悪魔への求婚
今となっては昔のことではありますが、ある国の王子さまが隣の国のある街で美しいお針子を見初めました。
「美しいお嬢さん、どうか城に来てくれませんか」
とてもハンサムで陽気だったので大人気な王子さまの申し込みを、どういうわけかお針子はきっぱりと断ってしまいました。
しかし、恋愛とは障害が大きければ大きいほど燃え上がるものです。王子さまはお針子に振り返ってもらおうとして色々手を尽くしたけれど、彼女は三年が経っても首を縦に振ろうとする素振りを見せなかったのです。
王子さまの名前はマトヴェイ、お針子の名前はミラナと言いました。
マトヴェイ王子さまはお針子のミラナのことが好きでしたが、それ以上にミラナを愛している人がいました。
隣の国、イェヌバリイユリ王国のシードル王子さまです。
シードル王子さまは小さい頃からミラナのことを知っていて、ミラナもまた、小さい頃からシードル王子さまが大好きでした。
「ミラナ、結婚してくれないか」
百本のバラの花束を差し出して、シードル王子さまはミラナにプロポーズしました。
ミラナは泣いて喜びました。好きな人との結婚が決まって、幸せになれない女の子はおりません。
そうしてミラナは街を出て、シードル王子さまのお城──プスコフ城に住み始めました。そうとは知らないマトヴェイ王子さまは頻繁に街にやって来てはミラナのことを捜し回ります。
しかしいくら捜しても見つかりません。そこでマトヴェイ王子さまは、家来を呼びました。
「ミラナを捜して、ここに連れてきてくれ」
「ははっ、畏まりました!」
こうしてマトヴェイ王子さまの家来は街だけでなく、隣の国中を回ってミラナを捜しました。その頃イェヌバリイユリ王国では王さまが亡くなって、新しい王さまとお妃さまがお披露目の時を迎えていました。
お披露目の日は宮殿に国中の人々が集まります。そこでミラナを捜そう──そう考えた家来は、宮殿に行きました。
ここで家来は驚くべき光景を目にしました。シードル王子さまが新しい王さまとしてお披露目されたのはいいのです。問題は王さまの左に立っているお妃さまです。
それは誰が見てもミラナだったのです。そればかりか、もうすぐ世継ぎとなる王子さまか王女さまが生まれるというのです。
家来はすぐに母国に帰り、マトヴェイ王子さまに報告しました。
「ミラナはイェヌバリイユリで新しい王になったシードルと結婚して、妃になっています」
マトヴェイ王子さまは宝物を取られた気がしてショックを受けました。朝から晩まで部屋に閉じ籠って泣いていました。
「どうしてミラナは私と結婚してくれなかったのに、別の男と結婚したんだ。どうしたら私と結婚してくれるのだ」
ミラナがシードル王と結婚して幸せに暮らしていると知った後も、マトヴェイ王子さまは彼女のことが諦めきれません。
諦めがつくどころか、その想いはどんどん膨れ上がります。王子さまはいいことを思いつきました。もうすぐ行われる自分の誕生会にシードル王を招いたのです。勿論そこにはミラナもついてくるはずです。
マトヴェイ王子さまの誕生日。自分の両親にあたる王さまやお妃さま、それに兄妹の王子さまや王女さまと一緒に、招待された他の国の王さま、お妃さまも誕生日を祝ってくれました。
その中には、勿論シードル王とミラナもいます。
誕生会が終わって、シードル王とミラナはイェヌバリイユリへ帰る支度をしました。さあ出発というその時、家来がやって来て、言いました。
「マトヴェイ王子さまから、シードル王と是非お話ししたいとのことです。ついてきてください」
「分かりました。ミーラ、すぐ帰るから」
「はい、シードルさま」
王さまは何の疑いもなく家来についていき、ミラナは一人でプスコフ城へ帰りました。
「シードルさまのお帰りはまだかしら」
シードル王の帰りを待つミラナのもとに、マトヴェイ王子さまの使いの者が訪れました。
「シードル王は殺されて当然のクズでしたね。狼のように強欲で、狡猾で。死んでよかったと皆思っています」
使いの者が持ってきたのは、木に縛られて真っ二つにされたシードル王の亡骸でした。
彼らはシードル王を殺したことを堂々と認めた上で、こう言ったのです。
「終わってしまったものは仕方ありません。我が国の王は寛大な方です。貴女とマトヴェイ王子の結婚を所望しております」
使いの者は舐めていました。シードル王が亡くなったことに動転して、ミラナがろくな判断などできないと思い込んでいたのです。
まだ若く、お腹の大きな未亡人など、怒らせても怖くない、と。
「ありがたいお申し出ですわ。もう夫は帰ってこないことは確かですし、マトヴェイ王子さまとの結婚は願ってもないことです。でも、あまりに急なことで、心の準備ができておりませんの。また明日いらしてくださいな」
マトヴェイ王子さまの使いの者はうまくいったと喜びました。一方、ミラナの返事に困惑する人もいます。それはシードル王に仕えた家来です。
そんな家来に、彼女はこう命じました。
「お城の周りに深い穴を掘りなさい。とびきり深い穴ですよ」
あくる朝。マトヴェイ王子さまの使いでプスコフ城の前にやって来た二十人ですが、返事がありません。それどころか、ミラナは城内の部屋で家来にこう言いました。
「あの者たちを昨日の穴に叩き込みなさい」
二十人の使いの者は深い穴に落とされ、必死に自らを助けるようお願いしました。
「シードルがやられたことより酷いぞ!」
「助けてくれーっ‼」
その時、やっとミラナが使いの者の前に出ました。
「プスコフ城へようこそ! 皆さま楽しんでおられますか?」
使いの者の前で明るい笑顔を見せながら、夏場の打ち水のように穴に水をかけるミラナ。
しかし穴の上の家来の前で、その笑顔は冷たくなります。
「穴を埋めて、この者たちを黙らせてくださいな」
そういうわけで、マトヴェイ王子さまの二十人の使いの者は生きたままお城の外の穴に埋められてしまったのです。
その頃、ミラナはマトヴェイ王子さまに手紙を送っていました。
「結婚のお申し込みありがとうございます。素敵なマトヴェイさまにすぐにでもお逢いしたいですわ。使いの皆さまも素晴らしい方々でしたが、一国の妃に対しては少し釣り合いが取れないのではないかしら。もっと地位のあるお使いを送ってくださいな。あなたのミラナより」
この手紙を受け取ったマトヴェイ王子さまは、前の使いがどうなったのかも知らずに、新しい使いを送りました。
「ミラナちゃんったら可愛いことを言うなあ。よしよしここは我が国の有力貴族を送ってやらねばな」
マトヴェイ王子さまの命令で、貴族たちは民族衣装を着飾ってミラナの城にやって来ました。ミラナは笑顔で彼らを迎えます。
「プスコフ城へようこそ! 遠路はるばる来ていただいてお疲れでしょう。お風呂を用意いたしましたので、ごゆっくりおくつろぎくださいな」
貴族たちはミラナのあたたかいもてなしに感激しました。
若干お腹が膨らんでいるように見えたのが気になりましたが、慈悲深いマトヴェイ王子さまならきっと我が子のように可愛がってくれるでしょう。
彼らが浴室のある建物に移動すると、扉が堅く閉められました。
「祝賀会のメインディッシュは、あの者たちのローストですわ…」
浴室で生きたまま焼かれる貴族たちの悲鳴を聞きながら、ミラナはシードル王の王子を産みました。
待てど暮らせど最初の使いも貴族たちも帰ってこないので、マトヴェイ王子さまは様子を見に行こうとしました。
そんな時、愛しのミラナから手紙が届いたのです。
「なになに…病気で臥せているので使いの者を十分にもてなすことができないと。そんなことはいいんだよ、ミラナ。よしここは私が直々に見舞いに行くとするか」
あくまで健気な手紙にすっかり鼻の下を伸ばしたマトヴェイ王子さまは、行列を作ってイェヌバリイユリへ行きました。しかしそこで見たのは、新しい王子さまの誕生を祝う国民と、その中心で王子さまを抱いて微笑むミラナでした。
「シードチカ王子さまばんざい!」
「お妃さまばんざい!」
新しい王子さまはシードル王と同じ名前をつけられ、シードチカ王子さまと呼ばれるそうです。呆気にとられるマトヴェイ王子さまと付き添いの者たちに、ミラナは主役に代わって蜂蜜酒を注いで回ります。
「本日は王子を祝福していただき、誠にありがとうございます。代わって母のわたくしがお礼を申し上げます」
マトヴェイ王子さまと付き添いの者たちは喜んで杯を受け取り、飲み干しました。一つ気になることといえば、イェヌバリイユリの国民には葡萄酒が出されていることです。
「我々にわざわざミードを出してくれたのだ。ミラナも可愛いことをしてくれるなあ」
すっかり気を良くしたマトヴェイ王子さまと付き添いの者たちは、酔っ払ってイビキをかき始めました。
そんな彼らを客間に運ぶように命じたミラナはさらにこう言いました。
「この者たちを地獄まで送りなさい。彼らの国のパーティーでは招待客が料理を持ち寄るそうですの」
こうしてマトヴェイ王子さまと付き添いの者たちは、ミラナが隣の国から招待されたパーティーに持っていくカツレツになりました。
マトヴェイ王子さまの国は十二ヶ国と国境を接していて、一年をかけて隣の国の王さまを一人ずつ招いてビュッフェ式のパーティーを開いています。
毎年一月はイェヌバリイユリ王国の順番で、彼女は小さいシードチカ王子さまを抱いて隣の国へ行きました。
「ごきげんよう王さま。このような立派なパーティーを開いてくださってありがとうございます。わたくし、この国ではゲストが料理を持ち寄るものとお聞きして、腕によりをかけて我が国の珍味をお持ちしましたの」
「お妃さまは勉強家ですな。ありがたく頂きましょう」
招待客はミラナとシードチカ王子さま、それに国民全員です。しかし王さまの国の家来の一人がこう言いました。
「マトヴェイ王子さまがお送りになった使いを始め…王子さまご本人もイェヌバリイユリへ行かれたまま、帰ってきておられないと言うのに…」
「ああ。そのことですが、王子さまがたには大層我が国を気に入っていただけたようで、もう少し滞在したいとのことで、観光を楽しんでおられますわ。わたくしとしても喜ばしい限りで…」
「そうなのか。マトヴェイが世話になっているね。その上このような立派なものを持ってきてくださったのだから、我々も精一杯もてなすべきだろう」
そうしてパーティーが始まりました。例年にない豪勢な食事に国民は勿論、お城の人々もかぶりつきました。
特にカツレツはどの肉で揚げたのかとんと見当がつかないほどの美味で、ミラナが手をつける前に無くなってしまうほどでした。
皆が満足してパーティーはお開きになり、ミラナとシードチカ王子さまは盛大に見送られながら国へと帰ってゆきました。
ところが、隣の国では大変なことが起きたのです。国民が次々と急な病で亡くなっていくのです。原因を突き止められぬまま死者は増え続け、遂に国境を接する国の王さまを招いたビュッフェ式のパーティーも開かれなくなってしまいました。
他国の王さまが恐れたわけではなく、そのような余裕が無くなってしまったのです。
一方、ミラナは学がないことを自覚しており、腹心の家来を摂政として立てて立派に国を統治させ、隣の国の国民を吸収するかのように発展を続けました。
この謎の奇病は彼女がもたらしたのでしょうか? それは永遠に解明されることなく、マトヴェイ王子さまの国は丸ごと消滅していったのです。
これは理由もなく殺されたシードル王とミラナの呪いだ──という噂は広まることなく、シードチカ王子さまを深く愛し、シードル王を偲びつつ穏やかな生活を送ったミラナはきわめて幸福な形でその生涯を終え、お針子から王妃にまで登り詰めたことから後世の人々にシンデレラストーリーと持て囃されるようになりました。
〈完〉