16.はた迷惑な勘違い
「なぜ、お前がここにいる!」
押し殺した声で、ギルジオは私に訊いた。詰問した、という表現のほうがぴったりかもしれない。
(ああ、オフェリアが泣いちゃったタイミングでギルジオが現れたせいで、事がややこしく……)
私は頭を抱えたくなる。誰が悪いわけでもないけれど、あえて言うならタイミングが悪い。
ギルジオの後ろで、アンが涙目になってオロオロしながら、私にしきりに頭を下げてきた。責任を感じているのだろう。
必死で言い訳を考える私の後ろで、先ほど泣いたせいで目が赤いオフェリアが落ち着いた声で弁明する。
「私がコリンをこの部屋に招待しましたの。どうしてもおしゃべりしたいと思ったから……」
「オフェリア、この女を庇う必要はない。 何をされたんだ? なぜ泣いている?」
「泣いたのは、コリンの状況を思ってのことです。こんなに大変な状況なのに、コリンは私たちを一言も責めなかったのよ」
「嘘だな。この女、どうせあることないことペラペラとしゃべったんだろう。この女の口車に乗る必要はないし、慈悲をかけてやる必要もないんだぞ? 何を言われた?」
完全に勘違いして怒りで端正な顔を赤くしているギルジオが、立て続けに質問をした。オフェリアが丁寧に状況を説明してくれたけれど、ギルジオがオフェリアの言葉を額面通り信じているとは到底思えない。
私はじりじりと後退りした。逆上したギルジオなんて、面倒くさいのは目に見えている。
(誤解されたままなのは不本意だけど、これは戦略的撤退しなきゃ。逃げるが勝ちよ)
希望的観測にはなるけれど、このままいけばオフェリアがおそらくギルジオを説得してくれるはずだ。
「じゃあ、私、部屋に戻るね。オフェリア、たくさんお話できて良かったわ」
アンを連れて部屋を出ようとする私の行く手を、ギルジオは嫌味なほどに長い足で阻んだ。私は身体を竦ませて足を止める。作戦が失敗したことは明らかだ。
「オフェリア、俺も出る。とりあえず、今日は休むんだ。顔色が悪い」
「ギルジオ、コリンを怒らないで」
「わかった」
私には決して向けない柔らかな表情で、ギルジオは頷く。オフェリアはホッとした表情をした。
「行くぞ」
そう言って、ギルジオに退室を促され、私はオフェリアに手を振って部屋を出る。
部屋を出てしばらく、私たちは無言だった。
ギルジオは階段のところでアンに一階の侍女たちの部屋に戻るように伝え、アンが心配そうに私を振り返りつつ、暗い階下に消えた。
「じゃあ、ギルジオ、おやすみなさい」
私は足早に自室のある三階へ戻ろうと、素早く踵を返す。そんな私の腕を、ギルジオは強い力でギリギリと掴みあげた。
「い、痛い! オフェリアに怒らないって約束してたじゃない!」
「黙れ! お前がオフェリアを泣かせたんだろう」
「だから、違うってば! オフェリアの話聞いてた!?」
思わず反論すると、負けじとばかりにギルジオも怒鳴り返す。
「うるさい、お前の言うことの全部が耳障りだ! 馴れ馴れしくペラペラ喋りやがって! オフェリアに何をふきこんだ!?」
「オフェリアとは普通に話しただけよ! っていうか、馴れ馴れしい!? そういうふうに私のこと思ってたの!?」
「ああそうだ、あの鋳造工房で会った時から、馴れ馴れしいと思っていた。なんならあの工房にいたヤツ全員馴れ馴れしかった!」
話を盛大に脱線させながら、ギルジオは私の胸倉をつかむ。私の着ている絹のパジャマから糸が千切れるような嫌な音がした。
「ちょっと、馬鹿! パジャマが破れるでしょ! 放しなさいよ!」
このままだと何をされるかわかったものではない。暴れる私の抵抗も空しく、ギルジオのしっかり筋肉がついた手はガッチリ私を掴み、決して逃そうとしなかった。
(ギルジオには腕力ではかなわない)
ならば、とばかりに私はギルジオの脛を狙って鋭い蹴りを繰り出す。
「ウッ!!」
脛を蹴られたギルジオは、私から手を放し、もんどりうって倒れた。私は堅い大理石の床に投げ出される。
涙目のギルジオが私をねめつけた。
「お前、卑怯だぞ! なにをする!」
「おあいにく様! 私はオフェリアみたいに大人しい子じゃないの。やられたらやり返すわよ。ほら、私ってあなたたちの言う、田舎から来た低俗な民ってヤツだから」
私は態勢を立て直しながら舌を出す。幼馴染のベニートと喧嘩してきた経験がここで生きてくるとは思わなかった。何事も経験だ。
ギルジオは悔しそうに地団太を踏む。
「この野郎、生意気なんだよ!」
「アンタだって、貴族のくせに口悪くない!? 私にどうこう言える立場なの!?」
「うるさいぞ! 力の差をわからせてやる!」
鼻息荒くギルジオが腕まくりする。私は覚悟を決めて向き合い、唇を舐めた。ここで逃げてしまえば、女が廃る。
あわや取っ組み合いのけんかが始まろうとしたその時、呆れた声が階段の上から降ってきた。
「交流を深めているところ悪いが、喧嘩はそこまでだ」
ギルジオが驚いた顔をする。
群青色のマントをひるがえしつつ、優雅な足取りで降りてきたのは、ギルジオの兄、ライムンドだった。あいかわらず中性的な顔立ちに穏やかな笑みを浮かべているものの、その笑みはどこか嘘くさい。
ギルジオは慌てて姿勢を正して目上の位の人に対する礼を取る。
「あ、兄上! いつ首都から帰ってきたのですか?」
「さきほど着いた。いろいろ緊急事態になり、急いで帰ってきたのだ」
そういうと、ライムンドは改めて私と向き合う。私はギルジオにならって渋々礼をする。
「おひさしゅうございます。お変わりなく」
オフェリアの優しく呼びかけるような声音を真似して挨拶をすると、ライムンドは少し目を見開いた。
「驚いた。一か月でここまで変わるのか」
「上っ面だけです。中身はあの田舎娘のままですよ、兄上」
ギルジオは苛立たし気に口を挟む。しかし、ライムンドは満足げに笑みを浮かべた。
「これだけでとりあえずは良いだろう。一か月の成果としては十分過ぎるほどだ。いささか安心した」
「兄上……」
なおも納得がいかない顔をして、ギルジオが反論しようとしたけれど、ライムンドのほうが早かった。
「不測の事態になった。3日後、この城に元第一皇子が来る。オフェリアに挨拶をしたいそうだ」
ギルジオが明らかに狼狽した顔をした。
「それは、もしかして……」
「もちろん、本物のオフェリアとは会わすわけにはいかない。第一大公も、それをお望みだ」
私の心臓の鼓動がにわかに速くなる。
どうやら、思ったより早く身代わり皇女の出番が来たようだ。
<裏話>
南端の領土、バスティガの人々は、穏やかで明るく、人懐っこく、皆おしゃべりが大好きです。
逆に、北西にある領土、チルテの人々は、とっつきにくく、しゃべり下手な人々が多いです。
オルディアレス兄弟も、実はあまりおしゃべりが得意なほうではないのです。
ギルジオは真面目なので、コリンのおしゃべりに付き合って口数が多くなっています。
2020.1.07 全体的に改訂しました!





