手をつなぐ
連日の暑さに少し油断をしていた。
七分袖のブラウスにくるぶし丈のパンツ。
お気に入りの組み合わせで気分良く出張、だったのだけど。
朝イチに乗り込んだ新幹線内は、思いのほか冷房が効いていた。
やや、効きすぎな程に。
最初は気持ちいいと思ったけど、30分もすると身体がすっかり冷え切ってしまった。
こんな時に限って上着を着てこなかった事を後悔しつつ、あと1時間の事だからと我慢する事に。
しかし…
「っくしゅん!」
とうとうくしゃみが出てしまい、隣に座る北条さんが少し驚いた顔をしてこちらを見た。
「今西さんの腕、冷たい!」
くしゃみをした時、むき出しの腕が触れたらしい。
偶然触れた腕が余程冷たかったのか、北条さんは素っ頓狂な声を上げ、それから私の手を取った。
「北条さん!」
焦って彼を見上げる。
「や、俺暑がりだから。
今西さんの手、冷たくって気持ちいいんだけど、駄目?」
「駄目って言うか…あの」
「じゃ、もう少しだけこうやっててくれると助かる」
これが下心120%の男性に言われたのだったら、即座に手を振りほどき逃げ出す所だ。
けれどこんな風に言われては、イヤとは言えなかった。
繋いだ指先から、手の平から、じんわりと伝わってくる温もりと優しさが、思っていた以上に心地よくて、私は黙って俯いた。
それを了解と受け取った北条さんは、手を繋いだまま片手で器用に読書を再開した。
ぱらり
ぱらり
子供のはしゃいだ声や、楽しそうなおしゃべりが聞こえてくる車内は、決して静かとは言えない。
それなのに北条さんのページをめくる音しか耳に入ってこない。
最初こそ、異性と手をつないでいる事に緊張していたりしたのだけど。
今は会話がなくとも、この温もりと距離間が妙に心地よかった。
それでもこんな穏やかな時がいつまでも続く筈もなく。
目的の駅に着き、北条さんが何気なく手を離した。
温かくて大きな手が離れた途端、妙に寂しいような心細いような気分になって、思わず自分の手を胸に抱いていた。
あんなに冷えきっていた手は、北条さんのおかげでずいぶん暖かくなっている。
——手だけではない。
仕事が思うように進まず悩んでいた時。
取引先から無理を言われ、困っていた時。
残業続きで疲れ果てていた時。
今のように心をも暖めてくれたのは北条さんだった。
彼のさり気ない優しさと軽口は、私のささくれ立った心をいつも癒してくれた。
北条さんがプロジェクトの1員に決まったのは、他でもない矢野本部長の強い要望だったともっぱらの噂だ。
そして噂にたがわぬ仕事振りと有能さが、プロジェクト成功の1つの要因であった事は、誰もが認めるところ。
一方で、北条さんは常に女性の注目の的であり、彼の芳しくない噂は私も耳にした事があった。
あくまで噂の域は出ないものの「来る者拒まず去る者追わず」という華やかな女性遍歴は、いつも誰かしらの話題に上っていた。
彼もそれをあえて否定しなかったので、そんな噂はあっという間に広まった。
だが、その手の噂は大概とんでもない尾ひれが付くものだ。
何が嘘で、どこまでが本当なのか誰も知らないまま、北条さんが否定しない事もあって、彼には「モテ男」のレッテルがしっかりと貼られてしまった。
プロジェクトのメンバーに北条さんを加える事にしたと矢野本部長に言われた時、私も興味半分不安半分でいたものだ。
けれど実際に一緒に仕事をしてみると、彼はよく気が付き目配りが出来て、その上決断力と行動力もあって、そして優しかった。
有能なのにそれを鼻に掛けず、おおらかで飾らない彼の人柄。
それは好ましいものであったし、誰に対しても面と向かって意見し、何を言われてもへこたれない前向きさに…私は密かに惹かれていった。
* * * * * *
今日の出張のメインは地方の工場にて、製品の最終打ち合わせと調整、そして量産化の体制についての相談だった。
フォルム、素材、強度、カラーバリエーション。
現場での意見を纏め上げ、調整して行くのはとても骨が折れる事だけど、同時に楽しくもあった。
みんなで1つのモノを作り上げていく。
1枚の設計図から、無限の可能性を探ってゆくと言っても過言ではない。
それが自分が書いた図面なら尚更の事。
だからだろうか。
ついつい議論も熱を帯び、北条さんにストップをかけられてしまったのは。
「今西さんも皆さんも楽しそ…有意義な打ち合わせしてる途中、申し訳ないんだけどさ。
クールダウンというか、昼休憩にしない?」
北条さんの発言に、時計を見ると打ち合わせが始まってから2時間が経っていた。
確かに…時間を忘れて、ついヒートアップしてしまったかも。
工場長が苦笑いを浮かべている辺り、止めてもらって正解だったのかもしれない。
「腹減ったし、何か食いに行こう」
打ち合わせの再開は13時過ぎからという事で、倉庫の隅にある事務所から出ると容赦のない日差しが肌を焼いた。
日焼け止めも塗ったし、ファンデも紫外線対策のものを使っているとはいえ…。
照りつける日差しに気を取られていると
「打ち合わせ中、イキイキしてて楽しそうだったんだけど、今西さんて設計オタク?」
隣から、聞き捨てならない事を言われた。
「失礼な。
そもそも設計オタクってなんですか?」
そんなジャンル、聞いた事ないわ。
とはいえ、からかうような響きはあるものの、嫌味は全く感じさせないのが北条さんのスゴイところ。
「いや、なんて言うか…よっぽど楽しいんだろうなと思ってね」
「楽しいですよ、現場でのやり取りは。
皆で力を合わせて1つのモノを作り上げていくのが、まぁ大変でもあるんですけど…。
でも会心の図面が書けた時とか、試作を重ねて皆が納得いくモノを作り上げた時とか。
ほんっとうに嬉しくてやりがいを感じます」
思わず力説してしまった私を、北条さんは何とも言えない柔らかな眼差しで見つめていた。
まるで大切なモノを見守るような、とても優しい顔。
——そんな…目で、見ないでほしい。
「すみません、また熱くなっちゃいましたね」
何だかいたたまれなくなってしまい、俯く私に
「何で?俺は好きだけどな。
今西さんのそういうとこ」
ニッと笑う北条さん。
——同僚としての台詞だと、わかっているけど…。
でも…ズルい。
「お昼、何にしましょう?
近くなら鰻か、ハンバーグかしら」
あえて話題を逸らすと、北条さんはやや不満げな顔で黙り込んだ。
「…北条さん?」
「あ、あぁ、そうだな。
その二択ならハンバーグかな」
北条さんが、そんなつもりで言っていない事は百も承知。
だから…勘違いなんてしないけど。
今だけは「同僚」として、誰よりも近くにいる。
それくらいは許してほしい。