いていた侍女のマリーが大げさなほどのため息をつく。お茶を淹れていたかわいそうなアンが、怯えた様子で肩を震わせた。
昨晩は逆上したギルジオの脛を蹴るというアクシデントもあったけれど、ライムンドの登場ですっかりうやむやになってしまった。
しかし、マリーには昨晩の一件はなぜかしっかり伝わっており、アンと一緒に朝着替えるときにこってり絞られたばかりだ。これ以上ギルジオに足音のことを言及されると、またマリーのお説教が始まってしまうのは火を見るよりも明らかだったので、私は慌てて話を変えた。
「三日後、元第一皇子が来るんだってね。イサク様だっけ? どうして、この城に来ることになったの? かなり急な決定に思えたんだけど……」
私の質問に、ギルジオは複雑な顔をした。
「どこから話せばいいものか……。お前は、3年前にあった四王の崩御を知っているか?」
「それくらいなら、いちおう……」
私は頷いた。いくら南端の領土にいて、王宮の事情に詳しくなかった私でも、この事件のことは知っている。
それは痛ましい事故だった。
オフェリアの父親である先王と、先王の3人の弟たちが事故に遭ったのだ。大きな地震が発生し、落石に驚いた馬が暴れ、4人の王族たちが乗った馬車が谷底に落ちてしまった。不幸なことに、生存者は一人もいなかった。
このニュースはすぐに国中に広がった。国の南端に位置する私の故郷でさえ、その事故のあった同じ週にはすでに先王と弟王たちの事故死を知っていたほどだ。
「事故があった谷は、チルガの南に位置するボスリン山脈の中ほどにある。近々、そこで先王たちの死を悼む三周忌の式事があるんだ。王族たちはみな出席するが、オフェリアは体調不良を言い訳に、その式事には欠席ということになっていた」
「ああ、そうなんだ」
式事の欠席自体は妥当な判断に思える。身体の弱いオフェリアを式事に出席できないだろうし、皇女教育を始めて一か月の私を公的な行事に出すのはさすがにははばかられたのだろう。
「で、イサク様は、その式事に参加するのね」
「ああ。それで、せっかく近くまで来たのだから、オフェリアの様子を見に来る、と、突然言い出したらしい。兄上は一応断ったのだが、言いくるめられ……」
ギルジオはあからさまに嫌そうな顔をする。
「強引ね。まあ、ただの体調不良のお見舞いってことじゃなさそう。ところで、イサク様って、どんな人なの?」
「イサク殿下は……勇猛果敢、頭脳明晰、おまけに公明正大な人物だと聞いている。王として申し分のない性格だと」
「なにそれ、人づてに聞いたみたいな言い方じゃない。実際のところはどうなの?」
「わからん。俺たちは、ほとんどしゃべったことはない」
「えっ」
私は困惑する。ギルジオは嘆息すると、持っていたティーカップをテーブルの上に置いた。
「俺もオフェリアも、数年前のパーティーで会ったのが最後か。挨拶程度しか会話していない。その前に数度会ったことがあるらしいが、幼すぎて記憶がほとんどないんだ。オフェリアが第一皇女になってからは、会うのは初めてだな」
「そうなの? いとこ同士なのに、そんなに会わないって変じゃない?」
私が首を傾げると、ギルジオは呆れた顔をする。
「伝えたはずだ。オフェリアはもうこの3年、この城から出ていない、と。首都に行かなければ、他の王族なんてそう簡単には会えない。まして、イサク殿下は王位継承権一位の皇子だったんだ。継承権の低い王族になんてみすみす自分から会おうとはしないだろ」
「王位を狙って、殺される可能性があるから?」
私の質問に、ギルジオは苦い顔をした。
「……そうだ。王族のものたちは、なるだけ他の王族たちとの接触は控える傾向にある。それに、どうせ18歳になれば、王位継承権があるものは帝王学を学ぶために王宮に出仕し、嫌でも顔を合わすんだ」
「えっ、王様が変わるまで、ずっと私はここで過ごすんじゃないの!?」
私が驚いて目を丸くすると、ギルジオはますます呆れた顔をした。
「言ってなかったか? お前は半年以内に、王宮にあがらせる。現に、イサク殿下は先にもう王宮にいる状態だ。お前は後れを取っている」
「後れをとっている? オフェリアは王位継承権一位の第一皇女になったんだから、イサク様が先に王宮入りしていようが、関係ないんじゃないの?」
「帝王学を学ぶ中で、王が実力を認める王位継承者がいれば、王位継承権の順位を無視して王位を授けることができるんだ。そのための王宮への出仕だからな」
「えーっと、つまりイサク殿下に王の素質があるとアマラ王が認めれば、イサク殿下に王位が渡るということ?」
「そうだ。この文化は形骸化しているが、あの破天荒なアマラ王のことだ。何を言い始めるかわかったもんじゃない」
「……知らなかった」
この帝国は、ずいぶんややこしい決め方で王を選んでいたらしい。
やがて、今まで黙って控えていたマリーが苛立たしげに教師の到着を告げ、テーブルを片付け始めたため、私は慌ててパンを頬張った。今朝食をしっかり食べなければ、昼食までお腹の虫を必死でなだめることになってしまう。
「今日はとにかく礼儀作法を基礎からやり直しだ。明日の夜、兄上の前で夕食をとり、一通りの礼儀作法をチェックするから、そのつもりでいろ」
「はぁい」
「お前、その返事をイサク殿下の前でするなよ!」
ギルジオがいつもの調子で私を睨みつけた。





