10年代アニメの衰退傾向
アニメは衰退傾向にあるのじゃないか?と思ってしまう。10年代を振り返ってみて、通常この手の物は前半のものは風化してしまう。だが奇跡の11年というべき当たり年の作品まだ完全には風化してないと思う。この印象は上書き効果の薄さのせいだと思う。後半がだらしないんだ。
これがたまたま運が悪かったと見てきたが、改めて整理してみてこれもしかして年々小粒になって無いか?って見える。まるではげる頭のようだ。徐々に産毛になってしまって太い毛が生まれなくなってる。よりもいがあるけど何か右肩下がりだね。これは20年代も続くんじゃないか?と思ってしまう。
しかも大半の前半の作品がゼロ年代の延長で出来たものが多い。一番遅れた進撃は09年代の連載スタートでかつ90年代終盤のブルージェンダーの流れから来た作品。その間をエロゲ最盛期のゼロ年代のエロゲたちが繋いでマヴラブで進撃に繋がる。根底からゼロ年代の流れの作品なんだ。
SAOはアニメ化が遅れただけでベタなゼロ年代の作品で原作はHACKなどと同年代になる。それを知らない人からパクリといわれるのだが。ネット上の公開はSAOの方が早い。ただし、HACKがSAOぱくったのはない。時期的に企画が間に合わないからだ。その逆で当時ありふれた一人のネット小説家にすぎなかった作者が企業のプロジェクトを事前にしるわけがない。全くの偶然の一致だと思う。
まどマギは私は知らないが、ゼロ年代のエロゲのパクリの集大成らしい。しかも2010年の2作品はゼロ年代の原作続編だ。
源泉となる何か?が枯渇してるんじゃないか?そういったものがこの右肩下がりに見える状況を作ってるのじゃないか?
失敗作もヒット作も含めてフォロー作品が豊富にある作品がSAO一つだというのは、この源泉とはすなわちこういうものだと思う。基本アニメ漫画はパクリ文化だ。だからパクリ元が途絶えたら途端に衰退傾向になる。まどマギ進撃が豊富なエロゲコンテンツを源泉に育ってきたとすると、それが消えた事がかなり大きい。
後はアニメ原作の枯渇になる。アニメ数が増えたのに過去に較べて原作となる媒体はより減ってしまった点にある。これはエロゲノベルゲーの衰退になる。ただソシャゲが出てきたじゃないか?これは正直アニメ向いてない。以前から書いてるが、なろうはゲームの実況ではない。ぷろぐらむでは不可能に近いゲームを作り出して文章化してる部分がある。
ゲームと物語りは相性が悪い。何故ノベルゲがソシャゲに変わって補えなかったか?ならノベルゲーは逆にゲームとしてクソだと思う部分が多いからだ。根本的に通常の小説などの物語と大差がない。分岐がゲーム性になってるのだが、根本的に物語の面白さがほぼすべてで、ゲーム性がそれらを補うことがほぼない。
ガチャと言うギャンブルゲーム性を無視してもソシャゲはノベルゲーよりゲーム性高いんだろう。なんでこんなアニメに向いてないものアニメ化するんだと思うが、だからこそ逆説的では有るが…。
後はラノベ衰退が強烈だと思う。私は衰退と言う言葉をあまり使わない。基本成長を続けたものは停滞を向かえるだけでいきなり衰退はし無いんだ。もちろん一過性のブームみたいなものは衰退するが、ラノベは期間が長い。その私がはっきりとこれは衰退だと強く感じる。ゼロ年代を引っ張った代表作にハルヒがあると思ってる。ゼロ年代は、ラノベ、エロゲ+アニオリ少々って感じだと思う。このうち2つが大崩れしたんだ。
エロゲはソシャゲにアニメ市場的にはもっと大きく補ってるけど、アニメ内容的には補ってない。ラノベは単純に衰退している。勘違いしないで欲しいが、なろうはラノベの代替にならない。なろうからアニメ化が一つも無いからだ。なろうはラノベになってはじめてアニメ化される、そして問題はそのラノベの衰退の中に大量になろうがあることだ。
非ネット小説のラノベはもっと衰退が強烈だ。
残りを増えたアニメで漫画だけで補いきれるか?先に行くほど漫画原作は枯渇していく。かつ紙媒体の衰退も関わっている。一番電子化で成功したのが漫画ってだけで、金銭的にはかなり良くないらしい。やはり漫画も紙媒体の衰退に絡んで縮小傾向にある。他の紙媒体と比べると電子化がかなり補っててましだが、これまでのように漫画を取り巻く人材への金銭の流入が減ってしまった事になる。
それに対してアニメ化でどんどん供給の先食いをしている。20年代はこの傾向は続くだろうと思うのはここにある。先食いを多分してしまってるから。
今確実に良くなってるだろうと予想できるのは、アニメーションの映像はかなり良くなっていくだろうと予想できる。理由はアニメ業界にはあらゆる所からお金が入ってきてるからだ。創る事を問わずに作る数だけならこれで技術があがらないわけがない。強いて言うなら、若い世代が入ってきてないらしい。その問題が表面化するのがいつなのか?は分からない。
ぷろぐらむを根本的になんとかしないといけないんだけど、それを無視すれば日本だけが3DCGのカートゥーンレンダリングを使ったアニメがかなり発達している。アメリカはこんな面倒な事をし無い3DCGそのまま金を賭けて創ってしまうからだ。わざわざ劣化させるカートゥーンレンダリングを使った技術を発展させるわけがない。日本のためにプログラムを作ってるんじゃないか?と思うほど。
オレンジとサンジゲンのこの応用技術の発展は目覚しい。直接日本がこのプログラムを作れば良いのにと思うほど。政府も金をかけるならここに手をつけるべきじゃないか?と思う。創作は政府が金を出しても上手く行かないんだ。こういう研究的な事は政府は得意なんだ。とてもアニメ1会社に手を付けられるようなものじゃないから。アメリカに任せてても需要が無いから多分発展し無い。
私は映像嫌いなんだけど、日本の3DCGは経費削減のために使うからかなり好意的なんだ。私はその点アニオタとしてはかなりおかしいと思う。質と言う点では強烈にお金をかけたアメリカの3DCGアニメが良いに決まってるんだ。でも私は安価な大量生産が、中身の創造性を増すと思ってるからだ。
ディズニーが10年前ぐらいに問題を内省的に語ってたけど、あのやり方は大量の人がお金を払ってみてくれないと成り立たない。それが先進国の細分化された視聴者の好みに合ってないと分析してたんだ。どうしても極端に多くの人に受ける前提の物語に縛られるからだ。それはなろうとは桁違いだ。
未だに私が幻想だと書いた一般人を相手にしなくちゃいけないんだ。あれからアナ雪が出てかろうじて食いつないでいるけど、どうするつもりなのか。
私はフラッシュアニメーションにかなり期待したけど、アニメ好きって映像煩すぎる。そのくせ内容も煩すぎる。どっちかにしろって言いたくなる。頭で考えた発言が出来ないんだ。だから京アニみたいな映像しかまともに作れない会社を褒め称えるんだ。取りあえず映像だから。これで内容に単純に文句言うから腹が立つ。お金のせいでアニメ化されない見込みのありそうな原作も一杯有るんだ。
さて最後になろうに行こう。これは私は苦しいと思う。アニメ向きなんだけど、アニメ向きじゃない。配信は上手くいってると思うが、ソシャゲがアニメ業界をお金的に助けても内容的にはあまり寄与してないって問題と似ている。後は配信は安い…。
じゃそのアニメ向きだけどアニメ向きじゃないって点。元々映像作品を土台とした文化を源泉とした文章化なので圧倒的に映像が向いている。逆になろうは文字で楽しむには向いてない作品が多い。ただ映像化してからの競争と言う意味ではイマイチなのかもしれない。
なろうは結局10代に受けてるが?どこまでなのか?信頼置けない点。根本的に中年の1部に受けてるのは間違いないけど、何故これが10代に受けるのか?がさっぱり分からないから。だって中年の中で一部なのにより狭い好みの方が中年全部の好むより、10代に受けてるって論理が分からないから。
この10代に受けてるなら未来は明るいかもしれない。なろうアニメの視聴者がなろうの作者になる時代の到来があるかもしれないから。そこまでは、衰退傾向を助長してると思う…。
私はなろうの的外れな批判に批判的なのであって、なろう批判すべてに批判的なのではない。