あるアルシアという名の女の話
屋敷から北西の方角には、鮮やかな緑で覆われた畑が広がっている。その広大な畑は、私の地元の三浦市にある大根畑を思い出させた。
「この畑では何を作っているんですか?」
畑作業をしていたのは、麦わら帽子の似合う初老の男性だった。
名前をジェイクさんと言う。白髪で、口に無精ひげを生やしている。彼は服を土で汚しながら一生懸命、畑作業を勤しんでいた。優しい笑顔を向けて、答えてくれる。
「カボロだよ。この辺は有名なカボロ畑なんだ。知らねえかい?
ここのは他のと違ってね、葉が柔らかくてうまいんだよ」
カボロというのは、キャベツに似た野菜だ。キャベツより小さく、葉が黒い。味はキャベツより甘みが強く、この国ではデザートに使うのも珍しくは無いようだった。日本で言うところのカボチャに扱いは似ているかもしれない。
「カボロかぁ。ちょうど、今が旬ですよね。食べたくなってきたなぁ。……ところでひとつお話をお伺いしたいんですけど、よろしいですか?」
「ああ。なんだい?」
「アルシアという女性について、何かご存知ありませんか?」
「……ああ…………アルシアか」
ジェイクさんは、噛み締めるようにアルシアさんの名前を言った。なんとも言えない重い空気が流れている。ジェイクさんは少し悲しそうに視線を落とした。
「なんだ。あんた、あの事件について調べてんのか?」
「あの事件、と言いますと?」
「……知らねえのか? 2年前、アルシアが失踪した事件だよ。
この辺じゃあ有名な話だ」
「えっ……アルシアさんって、失踪してるんですか!?」
「あぁ……その様子だと本当に知らねえらしいな」
ジェイクさんは畑作業を止め、額の汗を手で拭う。
そばに置いてあった水筒を手に取ると、グビグビと喉を鳴らしながらそれを飲み、口元を拭った。小さくため息を吐くと、彼は例の屋敷を指差す。
「アルシアは、そこの屋敷に住んでたんだよ。グレイクって野郎と一緒にな。ところがある日、突然グレイクが騒ぎ始めてよ。『アルシアが消えた』って。屋敷中どこを探してもいないって言うんだよ。だから俺らも、この辺の連中集めてそこら中探してみたんだけどよ……」
「――――見つからなかった?」
「そう。見つからなかった。それどころか、その日アルシアを見かけた奴さえいなかったんだ。
グレイクの野郎、自分が初めにアルシアを探そうって言ったくせに、すぐに諦めやがってよ……」
ジェイクさんは悔しそうに唇を噛む。
「アイツ、『もう見つからない。探しても無駄だ』なんて言い始めて、すぐに帰っちまったんだよ。結局、俺らだけで翌朝まで探したんだが、最後までアルシアは見つかることはなかった」
ジェイクさんにとって、アルシアさんは家族のような存在なのだろう。彼の話す口ぶりから、アルシアさんとの親密さが伝わってきた。それ故に、失った悲しみは大きいようだ。
「……ちなみに、あの屋敷でアンデットが出始めたのはいつ頃からなんですか?」
「……その後すぐだ」
ジェイクさんは恨むような目で私を見る。鬼気迫るような眼差しで、私はその迫力に目をそらしてしまう。
「だから俺らもよ、アルシアはアンデットどもにやられちまったんじゃねえかって……。それ以後、アンデットの討伐だのなんだのと言って、いろんな戦士どもがあの屋敷に入っていったが、誰も帰ってきやしなかったんだ。そんなのにやられたら、アルシアなんてひとたまりもねえだろう」
私の後ろで、ロッタがさんが重く長いため息を吐いた。もううんざりだ、という目で私を見てくる。
「……最後にお聞きしたいんですが。アルシアさんはどんな方だったんですか?」
「……いい子だったよ。アルシアは子供が好きでな。いつか自分の子供と一緒にバーベキューをやるのが夢なんだと話してたよ」
懐かしそうに、ジェイクさんは目を細める。今、目の前にその時の光景が現れているようだった。
「うちのカボロはそのままでもうまいが、焼くと甘みが増して、更にうまくなる。アルシアに昔、それを食べさせたことがあったんだが、その時アイツ、『自分に子供ができたら絶対にこれを食べさせてやるんだ』って、嬉しそうに笑ってよ。その時の笑顔が、今でも瞼にこびり付いてやがる。……まったく、嫌になるよ」
彼の言葉が震えているのに気づいて、私は深く頭を下げた。
「……すみません。嫌なことを思い出させてしまって。お時間頂き、ありがとうございました」
「……いや。ちょうどいい休憩になったよ。カボロが食いたくなったらいつでも来てくれ。うまいのを御馳走してやるよ」
そう言って笑うとジェイクさんは顔を背け、私達に見えないよう目の辺りを拭った。