プロローグ
白く綺麗な雪が降る。
僕は森の中、下に落ちていく雪を眺めながら、ホウキを持つ母の後ろを歩いていた。雪はある程度積もっていて、歩くたびにザクザクと小気味良い音を立てる。僕はこの音が好きだった。母の足音と、僕の足音。交互に鳴れば、オーケストラ。自然と笑みがこぼれていた。
この森に降る雪は『千年雪』と呼ばれ、世界で唯一、永遠に降り続ける雪だと言われている。なんだかロマンチックなその名前も、僕は好きだった。
先を歩く母は魔道士だ。我が家は代々魔道士の家系で、僕も一応それを名乗っている。
とはいっても、僕も母も派手な魔法が使えるわけではない。出来ることといえば、現存する薬の力を強くするだとか、ちょっと特殊な薬が作れるだとか、そういった地味なものばかりだ。それでも僕たちはこの魔法を誇りに思っている。うちの店で薬を買うお客さん達は、いつも嬉しそうに薬を大事に抱えて帰っていくのだ。
誇りに思わないわけがない。
この森に来たのも、仕事の一環だ。この森にだけ育つ特殊な木の実が、心臓の疾患に良いらしい。
「しまった」
母が突然、立ち止まる。
「どうしたの?」
「……私、トーテを持ってくるの忘れてる。アスク。あなたトーテ持ってきてる?」
トーテ、というのは小さな棒のことだ。しかし、魔道士が使えばトーテは伸縮自在の棒になり、おまけに先端にはハサミがついているという優れものだ。高い場所にある木の実を取るために必須の道具だった。
「えっ。持ってきてないよ」
「……やだわ。これじゃあ、何しに森に入ったのかわからないじゃない。ちょっと、ここで待っててくれる? ホウキで行けば、すぐに戻ってこれるから」
「ええー」
「お願い。本当にすぐ戻ってくるから」
そう言って母は手の平を合わせて僕に拝む。……まったく。お母さんはたまに抜けてるところがあるんだから。
「家までなら、僕も一緒に行くよ」
「ダメよ。私だけならすぐ戻ってこれるけど、アスク、あなたはまだちゃんとホウキに乗れないじゃない。1本のホウキに2人は乗れないし、一緒に歩いて帰ったら、森に戻ってくる頃には日が暮れちゃうわ」
「ええー。子供を一人でこんな雪の森に放置するの? 可愛そうだよ」
「……自分で言うことじゃないわよ。いいから、ここでおとなしく待ってて。お母さん、すぐ戻ってくるから」
そう言って母はホウキに乗り、空を舞った。
――――この森は、非常に安全な森である。それは有名だし、確かな事実だ。危険な動物はいないし、木と木の間は離れていて見通しがいい。夜になると森の木が光輝き、電灯の代わりになる。
子供ひとりで入っても、無事に帰ってこれる森。そう言われている。だから、別に一人にされるのが怖いってわけじゃなかった。ただ、少しだけ、寂しかった。
まるで、永遠みたいに雪が降る。とても静かな森だった。
遠くで誰かの声が聞こえたのは、僕がトイレに行きたくなった頃だった。森の奥から、女の子の声が聞こえる。
「こっちこっち! あはは! さっきこっちにあったの!」
そんな声が、遠くから聞こえた。僕と同じ位の年の子かもしれない。声の感じからそんな印象を受けた。……元気な子だな。遊んでいるのかな。少し気になったけど、でも、僕はどこで用を足せばいいのかで頭がいっぱいだった。
女の子の声はこっちに近づいてくる。
「こっちこっち! あはは! さっきこっちにあったの!」
さっきより随分近くに聞こえる。
何があるって言うんだろう、こんな森の中に。この森には僕が知る限り、魔道士が使う薬の材料くらいしかないのに。……もしかして、同業者だろうか?
声はもっと近くなる。
「こっちこっち! あはは! さっきこっちにあったの!」
まいったな。随分近くから声が聞こえる。これじゃあ用を足せないよ。早くどっかに行ってくれないかな。
そう思っていると、ふと、道の先に女の子の姿が現れた。それほど離れてない。いつの間にあんなところにいたんだろう。長い髪の女の子。僕を見て、にっと笑う。すごく、かわいい。目は丸く、大きくて、顔が綺麗に整っていた。
まるで、お人形さんみたいだ。
「こっちこっち! あはは!
さっきこっちにあったの!」
彼女は確かに僕の目を見てそう言った。
僕に言ってる? ……まさか。知り合いでもないのに? でも、周りを見ても、誰もいない。僕に言ってるとしか思えなかった。彼女は道の向こうへと走っていく。すぐに追いかけないと、見失ってしまう。
「ちょっと待ってよ。僕も行く」
彼女の背中を追いかけた。
「ねえ、そっちに何があるって言うの?」
声をかけたが、返事はない。彼女はただ、道の向こうへと楽しそうに走った。
――――急に。
追いかけていた彼女の背中が消えた。
……消えてしまった。どこにもいない。
なんで? 今まで目の前にいたのに。
もうすぐ追いつけそうだったのに。どこに行ったの?
「……え?」
彼女が消えた辺りの雪の下で、何かが蠢いている。
そんな、まさか。雪の中に落ちた?
この雪がそんなに深いはずはないのに。僕は近づく。
――――なんだろう?
雪の下、蠢くものが、白い地面を盛り上げながら僕に近づいてくる――――。




