ある戦闘前の話
その後も近辺で情報を集め続けたが、それ以上の情報は特に得られなかった。
わかった事と言えば、アルシアという女性はあの辺りでは誰もが知っている女の子だったということ。とても活発で、笑顔の可愛いみんなの人気者だったということくらいだ。
誰もが沈痛な面持ちで、アルシアさんの失踪事件について話す。それを聞く度にどうしようもなくやりきれない気持ちが、胸の底に溜まっていくようだった。
ロッタさんとの帰り道では、沈黙が続いていた。アルシアさんの事件の話を聞き続けた私達はひどく疲弊し、重たい空気が二人の間に流れていた。
先に沈黙を破ったのはロッタさんの方だ。
「……アルシアって子、みんなに随分愛されてたみたいだな」
「……ですね」
再び、沈黙が続く。
すでに日は暮れ始めていた。この世界の太陽は、西から上がって東に落ちていく。向こうにある城に収納されるような形で、夕日は音もなく沈んでいった。
期限は3日ある。
ある程度の情報が得られたとは言え、今から屋敷に乗り込むのは利口な考えではないだろう。
明日、万全の準備をしてから屋敷に乗り込む。ロッタさんとそう約束して、私たちはその場で解散した。
翌日、事務所に集まった私たちは各々の準備を始めた。
ロッタさんは銀色の鎧を身にまとい、長い髪を赤い紐で結ぶ。髪を結ぶ紐は、いつもは特にこだわりがないらしいのだが、戦闘の時に関しては赤でないとしっくりこないのだという。彼女なりの願掛けらしい。
「屋敷の中で大剣振り回せるかな?」
ロッタさんが大剣を眺めながら言う。
彼女の持つ大剣は、名のある刀匠が鍛え上げ、更に聖なる加護を受けてある大変ありがたい物なのだと言う。所謂、聖剣と言われるものだ。
それだけでも対アンデットとしては有効なのだが、更に彼女はその大剣の刀身や柄に、私があげたお札を何枚も貼り付けていた。その結果、彼女の大剣はアンデットに対して恐ろしいほどの破壊力をもっている。
「大きな屋敷でしたから、多分問題ないと思いますよ」
言いながら、私も準備する。
この世界に連れていかれたタイミングが仕事帰りだったため、幸い、いくつかの仕事道具はこっちに持ってくることができた。
身体の方は自宅で清めてある。清潔な黒の和服には、すでに袖を通していた。
青のたすきを肩にかけ、バッグの中身を確認する。御札や清め塩など、基本的なものは揃っている。あの日、依頼者から預かった奇妙な箱も、未だこのバッグの中にあった。
彼の言っていた、夜になると聞こえてくるらしい、獣のような声。その声は、長い事この箱と生活を共にしているが、未だに聞こえてくることはなかった。箱の中に居た黒い影も、こちらの世界に来てからは見ることができなくなっていた。
未だ謎は多い。元の世界に帰る手がかりは、まだかけらも見つかっていなかった。
バッグを肩にかける。準備は出来た。
「それじゃあ、そろそろ行きましょうか」
「おう」
ロッタさんはそう言って、自分の背丈ほどある大剣を肩に背負った。
「あら。あなたたち、あの屋敷に行くの?」
屋敷の向かう途中で、バレイシア夫人に声をかけられる。彼女は自分の庭に咲く花の手入れをしているようだった。
「ええ。アンデット討伐に」
「まあ、たった二人で!? あなたたちそんなに身体が細いのに……大丈夫なの? 何人もの屈強な戦士が帰って来なかったのよ? それにあなた、なんだか妙な格好して……」
……格好は関係ないじゃないか。
この世界で、和服というのはなかなか珍妙な格好に見えるらしい。
「こう見えても、そこそこやれるんですよ。それに、ロッタさんもいますから」
ロッタさんは鼻を鳴らし、右手に握る大剣を肩の上で軽く振ってアピールした。
「それに、近所の屋敷でアンデット出るなんて話があっちゃ、皆さんも安心して生活できないでしょう。皆さんの為にも、しっかりと討伐してきますよ」
「…………」
バレイシアさんは黙り、右手を頬に当て考える仕草をする。
「……どうしたんですか?」
「……いえ。なんていうかねぇ……。妙な話なんだけど」
そう言ってバレイシアさんは屋敷を眺め、
「なんとなく……怖くないのよね。アンデットの側で暮らしているっていうのに」
と、不思議そうに首を傾げた。
「……なんとなく。私達はあのアンデット達に襲われることはないんじゃないかって。そう思うのよ。ただの平和ボケなのかもしれないけれど……。不思議と、そんな気がするのよね」
彼女のその言葉に、私はロッタさんは顔を見合わせた。