12.平民と貴族
「ここが、お前の部屋だ」
そう言ってギルジオに案内されたのは、3階の隅っこにある、やたらと広い部屋だった。内装は豪華で、壁にかかるタペストリーや何気なく置いてある調度品は見るからに高価そうだ。
(あの花瓶とか、売ったらそれなりの値が付きそう)
実家は決して貧乏な家庭ではなかったとはいえ、どうしても貧乏性が身に染みてしまっている。
部屋にある出窓からは、きれいな澄んだ空と、広大な海が一望できた。
「海だわ!」
私は思わず歓声を上げて、窓を開ける。潮風と一緒にひんやりとした冷たい空気が部屋の中に流れ込んで、私の亜麻色の髪を揺らした。
ギルジオは怪訝そうな顔をする。
「バスティガは海に面していない内地のはずだが、お前は海を見たことがあるのか?」
「あっ、いや……。本で読んだから」
前世で見た、とはさすがに言えないので、私はとっさにごまかした。確かに、私はこの世界の海を見るのは初めてだ。
窓の下を覗き込むと、眼下に広がっていたのは、断崖絶壁と海だった。潮騒の音が近い。
(ここから逃げるのは無理か)
この窓から崖を下ることを考えただけで身がすくんでしまう。おそらく、私が窓から逃亡するのを防ぐために、この部屋は選ばれたのだろう。
やがて私が小さなくしゃみを一つすると、ギルジオは呆れた顔をした。
「……おい、窓を閉めろ。春が来ているとはいえ、まだチルガは寒い」
「チルガ? 私の記憶違いでなければ、チルガって、北西の大きな街だったような……」
「そうだ。お前はゲルタウスラ公が治める領土、チルガにいる」
ギルジオの返答に、窓を閉めようとしていた私は目の前が真っ暗になる。
私の故郷、バスティガはイフレン帝国の南の領土だから、かなり遠くへ連れてこられたらしい。
「バスティガからチルガって、どれくらい距離があるの?」
「馬車で約10日ほどだろうな。もしかして、この期に及んで、お前はまだ故郷に戻ろうとしているのか?」
ギルジオは青ざめた私をあざ笑う。
「何度でも言う。もしここから逃げ出すようなことをしたら、俺たちは百の追手を放ち、すぐにお前を見つけ出して殺す」
「…………」
「まあ、お前みたいな田舎娘、オフェリアの代わりになれるとは思えない。いくら身体が丈夫でも、平民ごときが貴族のようにふるまえるはずがないのだからな」
「は、はあ……!?」
「じきにお前は身代わりとしてふさわしくないと判断されて殺される運命だ。せいぜいあがくがいいさ」
ギルジオは鼻でせせら笑う。私は口をぎゅっと結んでギルジオを睨んだ。
平民の命なんて、貴族にとってどうでもいいのだろう。
オフェリアを慕っているという、人間らしい側面を知って、ギルジオに少しだけ親近感をもったりもしてみたけれど、それは幻想だった。
どうあがいたとしても、しょせん私たちは平民と貴族なのだ。分かり合えそうもない。
私は気色ばんで反論する。
「……さっきから無理だってずっと言っているけど、じゃあなんで私をここに連れてきたの?」
ギルジオは私の言葉に、肩をすくめてみせた。
「兄上の考えに従ったまで。そこに俺の意思など関係ない」
「失敗するってわかっていて、兄上とやらの馬鹿げたアイディアにただ従っているだけってこと? 下の立場の人も大変ね」
私が呆れた口調で呟くと、ギルジオは一瞬顔を真っ赤にして黙った。部屋に嫌な沈黙が流れる。
やがて、ギルジオはつかつかと私の前に立つ。私を見下ろす薄緑色の瞳に、怒りの炎と暗い影が宿る。
「匹婦め。この期に及んで、自分の立場をわかっていないな?」
「……なによ」
「言っておくが、俺は兄上のように優しくはない。お前の態度しだいで、お前を殺すだけではなく、お前の故郷を焼け野原にしたっていいんだぞ」
私は思わず息をのんだ。喉がヒュッとなる。
ギルジオはため息をつくように低い声で呟いた。
「俺は、兄上に口封じにコリン・ブリダンの家族はもちろん、あの鋳造工房と村も焼こうと主張した。お前がオフェリアの身代わりになったことを、もしかしたら誰かが気付くかもしれないからな。お前の存在を知っているものは、少なければ少ないほどいい」
「なんですって!?」
私の茫然とした顔を見て、ギルジオは残念そうに頭を振る。
「……だが、情け深い兄上は俺の意見を退けた。しかし、兄上の承諾を得ずとも、俺の一存でしかるべき筋に命令すれば、お前の故郷なんて簡単に地図上から消滅させられる。そのことをゆめゆめ忘れるな」
「そんな……」
脳裏に家族と、村の人々が次々に浮かぶ。
(そんな、私のせいでみんなが危険な目に……)
背中に冷たい汗が流れるのを感じる。
ギルジオの冷たい瞳が私をひたと見つめている。どうやら本気のようだ。
「お前は、故郷を消されたいのか?」
命令に背けば、確実にギルジオは宣言した通りに実行するだろうと私は本能的に悟った。ギルジオにとって平民の命などどうでも良いのだ。
利用できるのなら、利用する。役に立たないのなら、情け容赦なく切り捨てる。
「それだけはやめて! 言われた通りにやればいいんでしょう!?」
私の声が情けなく震えた。頬に生暖かい大粒の涙が流れたのを感じる。二度と戻れないとしても、大事な家族と故郷を失いたくはなかった。
「身代わりだってなんだってやる! だから故郷には手を出さないで! 私の大事な人たちがたくさんいるの!」
私の悲痛な叫びに、ギルジオはただ軽く頷いただけだった。
「分かればいい。俺も兄上の情けを反故にする気はない。すべてはお前の言動次第だということを自覚しろ」
そういうと、ギルジオは踵を返す。
「明日からお前の教育が始める。どれくらい耐えられるかが見ものだな」
そう言い残すと、ギルジオは足早に私の部屋を去る。ばたん、と思い扉が閉じた。
私はただうなだれて、へなへなと床にへたりこむことしかできなかった。
2020.1.18 サブタイトルが合わなかったので、変更しました!





