ジェラシー?〜後〜
翌朝、目が覚めた瞬間から何かが変だった。
体を起こすと目が回り、おまけに頭がガンガンしている。
「な…に?」
自分の物とは思えないような低い掠れた声にギョッとしつつ、喉が乾いて堪らなかったのでノロノロと起き上がる。
正直出社するのはかなり億劫だった。
有給も代休も溜まってるから、1日くらいゆっくりしようかとも思ったのだけど。
昨日、途中で切り上げてきた仕事が気になって、結局シャワーを浴びて家を出た。
胸がムカムカして食欲がないくせ、やたら喉が渇く。
おまけにシャワーを浴びても、全然スッキリしない。
フラフラしながらエレベーターを降り、マンションの自動ドアを出た途端
「北条…さん?」
驚いて出した大声のせいで頭が割れるように痛み、思わず頭を抱えて蹲った。
「何やってんだよ。
今日は無理しないで休めって。
どうせ代休溜まってんだろ」
「どうして…?」
「国枝から夜中に連絡あったんだよ。
絶対2日酔いに違いないから、様子を見に行ってやってくれって」
立てるか、と手を差し伸べられ…突如数時間前に自覚したばかりの感情が蘇る。
それでなくてもズキズキと頭が痛むのに、顔に血液が集中したせいで余計痛みが増し、思わず呻く。
「おいおい、大丈夫かよ」
それまでは何とも思わなかったのだけど。
今となっては、平然と北条さんの手を取るなんて事、恥ずかしくって出来やしない。
まして、那月はああ言っていたけれど、私が余計な事を言ってしまったせいで、北条さんはあの子とご飯食べに……。
——あぁもう!
うだうだ考えるのは性に合わない!
出来るだけ何事もなかったかのように、すっと立ち上がる。
精一杯微笑んで
「大丈夫ですってば。
早く行かないと遅刻しちゃいますよ」
視線を合わさないようにして1歩踏み出した瞬間
「危ないっ」
よりにもよって、階段を踏み外してしまうなんて。
北条さんが咄嗟に支えてくれなかったら、4~5段とはいえそのまま転げ落ちていたかもしれない。
「っ!」
足を地面につけた途端、ズキンと痛みが走り思わず眉を顰める。
「おい、捻ったのか?」
「いえ、大丈夫です」
咄嗟に否定するものの、不自然な歩き方は一目瞭然で。
「きゃっ…北条さん!」
ビックリして大声を上げた途端、またしても激しい頭痛に襲われ額を押さえた。
「あっ、あの…」
「これじゃ仕事行くのは無理だろ」
思っていたよりもすぐ近くに北条さんの顔があったので、焦って仰け反る。
「暴れるなよ。
落としゃしないけど危ないから。
それと良かったら掴まってもらえる?
その方がラクなんだけど」
そう言われたって、こんな風に抱き上げられるのは本当に久しぶりで…落ち着かない。
「あの…自分で歩けます。
ホントに平気ですから、降ろしてください」
「何言ってんの、その足で。
平気な訳ないだろうが」
「大丈夫ですってば。
もう、ホントに遅刻しちゃいますから。
私に構わず先に行ってください」
と言った途端、北条さんの顔からそれまで浮かんでいた苦笑がすっと消え
「あんたを部屋まで送ったら行く」
タイミングよく中から出てきた人と入れ違いにマンションの中に戻り、止まっていたエレベーターに乗り込む。
「あの…」
「ほら、ボタン押して」
言われるままに部屋のある階のボタンを押し、そうじゃなくてと見上げた瞬間
「あんた、意外とドジなんだな」
ものすごーく呆れたような北条さんと目が合った。
あまりにも呆れた顔をされたので、居たたまれなくなって思わず目を逸らす。
「それに、強がるのもいい加減にしろよな」
「もしかして…何か怒ってます?」
そう言えば今まで北条さんに「あんた」呼ばわりされた事なんてなかった。
それに、どことなく言い方が冷たいというか突き放してるというか…?
私、何か悪い事した…かしら?
いや、現状迷惑をかけてはいるけれど…。
「別に。で、部屋どこ?」
「あ…あの、大丈夫です、本当に。
仕事行けます」
「いいから。部屋どこ」
苛立ちを含んだ声に、思わず息をのんだ。
「…突き当りです、右側の」
とうとう部屋の前まで来てしまった。
「あのさ、そんなフラフラでしかも足首痛めて、どうやって仕事行くっての?
大体そんなボロボロじゃ、皆あんたに気を遣って、かえってやりにくいだろうが」
さっきから、鼓動に合わせて響く頭痛に内心辟易していたのに…。
今は胸が痛くて堪らない。
彼の1言1言が胸に刺さり、そしてそれが正論であるだけに反論も出来ず…。
「すみません」
頭を下げた途端、目の奥がツーンとしてじわじわと視界がぼやけてきた。
「な…今西、さん?」
「ごめんなさい、何でもありません」
慌ててごしごしと目を擦り、鞄から鍵を取り出す。
「何でもないって…今泣いてなかった?」
「何でもないんです、本当に。
ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
社の方へは私から連絡しときますので、もう降ろしてください。
大丈夫ですから」
私ったら、ホント情けない。
好きだと自覚したはいいものの、その人の前で数々の醜態を晒してしまうなんて。
その上迷惑までかけてしまって。
——あぁ、北条さんが怒るのも、きっと無理ないんだわ。
すっかりへこんでしまった私に気がついたのか
「今西さん、さっきはごめん。
言い過ぎた。
ちょっとイラついててあんた…君に八つ当たりしちまった。
ホント悪かった」
どことなく棘のあった態度が嘘のよう。
北条さんは少しバツが悪そうに、そう言った。
そして私をそっと降ろすと、痛めた足を庇うように支えてくれる。
「もう…電車は間に合わないですね。
ごめんなさい、私のせいで」
「いいって、遅刻よりこっちの方が大事。
それにこういう時、外回りは多少融通利くからさ」
と安心させるように笑ってくれる。
本当にこの人は…なんてタイミングで笑ってくれるんだろう。
いつも絶妙なタイミングで微笑んでくれるから、ヘマした時やプレッシャーに負けそうな時、ものすごくホッとする。
「あのさ、念のため言っとくけれど。
昨日あれから、あの子とはすぐに別れて真っすぐ家に帰ったから」
「え…?」
突然話が変わったので驚いて顔をあげると、苦笑している北条さんと目が合った。
「俺も大概情けないよな、修行が足りないって言うか。
とりあえず何か食べられそうだったら、これ食べて」
差し出された袋の中には、サンドイッチとアロエヨーグルトとスポーツ飲料が入っていた。
「じゃあ俺もう行くから」
* * * * * *
夕方、本部長の許可を取ってもう1度様子を見に来た北条さんが、病院へ連れて行ってくれた。
結局左足は軽度の捻挫で済み、とりあえず1週間は安静にして下さいとの事だった。
けれど安静にと言われたからといって、仕事を休み続ける訳にもいかない。
「明日からどうしよう…」
少しびっこを引くものの、歩く分には問題ない。
問題は…あの通勤ラッシュだ。
あの人ごみに、あの階段の多さ。
そしてすし詰め状態の満員電車。
考えただけでげんなりする。
どうしようと頭を悩ませていると
「それなんだけどさ、足治るまで良かったら車で送迎しようか?
ほら、その怪我も半分は俺のせいなんだし」
正直、とてもありがたい申し出ではあったのだけど。
けれどさすがに申し訳なくて返答を躊躇っていると
「なーに、豪華3段弁当になって返ってくると思えば安いものだよ」
ウィンクしながら、ごくごく軽い調子でサラッと言う北条さん。
それが私の罪悪感を払拭する為のものだ、という事はもうわかっている。
「もし、ご迷惑じゃなかったら…」
「迷惑だったら初めから言わないって。
今朝も言ったけどさ、もっと周りを頼っていいんだよ。今西さんは」
こんなに頼りがいのある肩とか胸とかがあるんだからと言われ、そういえば今朝北条さんったら軽々と私を抱き上げたなぁ、などと余計な事を思い出す。
「どしたの?真っ赤な顔しちゃって」
「え?あ…いえ、何でもありません」
あの時はパニックになってて、よく覚えてないけど。
そういえば、確かに北条さんの胸板も肩もがっしりしていて、すごく頼もしかった…。
気付かれないように、チラリと様子を窺ったつもりがしっかりと目が合い、またしても頬が赤くなる。
「今西さん?」
「あ…なんでもないんです。
それより車の件、お言葉に甘えさせていただきますので、よろしくお願いします」
慌てて話題を変え、呼ばれたのを幸いと会計へ向かう。
——どうしよう…。
こんなんじゃ、北条さんの顔がまともに見られない。
…落ち着け!私。
支払いを済ませ、深呼吸してから北条さんの所へ戻ると
「じゃ帰ろうか」
当然のように腕を取り、歩きやすいように身体を支えてくれる。
——も…駄目。
北条さんの手が触れただけで、心臓がバクバク鳴って、自分でもどうしたら良いか分からなくなってしまう。
——やっぱり…「好き」なんだ。
この人の事。