14.真夜中のレッスン
日中静かなこの城は、夜は一層静かになる。私は窓の外を見ながら、そっとため息をついた。
この城にきて早くも一か月が過ぎようとしている。
城の人たちは相変わらず冷たいけれど、もう慣れっこだ。身代わり皇女になるべく叩き込まれている教育も、多少つまずいているとはいえ、かなり進んできている。
けれど、壊滅的に私が苦手なものがあった。
「どうしても、ダンスだけはダメなのよねえ」
私は鏡の前でポーズをとりながら、独り言ちた。
この世界の貴族たちはパーティーのたびに、どうやら男女が手を取り合って踊り、親交を深める文化があるらしい。
ダンスはいわば貴族令嬢の嗜み。
その上、侍女のマリーのいつもの嫌味で知ってしまったのだ。
「ダンスが下手な令嬢は婚期を逃す」、と。
これはまずい、と思い、私は寝る時間を削ってダンスの自主練習に励んでいる。
このまま第一皇女オフェリアとして生きていかざるをえない以上、ダンスは真っ先にマスターしておきたいところだ。立場は変わっても、幸せな結婚は諦めていないし、婚期はなんとしてでも、絶対に逃したくない。
「えーっと、次はこうだっけ……」
私はそう言いながら、習った通りにステップを踏む。自信がないせいか、足元がどうしてもおぼつかない。
困ったことに、ステップに気を取られれば、音楽なんてまるっきり聞こえなくなるし、音楽を聴けば、ステップがおろそかになる。私はどうしても同時に違うことをするのが苦手なタイプらしい。
とりあえず、何度も反復練習をして足型だけでもしっかり覚えておこう、と決意して、私はステップを踏みはじめる。
無我夢中でステップを必死で踏んでいたところ、バタン、と扉が開き、ギルジオが苛立った顔で部屋に入ってきた。
「ええい、夜中にバタバタとうるさいぞ! 何をやっている!」
「えっ!?」
急なギルジオの登場に驚いてステップのポーズをとったまま固まった私に、ギルジオは不可解そうな顔をした。
「……お前、ダンスの練習をしていたのか」
「そう。どうしてもダンスが苦手で……」
「自覚があったのか。お前のダンス、目も当てられないくらい酷いぞ」
ずばりと言われてしまい、私は意気消沈した。
ダンスの講師について教わっているところにギルジオも同席しているため、私がダンスをしている姿を知っているのだ。
(だって前世では、盆踊りくらいしか踊る機会はなかったし、この世界に生まれ変わったらますます踊る機会なんてなかったもんなぁ)
つまり、ダンス経験はゼロということだ。その上に、才能がからっきしないのだから、いきなりやれと言われても、できるはずがない。とにかく、努力あるのみだ。
それより、と前置きして、私は少し首を傾げた。
「うるさかった?」
「俺の部屋はこの部屋のちょうど真下だ。だからお前の足音は否が応でも聞こえる」
「えっ、そうなの!? 知らなかった」
「まったく、毎日毎日……。お前のせいで、俺は寝不足なんだぞ」
ギルジオは目頭に指をあてる。どうやら、私が毎晩この時間を復習にあてていることも知っているようだった。
私がこの部屋から逃げ出さないよう、私がたてる生活音に耳をすませているのだろう。
(姿が見えなくても、しっかり私を見張ってるってことね。夜遅くまでお仕事ご苦労様)
私は心の中で舌を出す。ギルジオが寝不足になろうと、私とっては知ったこっちゃない。
ギルジオが呆れた顔をした。
「まったく、お前の体力はどうなってるんだ。これだけ毎日詰め込まれているのに、よく夜も自主的に復習する気が起きるな」
「私だって必死なの。殺されたくないもの」
端的に答えると、ギルジオはちらりと私をみて、それからため息をつく。
「……仕方ないな、俺が教えてやる。そのほうが早い」
「ええ、本当? いいの?」
「言っておくが、これはお前のためじゃない。俺の安眠のためだ」
ピシャリと言うが早いが、ギルジオは断りもなくさっと私の手をとった
「えっ、ちょ……」
「今から俺の言う通りに動け。背中を曲げるな! 顎をひけ! 次、左足後ろ!」
そういうと、ギルジオは慣れた動作で私をエスコートする。指示通りに動くと、驚くことにダンスが苦手な私でもそれなりに様になっている。
「すごい、踊れる!」
「これは基本的な動作だから、当たり前だ。もう2周する。その後は指示しないからな!」
そう言って、ギルジオは私の腰に回した手で私の背中を叩いた。
「いたっ!! ちょっと叩かないでよ!」
「背中が曲がっているぞ! ステップばかりに気を取られるな! 指の先まで意識!」
私は慌てて背中を伸ばす。
2周回った後に、予告していた通りギルジオは足型の指示をやめた。けれど、まるで何かに操られているように、身体がスルスル動く。ギルジオのエスコートは分かりやすい上に正確だった。
(なんだかんだで、面倒見が良いのよね……)
顔を合わせれば嫌味ばかりだけど、なんだかんだで私が質問すればギルジオは丁寧に教えてくれる。
そのおかげで、なんとかついていけている授業が多々あることも事実だ。
ギルジオは私をエスコートしながら直すべきところを次々と注意していった。
「一度体の動かし方が分かれば、あとはできるだろう。頭でややこしく考えるから踊れなくなるんだ」
「教えるの、すごく上手ね。もしかして、慣れてるの?」
「……オフェリアも、ダンスが苦手だったんだ。だから、こうやって、よく二人で練習したものだ。オフェリアにはしょっちゅう足を踏まれた」
「そうだったんだ。なんかオフェリアに親近感わいちゃうな」
「言っておくが、オフェリアのダンスはお前の100倍マシだ!……まあ、もう長らく、オフェリアとは踊っていないけどな」
「そうなの」
オフェリアの話になると、ギルジオは途端に饒舌になる。それだけ、ギルジオにとってオフェリアは大切な人なのだろう。
ステップを踏みながら、他のことを考える余裕が出てきた私は、おもむろに口を開く。
「オフェリアとは、幼馴染なの?」
「そうだ。物心つく前から、ずっと一緒にいる」
「そうなんだ」
「その、なんだ……。ずっとお前とオフェリアは似ていないと口では言っていたが……」
ギルジオはそう言うと、少し口ごもり、目線をはずすと、つないだ手をみやった。
「認めるのは癪だが、初めてお前に会った時、オフェリアに少し似ていると思った。そして、もしオフェリアが健康であれば、このような手をしているのだろうと思ってしまった」
眉を寄せ、ギルジオは悲しそうな顔をする。
(ああ、あの時泣いているように見えたのは、やっぱり気のせいじゃなかったんだ……)
初めて会ったあの日、握手をした時にギルジオの瞳に浮かんだ光は、やはり涙だったのだ。私の見間違いではなかった。
確かにあの時、ギルジオは毒に侵され、やせ細った幼馴染が健やかに成長した姿の幻影を、私に重ねていたのだ。
「ギルジオ……」
あの時泣いていたでしょ、と言いたくなったけれど、私はとっさに出かかった言葉を飲み込んだ。指摘してしまえば、すぐにギルジオはへそを曲げてしまうだろう。
(大事な幼馴染の余命幾ばくもない状況で、そっくりな赤の他人に会ってしまったら、そりゃあ複雑な胸中にもなるだろうなぁ……)
確かに、ギルジオは私の命を何とも思っていない冷酷でイヤなヤツだ。けれど、大事な人との思い出や感傷に浸る時間を邪魔するほど私も野暮ではないし、これくらいは斟酌してあげられないこともない。
私に対してギルジオは冷酷で傲慢な態度をとってくるものの、こういう人間らしい一面があるから、憎みきれない。
やがて部屋をグルグルと何周もして私のステップも板についてきたころ、ギルジオの手が自然に離れた。
「これでできるようになっただろう」
「うん、ありがとう」
私が礼を言うと同時に、ドアが控えめにノックされ、侍女のアンがひょっこり顔をドアから出した。手にはティーカップを持っている。
私が夜こっそり勉強をしていることに気づいて、アンは毎晩お茶を出してくれるのだ。
ギルジオは、アンの姿を見て居心地の悪そうな顔をして、用事は終わったとばかりにさっさと踵を返す。
「俺は寝る。今日はお前も寝ろ」
そう命令すると、ギルジオは足早に部屋を去った。アンは少し不思議そうな顔をして、ギルジオの背中を見送る。
私はアンに微笑んだ。
「アン、ありがとう。いつものお茶ね」
アンは少し逡巡し、周りを見渡したあとに、ポケットから丁寧に四つ折りされた小さな紙きれを私の手の上に置いた。
「え、これ、私に?」
コクコク、とアンが頷く。私は首を傾げて、紙きれを開いた。
そこには整った字で『親愛なるコリン 明日の夜、私の部屋にいらして オフェリア』とだけ書いてあった。





