13.皇女教育なるもの
身代わり皇女の朝は早い。
日が昇る前に、侍女に起こされ、クローゼットに移動し、まずはドレスを着させられる。
最初のうちは、ドレスを着るたびに少しはテンションが上がったものの、この城に来て2週間たった今はそうでもない。少しでも着衣に乱れがあるとすぐに厳しい叱責がとんでくるからだ。
その上、どのドレスもやたらと重いのだ。とにかく肩が凝って仕方ない。その上に歩きにくいとくるから、良いところが一つもない。
「オフェリア様、背筋を伸ばしてくださいませ」
オフェリア、と慣れない名前で侍女のマリーに呼ばれた私は、とりあえずできる限り背中を伸ばした。
私につけられた侍女は二人。年かさの侍女が、マリーだ。
マリーはマナーの教育係も兼ねているようで、とにかくやたらと厳しい。私のことを「オフェリア様」と呼び、最上級の敬語を使ってくるものの、常に態度は冷酷無比、慇懃無礼だった。
おおかた、ギルジオにマナー講師として厳しく躾けるよう命令されているのだろう。だけど、私へ冷たくあたる理由はそれだけではない。
(まあ、平民の女の子が皇女の代わりになるっていうんだから、私を馬鹿にするのも当たり前よね)
私はため息をつきかけて、すんでのところで止める。
ため息を一つつこうものなら、マリーから冷たい一瞥とともに、長い長いお小言タイムに突入してしまう。
もう一人の侍女が、遠慮がちに私の染めた亜麻色の髪の毛を丁寧に櫛ですく。こちらの侍女の名前はアン。身の回りの世話を主にこなしてくれている。
アンはマリーと違い、優しかった。いつも微笑み、時には心配そうに私の瞳を見つめることもある。けれど、決して優しい言葉で慰めることはない。
アンは声を発することができないようだった。私とはもちろん、マリーとですら会話しているのを見たことがない。
とにかく、アンだけはこの城で唯一優しく接してくれる人だ。
マリーを含め、この城の人は私にやたらと冷たかった。あからさまに無視する人間も多い。時にはこちらが聞こえるほど大きな声で陰口をいう侍女たちもいるほどだ。
『外見ばかりがオフェリア様に似ているだけで、中身はただの田舎娘』
だとか、
『下民ふぜいがライムンド様を騙して、いい気になっている』
だとか、とにかく好き放題言われている。
常にそばにいるマリーは、侍女たちの陰口がはっきりと聞こえているはずなのに、まるで何も聞こえていないようなそぶりで、まったく止めようとしなかった。
最初のうちはいちいち怒ったり、傷ついて泣いたりもしたけれど、四六時中陰口を言われ続けているため、今では何とも感じない。何より、皇女教育で朝から晩までみっちりカリキュラムが組んであるため、それをこなすので精いっぱいだ。いちいち反応するのも馬鹿らしい。
「これでよろしいでしょう」
マリーがそう言うと、私の前に全身鏡を置いた。鏡の中で、第一皇女オフェリアによく似た私が疲れた顔をして立っている。
マリーはテキパキと説明し始める。
「こちらのドレスは非公式のアフタヌーンティーに呼ばれる際のドレスになります。色は必ずシックな色をお選びくださいませ。ティーカップが手に取った時に手首の肌が見えるのは下品ですから、袖が長いものを」
「うん」
「オフェリア様、高貴なる方は『うん』とは言いません。すべての返事は『はい』と」
「……はい」
「まったく、その不服そうな返事だけで、お生まれが透けておいでです」
マリーの言葉に、私は頭が痛くなった。遠回しに「平民生まれがばれるぞ」と言われたのだ。
しかし、この小言は始まりの序曲に過ぎない。
(……長い長い一日の始まりだ)
目の前が真っ暗になりかけたけれど、なんとか気を取り直して私は自室へ向かった。
自室に帰ると、長い足を組み、ふんぞり返っている美青年が椅子の上に座っている姿が見え、ますます重い気持ちになる。
ここは私の部屋だというのに、よくもまあこれほどまでに我が物顔でいられるものだ。
「おはようございます、ギルジオ様」
しずしずと頭を下げる私に、ギルジオは鼻を鳴らした。
「5点」
「何点中……?」
「もちろん100点に決まっているだろうが」
当たり前だ、と言わんばかりのギルジオに、私は暗い顔をしてみせる。
「ここに来て2週間経ったが、お前は相変わらずダメだな」
「……ダメかなぁ。私なりに頑張ってるんだけど」
「その言葉遣いがすでにダメだ」
「はぁい」
「返事、なんとかしろ。とにかく座れ。今日のスケジュールを説明がてら、朝食にする」
ギルジオに促されて、私はできるだけ優雅に見えるように椅子に座る。私の後ろで控えているマリーが私の一挙手一投足を監視するように見ているため、油断できないのだ。
アンが手早く朝食のパンとスープを並べた。ギルジオは優雅な手つきで出されたティーカップで紅茶を飲む。私も真似してカップをあおったのだけど、マリーが後ろで舌打ちをしたので、おおよそギルジオの仕草をマネできてはいなかったのだろう。
「今日の授業は、文学と国史」
「はい」
パンとスープを用心深く口に運びながら、私は頷いた。
口に運んでいるものの味なんてわかったものではない。やたらめったら厳しいテーブルマナーを気にしながら食べなければならない上に、ギルジオの言葉を聞き逃せばあとで厳しい叱責が待っているのだ。
「昼食のあとは、礼儀作法」
「私、礼儀作法の先生嫌いだな。鞭で叩いてくるから」
「お前が教えた通りできないのが悪い」
私の不満に、ギルジオは全く聞く耳を持たない。
一通り朝食を終えると、瞬く間にテーブルが片付けられた。
休憩の時間もなく、教師が来て授業の時間になる。マリーは授業の間だけ席を外すものの、入れ替わりにギルジオが私の後ろにつく。一人になれる時間はほとんどなかった。
課せられた授業は、イフレン帝国の歴史や文学、はてまた綴りに言葉遣い等々、多岐にわたった。貴族というのはとにかく知識が必要らしい。
(本当に実生活にこんな知識いるのかなぁ……)
教師に差し出されたまどろっこしい恋愛の詩歌の本を前に、私は眉間を揉んだ。
私は、平民であるとはいえ、ある程度は文字の読み書きができた。平民であればそれで十分だった。
けれど、貴族たちが使う言葉は私が教わった言葉とは全く違った言語で、一文字書くごとに教師とギルジオに注意をされ続けるありさまだ。
「おい、また前置詞が違うぞ! それにここは綴りが違う。何度指摘すれば正しい綴りが書けるようになるんだ」
ギルジオの容赦ない指摘に、私は半泣きになりながら最初から書き直す。教師も心底呆れた顔で私を見ていた。
「オフェリアはこれくらい、簡単に理解したぞ。こんなことでオフェリアの身代わりになれると思うのか」
極めつけはこのセリフだ。ギルジオはことあるごとにこの言葉で畳みかけてくるのだから最悪だ。
私は唇を噛んだ。
(みんな、私が身代わりの皇女になれるとは思っていない)
私だって、この調子ではあの優雅さの塊のようなオフェリアの身代わりになれそうもないことくらいわかっている。
それでも、私がここで弱音を吐いて「できない」と言ってしまえば、確実に私は殺される。家族や故郷の人々も危険に晒されるかもしれない。
私には、必死で歯を食いしばってこらえる道しか残っていなかった。
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