10.変身
(あー、どうしてこうなったんだろう)
私は遠い目をする。
場所は見たこともないほど広い浴槽の中。私は海綿を持った侍女二人に、全身を洗われていた。あらゆる皮膚という皮膚をそぎ落とされるのではないかというくらい、強めに。
「いた、いたたたた! ちょっと、痛い!」
私の抗議の声を侍女二人はあからさまに無視した。
主人の言いつけをただ忠実に守ろうとしているのだろう。
『こいつの臭いを消すまで、絶対に風呂から出てくるな!』
ギルジオはこの城に到着するなり、侍女二人にそう厳命した。だから、この二人はその命令に大人しく従っているだけだ。
(そんなに臭かったかしら私……)
私は試しにこっそり自分の手のひらをかぐ。石鹸の匂いはするものの、特になんの臭いもしない気がする。だけど、自分の体臭に鼻が慣れてしまっていたのかもしれなかった。
(確かにうちの工房はいろいろな臭いがしたもんなぁ……)
鋳物砂を固めるための原料、炉の火を絶やさぬために日々使われる燃料、それから、鋳物を溶かすときの独特の匂い。
日がな一日その工房に身を置いていたものだから、その臭いがこの身に沁みついてしまうのも当たり前の気がする。
工房のことを考えていると、また家族のことを思い出してしまって、また鼻の奥がツンとした。しかし、どんなに涙を流しても、やはり状況は変わらない。
(結局、ここに着くまでにチャンスはあったけれど、逃げられなかった)
私は心の中で重いため息をつく。
この城につくまで、長い旅だった。
結局、マレーイ城と呼ばれるらしいこの城に来るまで、大人しくあの二人の美貌の貴族たちにただ従うしかなかった。逃亡を試みれば、確実に私は捕まって殺されてしまっていただろう。
(いきなりさらわれて、余命いくばくもない第一皇女になれだなんて……)
無茶難題でしかない。
しかし、やるしかないのだ。うまくやらなければ、殺されてしまう。
(せっかく第二の人生をつつがなく楽しく謳歌してたところだったのに……)
なんでこんなことになったのだろう、と気持ちが沈みかけたその時、侍女が強くこすりあげた背中に鋭い痛みが走り、私は悲鳴を上げる。
「い、痛ーッ! そんなに強くこすったら皮膚がなくなっちゃう!」
私は再び文句をいったけれど、侍女たちの手が止まることはなかった。
*
「――これでいいかしら」
しばらく侍女二人にもみくちゃにされていた私は、ようやく年かさの侍女の一言で解放された。
私は途中で気絶するように寝てしまい、侍女の一言でやっと目を覚ました。長旅で疲れていたのだ。
気づけば全身から花のようないい匂いがした。たぶん、香油を塗りたくられたのだろう。容赦なくこすられた肌がひりひりする。
浴槽から出た私は、侍女二人に豪奢な淡い色のドレスを着させられた。
(ああ、まさかウェディングドレスの前にドレスを着るなんて……)
状況が状況なだけに、まったく喜べない。
侍女二人は遠慮なくじろじろと私の全身を見て、やがて満足げに顔を見合わせて頷いた。
「ギルジオ様を呼んでこなくては」
それだけ言うと、侍女の一人は滑るように部屋を出た。残された侍女は、何も言わずに私を鏡台の前に座らせて、伏目がちに手早く私の髪の毛を三つ編みにし、すっきりとまとめる。
すっかり小ぎれいになり、困惑した顔の鏡の中の自分に、どこか違和感がある。
「あれ……?」
私は目の前の鏡をまじまじと見てようやく違和感の原因に気づき、息をのんだ。
傷んでいた前髪は揃えられてはいたけれど、そこではない。
「え、髪の色……」
明らかに違う。栗色の髪が、いつの間にか亜麻色に染められていた。
戸惑っていると、ドアが荒々しくノックされ、私が振り向く前に無遠慮に開いた。金髪の輝かんばかりの美貌の青年が現れる。ギルジオだ。
私を見て、驚いたようにその薄緑色の双眸を見開いている。
「……嘘だろ」
ギルジオは信じられない顔をして呟く。私が首をかしげると、彼は次の瞬間にはいつも通りの仏頂面に戻っていた。
「行くぞ、ついてこい」
私は慌てて立ち上がり、ギルジオの後を追いかける。貴族特有の長いドレスが足元にまとわりついて歩きにくい。
長い廊下を歩きながら、ギルジオは私と目も合わせずにしゃべり始める。
「お前の部屋はあとで案内させる。用事があるときは俺が呼びに行く。常にあてがわれた部屋にいろ。無駄に歩き回るな。この城の召使たちは皆事情を知っているが、できるだけ言葉は交わすな」
「……ふうん、ずいぶんルールが多いのね」
私の一言に、ギルジオがため息をつく。
「バタバタ歩くな。あと、お前のしゃべり方……」
「え、しゃべり方? 何か問題でもある?」
「何とかしろ。その品のないしゃべり方でペラペラ話されると、耳障りだ」
しゃべり方に品がない、と指摘され、私はムッとして口を閉じる。
長い廊下は、歩いているだけで目が眩むほどに豪華な内装だった。私がキョロキョロ周りを見回している間に、目的の部屋についたらしく、大きなドアの前で振り返ってギルジオは私をギロリと睨んだ。
「今からオフェリアに会う。オフェリアはお前の何倍も繊細なんだから、発言には気をつけろ。何か余計なことを言ったら、即お前の首を叩き切ってやるからな」
「わかったわよ」
「言葉遣い!」
「……わかりました!」
私の答えに不満げな色がまじってしまったため、ギルジオはわかりやすく苛立った顔をして何かを言いかける。しかし、ちょうどその時、ドアの向こうから歌うようなたおやかな声がした。
「誰かいるの? どうぞお入りになって?」
その声を聞いて、ギルジオは忌々しそうに舌打ちする。
「命拾いしたな、行くぞ」
そう言うと、きびきびとした動作でドアを開ける。
「オフェリア、俺だ。入るぞ」
ギルジオに通された明るい部屋は、立派な調度品が品良く置いてある部屋だった。メイドたちがギルジオの姿を認め、頭を下げる。
そして、窓際の一際大きな天蓋付きベッドの上には、私と瓜二つの少女が静かな笑みをうかべて、横たわっていた。





