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背中合わせ〜悠香視点〜


新しい人事が発令されて2ヶ月が過ぎた。


新しいプロジェクト、別名「Zero計画」の発足と同時に、北条さんは営業主任のポストに納まった。


元々営業1課で主任をしていた人だ。

当たり前といえば当たり前のポストなのだけど。


自然と、技術主任の私と営業主任の彼がコンビを組む機会が多くなった。



——実際、仕事の効率という点において、それは正しい選択ではあったのだけど…。


けれど、社内には私が北条さんの新しい恋人の座を射止めた、と無責任な噂が広まった。


それが事実ならどんなにスゴいだろうと思う反面、絶対にありえないと自分を卑下するもう1人の私がいる。



『身の程知らずな事考えてると、今に手痛いしっぺ返しを食らうわよ』


『あの北条さんが私なんかを選ぶ筈ないじゃない』



いいトシして振られたくない、なんて臆病な考えが二の足を踏ませているのも事実だ。


だから、その手の噂はことごとく否定してきた。



「私なんかが選ばれる訳ないでしょう?」


そう言うと、大概相手はもごもごと言葉を濁しそそくさとその場から去っていった。



図らずも、私の考えが考えが正しいのだと皆が証明しているようで、その度に密かに落ち込んだ。



   * * * * * *



急遽ピンチヒッターとして臨んだプレゼンは、綿密な打合わせと完璧な資料のおかげで大成功を収めた。


四菱を出てすぐに社に電話し、野口君に成功の旨報告すると、電話の向こうで門馬さんが

万歳三唱しているのが聞こえた。



電話を切って


「なんだか美味しいとこ取りしちゃったみたいね。

それにしても門馬さん、電話の向こうで万歳三唱していたのよ」


申し訳ないと思いつつ、くすくす笑いながら説明すると北条さんは軽く肩を竦めた。



野口君と門馬さんは、1ヶ月も前からこのプレゼンの為、資料を揃え対策を練り毎日深夜まで準備していた。


事故さえなければ、この清々しい達成感を味わっているのは彼らだった筈なのに。



「門馬のヤツに手握られて『俺達の分まで頑張ってください』って言われた時にゃ、どうしようかと思ったけど、無事終わってやれやれだ」


そういえば社を出る時、野口君と門馬さんが見送りに来てくれて


「俺達の分まで頑張ってください!」

だの

「俺、信じてますから。北条さんと今西さんのこと」

だの、エールなのか懇願なのか分からない事を口々に言っていたのを思い出す。



程なくホテルに着き、北条さんがフロントに立っていた女性に声をかけると


「チェックインですか?

ではこちらにご記入をお願いいたします」


と言いながら、その女性が取り出した鍵は1つだけ。


「あの、1部屋…だけ?」


「ツインのお部屋を1部屋でご予約を承っておりますが」


「じゃあ、それキャンセルしてシングル2つとか取れないかな」


フロントの女性が手元の端末を操作していたが、どうも無理らしい。



「あぁ、私は構いませんよ」


私なんかに手を出すような、物好きでもないだろう。

というか、そもそも女性に困ってないだろう位にしか思っていなかった。


それに状況が変わったのはこちらであって、ホテル側にはなんら瑕疵はない。

かといって新たに予約を取り直すのも、部屋が押さえられるかどうか分からない。

万が一取れたとしても、別々のホテルに宿泊というのも…。


色々考えてるうちに、何だかめんどくさくなってしまったのも事実。



学生時代、工学部だった私にとって周りは男子ばかりだった。

作業に熱中するあまり泊まり込みという事も珍しくはなく、そんな時は男女関係なく雑魚寝が当たり前だった。


だからなのだろうか。


あまり抵抗なく同室でも構わない、と言ってしまったのは。



隣りで北条さんが「あー」とか「うー」とか言いながら曖昧に頷いている。


自分が言い出した以上、後には引けなくなったので


「じゃあそういう事で」


さっさと手続きを済ませると、なるべく北条さんの顔を見ないようにしてエレベーターに乗り込んだ。



扉が閉まると同時に


「あのさ…今西さん分かってるよね?

この状況」


困惑したような表情で顔を覗き込まれたので


「あら分かってますよ、もちろん。

それだけ北条さんを信用してるって事です」


わざととっておきの笑顔で言い切った。



やけに居心地の悪い沈黙が、エレベーター内を支配する。


それを振り払うように無邪気を装って


「ほら、着きましたよ」


ドアを開けて部屋の中に入り、ぴょこんと首だけ出して手招きをしてみる。


「北条さんすごいですよ、このバスルーム。お風呂大きい!

それに洗面所にはポプリが置いてあっていい香り」


言ってから、そんな事はどうでもいいのだと気がついた。


けれど律儀にも北条さんはバスルームを覗き込み


「風呂とトイレは別か。ありがたい」


と私が思った事とは少し違う感想を述べてくれた。



   * * * * * *



打ち上げと称して行った、無国籍風居酒屋にて。


何故そうなったのか覚えてないけれど、気がつくと社内の恋愛事情なんて、微妙な話題になっていた。



「そう言えば北条さん、付き合ってる人いないんですか?

な訳ないですよねー。

あんなにもてるんですもの」


酔った勢い、とはいえ不粋な質問だったにも拘らず


「付き合ってる奴はいないかな。

気になる奴、はいるけどね」


なんて思わせぶりに私の目を見ながら北条さんは答えてくれた。


思わず固まってしまった私に気づいてないのか


「と言っても、俺の完全な片思いってトコなんだけど。

また、そいつがすげー鈍い奴でさ。

いつも見てるのに全く気づいてないんだな、これが」


「…そう、なんですか。

あっ、でも私応援しますから、北条さんの事」


声が震えないよう、冷静を装ってどうにか微笑んだ瞬間、北条さんが何故か天を仰いだ。



支払いを終え店を出た時は大丈夫だったのに、ホテルのエレベーターに乗った途端、北条さんの身体が揺れた。


咄嗟に手を伸ばし、顔を覗き込んで北条さんの様子がただ事でないのに気がついた。


「北条さんって家に着いてドアを開けた途端、酔いが回ってくるタイプ?」


話せば少し気がまぎれるかも、なんて思ったのだけど



「そぅ…かも」


あまりにも辛そうな返事に、甘かったかと思い直す。


室内灯の所為なんかではない。


北条さんの顔色が真っ青を通り越して土気色に近くなっている。


これは相当気分が悪いに違いない、と確信して


「大丈夫ですか?ほら、もうすぐですから」


と脇の下に肩を入れ身体を支えながら部屋を目指す。


「ごめん…な」


掠れた声が痛々しい。

黙って首を振るともう1度


「ホントごめん…」


と弱々しい声が返ってきた。



正直、ガタイのいい北条さんを支えて部屋に辿り着くのは、至難の業と思われた。


1歩進むごとにふらつきかけるのを必死に堪え、足を進める。


それでもどうにか部屋の前に立った時には「よくやった、私」などと思ったのだけど。


ベッドまであと少しという所で、よりにもよって足がもつれ、私はバランスを崩した。


しまった!と思った時には既に遅し…。



「きゃあっ!」


「うわっ」


どこからどう見ても押し倒された、としか見えない状況。


「北条…さん?」


思ってた以上に近いトコに北条さんの顔があって、心臓が胸から飛び出るかと思った。


「あ…の、大丈夫…ですか?」



ドキドキドキドキ


まさか聞こえる筈もないだろうけれど、五月蝿いくらいの鼓動に頬が熱くなる。


「気持ち、悪…ぃ」


その瞬間、色気もへったくれもない苦しそうなその声で私は我に返った。


「えっ?…え?

あ、あの…ちょっと待って!」


慌てて北条さんの身体の下からもがき出る。


洗面所まで運ぶのは無理と素早く判断し、空のゴミ箱を差し出すと、北条さんは苦しそうに呻いた。


「大丈夫ですか?

吐いちゃったらラクになりますよ」


こういう時は背中を擦ってもらった方が楽になることを思い出し、広い背を擦り続けた。


しばらくすると土気色だった北条さんの頬に僅かではあったが赤みがさしてきて、私はホッとした。


「ありがとう、もう大丈夫だから」


布団に埋もれるように北条さんが横になったので


「良かった、さっきより顔色マシになりましたね。

じゃ何か飲み物買ってきます。間違いなく喉乾くと思いますから」


とドリンクを買いに行こうとして…


「北条さん?」


「ごめん、飲み物よりこっちの方が落ち着くんだけど…」


北条さんは私の手をしっかり握って放さなかった。



——意外と甘えん坊、なのかしら?

それとも…彼女と間違えたりしてるの?


けれど、北条さんの瞳に映るのは紛れもなく私だ。



……少なくとも、今この瞬間は。



「じゃ、しばらくこうしてますから、眠れるようなら寝ちゃってください」


とベッド脇に腰を下ろす。

そっと握り返すと、安心したように目を閉じる姿が、何とも言えず可愛らしい。


結局、私は彼が寝付くまで飽きる事無くその寝顔を見つめていた。



時折苦しそうに顰められていた眉から力が抜けているのを確かめ、静かに手を放し飲み物を買ってくる。

シャワーを浴びようかと思ったが、起こしてはいけないと思い直しベッドに潜り込んだ。




背中越しに感じる北条さんの寝息。



——今は、これくらいの距離がちょうど良い。


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