夢の中からの再会
今日は会社から必ず受けるようにと指示が出ている研修に出席している。
業務命令だから逆らう訳にもいかないので出るしかないが、参加費一万円
は高いだろう。しかも自腹で、、、
この研修を受けないと昇格もしないし、下手したら降格するかもしれないと
言われているので受けるしか道はないのだ。あーあ早く終わらないかなぁ、、、
「それでは今からみなさんにお配りしている紙に今までの自分を振り返ってみて下さい」
いきなりそんな事言われても困るよなぁ。今までの自分って…ロクな事なかったしなぁ。
まっ適当に書いて終わらせるかな。
卓也は一人でブツブツ言いながら何を書こうか考えていた。今までの自分、今までの自分…
卓也は何か甘い匂いを感じて意識が遠のいていった。
「24歳の会社員です。趣味はカラオケとかドライブです。ドライブは遠くに行くのも
好きだけど普段は近所をフラフラしてます。性格は明るいと思います。よかったら連絡
下さい。よろしくお願いします」
毎度毎度硬いなぁ。でもこれ位しか入れられないよなぁ。しばらく様子を見てみるか…
卓也は携帯の出会い系の伝言板にメッセージを残した。過去には何人かとはメールの
のやりとりはしているがそれ以上の進展はなかった。今度こそはメル友の域を超えて
会いたいなぁ。
2日後携帯のメールが鳴った。
「はじめまして。メッセージを聞きました。よかったらメールから始めてみませんか」
おっ来た。そんなに数は多くないが返事はそこそこ返ってくるけどやっぱり返信があると
うれしいものである。よし早速返事するか。
「メールありがとう。24歳の会社員です。楽しくメールができたらいいなと思います。
よろしくお願いします」
よしっ、送信!
そこから何回かメールのやりとりがあった。相手は23歳のOLさんで住まいは神奈川
の厚木だという。俺は埼玉だからもし会うとなるとちょっと遠いかな、、、とちょっと
気が早い妄想を膨らませながらさらにメールのやりとりを続けた。
メールの交換を1週間ほど続けた頃、卓也は相手の声が聞きたいと思い、思い切って入れ
てみた。
「よかったら一度電話で話ししてみませんか?メールばかりだとリアルタイムで伝わらない
から、、、どうですか?」
いつものパターンだとここで返信が来なくなってはい終了っ!となるのがお決まりだった
が今回は違った。
「いいですよ、私も一度話してみたかったから」
やったー!卓也はその場で思わず飛び上がってしまった。OKをもらったのはいいけれど
いざ話すとなると何を話せばいいんだろう?そう思うと卓也は急に緊張してきた。
いやここは気持ちを落ち着かせよう…すぐに電話すると欲望丸出しのように思われるから
とりあえずトイレに行こう。
5分後卓也はようやく落ち着きを取り戻し電話をかけた。
「もしもし」
「もしもし」
「“ゆう”さん?ですか?」
「はい、、、そうです、、、」
「はじめまして、卓也です」
「はじめまして」
ぎこちなく会話は始まった。世間では出会い系で知り合って結婚したっていう話を
聞くけど二言三言会話をしただけでこんなにドキドキするなんて、、、これは恋なのか??
「はじめましてなんだけどはじめてじゃないんだよね」
「そうですね」
「メールではいろんなこと話したのに実際に声を聞くとなんだか照れくさいよね」
「そうですね」
なにか気の利いた話題を出したいけど胸が苦しくて出てこない。なんでこんなに緊張
するのだろう。向こうも緊張してるのかな、、、
一通りメールのやり取りをした内容をなぞって会話をして3,40分が過ぎた。
「お互い明日も仕事だからもう寝ましょう」
「そうですね」
「なんか色々話してると時間がたつのが早いよね」
「そうですね」
「なんか、、、そうですね、ばっかりだね」
「そうですね、あっ、ははっ」
「ははっ!」
ふたりは照れくさそうに笑った。緊張していた空気が一気に破裂したのを感じた。
「また電話してもいいかな?」
「いいですよ」
「じゃあ電話するときはまたメールするね」
「わかりました」
「じゃあまたね」
「それじゃあ、、、」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
3秒くらいそのままにしていたが相手も切らずにいたので卓也の方から電話を切った。
卓也は彼女と電話のやりとりを思い出すことはできなかったが彼女のやわらかい声の
感じを思い出してしばらく余韻に浸っていた。顔も見たことがない相手とこんなに長い
時間会話をすることができた自分にびっくりしていた。また話がしたいなぁ。卓也は
素直にそう思った。
それからお互いに仕事が忙しかったりタイミングが合わなかったせいもありメールの
やりとりのみの時間が2週間ばかり続いた。
卓也はそろそろ声が聞きたいなぁと思い、メールしてみた。
「今日は仕事が早く終わったから少し電話で話してみない?」
久しぶりの電話の誘いだからだめかなぁ、、、
卓也は少し緊張しながら返事を待った。
「いいですよ。そろそろ話したいなあぁって思ってたから」
よしっ。まだ気持ちは続いていた!今度はトイレに行くことなくすぐに電話をした。
「どうも」
「こんばんは」
「ごめんね、メールばっかりでなかなか電話できなくて…」
「私も残業とか結構あったしお互い仕事があるから仕方ないよ」
「そうだね」
5秒くらい沈黙が続いただろうか。卓也にはとても長い沈黙に感じられた。
「なんか久しぶりに話したからまた初めてみたいに緊張してしまうよ」
「そうだね、私もなんだか言葉が見つからないくて部屋の天井を見つめちゃった」
「アハハ」
「アハハ」
「仕事は結構忙しいの?」
「最近たまたま残業が続いているだけで普段は5時30分で終わるよ。卓也さんは?」
「俺は結構遅いことが多いかな。早くても8時くらいまで仕事してるよ」
「お疲れ様です。体壊さないように気をつけてね」
「ありがとう」
まだ声でしか知り合ってないのに俺の体を気遣ってくれる彼女を少し意識してしまった。
会っていろいろ話をしてみたい気持ちはあるけど果たして彼女にはその気があるのだろ
うか、、、
「ゆうさんは休みはいつなの?」
「基本的に土日なんだけど結構自由に代休は取れるよ。卓也さんは?」
「月曜日で月に2、3回火曜日も休みがあるんだ。平日だから誰も遊んでくれなくてね」
休みの話になったからこのタイミングで言うしかないよな。よしっ思い切って言ってみよう。
「よっよかったら一度会ってみない?実際に会ったらもっといろいろ話が出来ると思うし、、、」
「、、、」
2,3秒の沈黙が流れた。が俺には何分もの沈黙に感じられた。やっぱり早すぎたかな、、、
「会いたいけど休みが合わないよね」
やっぱり断られたかな。いやここで引き下がってはいけない。もう少し粘ってみよう。
「そっか、、、そしたら俺は月曜日が休みだからゆうさんが仕事が終わってから軽く食事をするっていうのはどうかな?そんなに長時間じゃなくていいから。そっちに行くし、どうかな?」
またしばしの沈黙タイムが訪れた。俺の提案を頭の中でじっくりと検討しているようだった。
「ほんとはもし会うなら1日ゆっくり会いたいなぁって思ってたけど、、、最初だから軽く食事でもいいかな。でも厚木って遠いよ、わざわざ来てもらうのも悪いから新宿くらいまで行こうか?」
「その日は休みだからのんびりドライブがてらそっちまで行くよ。仕事終わってからだからわざわざ移動するのも疲れるでしょう」
「、、、じゃあ甘えさせてもらおうかな。月曜日は残業ないと思うから5時半には終わるから終わったら連絡するね」
「OK了解です。じゃあ来週の月曜日楽しみにしてるね」
「それじゃ、おやすみなさい」
「おやすみ」
卓也は電話を切った後しばらく動くことが出来なかった。今の会話の意味を体の隅々まで浸透させるのに時間がかかった。今来週の月曜日に会う約束をしたよな?俺が厚木まで行くんだよな?夢じゃないよな?
ようやく指先に本来の感覚が戻ってきた。現実の世界に戻ってきた感じだ。よしっ、はじめて約束を取り付けたぞ。
その日は興奮してしばらく眠れなかった。そのうち寝てしまったが、、、
月曜日はあいにくの雨模様だった。せっかくゆうさんと会うのに空も気が利かないよなぁ。
卓也はブツブツ独り言を言いながら出かける準備をしていた。
おしゃれな格好はできないし、気の利いた音楽もないけど、、、中身で勝負かな!
昼飯を家で軽く済ませて卓也は出発した。昼間の高速は混んでいるから下道でいくかな。時間もたっぷりあるし雨だからちょうどいいや。
時計は5時を指していた。卓也はなんとか厚木に到着した。いやぁ本当に遠いよなぁ。3時間もかかったよ。また卓也はブツブツいいながら路肩に車を停めて連絡を待った。
6時を少し過ぎた辺りだろうか、ウトウトしていた卓也の耳元で携帯の着信音が鳴り響いた。
「もっもしもし?」
「卓也さん?ゆうです」
「どうも、お疲れ様〜」
「すみません、もうちょっと早く上がれたんだけど上司に少しつかまっちゃって、、、」
「大丈夫だよ、そんなに待ってないから。どこに行けばいいかな?」
「私も車だから、その近くにファミレスあるでしょう?そこでどうかな?」
「OK、わかった。じゃあそこの駐車場で待ってるね」
「15分くらいで行かれると思います」
「気をつけてね」
「ありがとう」
相手は車かぁ。そうだよな、いきなり相手の車になんか乗らないよな。卓也は一人で妄想の世界を彷徨っていた。そうか、もうすぐ会うのか、、、そう思うと卓也は急に緊張してきた。全く顔を見たことがない相手とプライベートで対面するのってないよな。どんな顔をすればいいんだろう。やばい、トイレに行きたくなっちゃった。
一人でテンパっているうちに赤の小型車が駐車場に入ってきた。あの車かな?卓也は大きく深呼吸をした。
赤い車は卓也の少し斜め前に停まってしばらくそのままだった。何か出る準備をしているのかこちらの出方をうかがっているのか、、、よしっ、ここは男が先に出て行かないと。
卓也は勢いよくドアを開けて意を決したように赤い車に向かっていった。
「こんにちは」
「こんにちは」
「ゆうさん、、、ですよね」
「そうです、卓也さんですね」
「そうだよ」
電話で初めて話した時以上にぎこちなくなってしまった。やっぱり実際に会うと緊張度合が全然違うよなぁ。
「とりあえず中に入ろうか。ここじゃなんだし」
「そうだね」
卓也は彼女の顔をまともに見ることができなかった。その照れくささを隠すように先にファミレスの入口に向かった。彼女はその後ろを何も言わずについていった。
店内はディナータイムなのに空席が目立っていた。卓也達は一番端が空いているのを確認するとそこに座ることにした。
「電話の声の通りかわいい感じだね」
「そんなことないよ。卓也さんも優しい感じだよ」
「そうかな?でもよくいい人だねって言われるけど…いつもいい人で終わってしまうんだ…」
「それは今までの人達の見る目がなかっただけだよ」
「そういってもらえるとうれしいな」
二人はあまり会話も弾まずに黙々と食事を済ませた。
「これからどうしようか」
「そうですね、、、」
「軽くカラオケなんてどうかな」
「そういえば卓也さんカラオケ好きなんですよね」
「好きなだけで決してうまくはないけどね」
「1時間くらいならいいですよ」
「じゃあいこう。この辺はよくわからないからおすすめのお店を教えてね」
「近くにチェーン店があるからそこにしますね」
「OK。じゃあ後ついていくね」
「お願いします」
二人はファミレスを後にしてそれぞれの車に乗ってカラオケ店に向かった。卓也はファミレスでの会話が弾まなかったことを気にしていた。せっかく会えたのに気の利いた会話ができなかったよなぁ、、、これじゃぁ相手もどうかと思うよな、、、
5,6分走っただろうか。チェーン店のカラオケ店に到着した。月曜の夜だから車はそれほど止まっていなかった。
「これなら待たずにすぐに歌えそうだね」
「そうですね」
店の中に入ると受付には誰もお客はいなく、店員さんが一人いるだけだった。
「いらっしゃいませ、何名様ですか」
「2人です」
見ればわかると思うけどなぁ、、、卓也は思ったが口には出さなかった。
「ご利用時間はいかがしますか」
「どうする?とりあえず1時間でいいかな」
「いいですよ」
「じゃあ1時間でお願いします」
「かしこまりました。こちらのお部屋へどうぞ」
なんか普通のカップルの感じだよなぁ。このいい雰囲気が続けばいいなぁ。
部屋は二人にはちょっと大きい感じだった。すいてるから広い部屋にしてくれたのかな。
二人は座る場所をお互いに探っていたが隣同士に座ることにした。二人の間にはお互いの荷物が入ることになったが、、、
「さぁ、歌いましょう。先にいいですよ」
「卓也さんからどうぞ。最初に歌うのはちょっと、、、」
「だね、お互いに初めてだもんね。よしっ、俺が先に歌わせていただきます」
「お願いします。すみません、、、」
「謝らなくてもいいよ。次はゆうさんなんだから」
「あっ、そうか。アハハ」
出だしは順調だった。お互いに最新の歌や、ちょっと前の歌を何曲か歌った。
プルルルル、プルルルル、一時間後インターホンが鳴った。
「お時間10分前ですが延長はいかがなさいますか」
「ゆうさん延長はどうしますか」
「そうですね、、、今日は終わりにしましょう」
「わかりました。もしもし、延長は無しでお願いします」
「かしこまりました。お帰りの際は伝票をフロントまでお持ち下さい」
あっさり終わってしまったけど初対面だからこんな感じでいいでしょう。卓也はそれなりの達成感を味わいながら会計を済ませた。
「カラオケまでおごっていただいてありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ仕事のあとで疲れているのに付き合ってくれてありがとう。またゆっくり時間をとって会いましょう」
「気をつけて帰ってくださいね」
「ありがとう。じゃあまたね」
「お疲れ様でした」
二人はカラオケ店の駐車場でサクっとお別れした。卓也は帰り道で今日の出来事を思い返していた。緊張していてうまく話ができなかったのもあるが結構いい時間が流れたんじゃないかなぁって思っていた。電話口から流れてきた優しい声は姿と共に今日の素敵な時間を独り占めしていた。卓也は満たされた気持ちのまま帰途についた。
家に帰ると早速メールをしてみた。
「今日は素敵な時間をありがとう。お互いなかなか時間が合わないけど、また時間を見つけて会いたいですね。おやすみなさい」
卓也は疲れていたのかその返信を待たずに寝てしまった。
「・・・と5分で書き上げて下さい」
ん?ここはどこだ?卓也は現状が把握できないでいた。、、、、、、、、あっそうだ研修中だった。今までの自分を振り返るで考えているうちに寝てしまったんだ。あと5分って、、、何も書いてないよ。
「はいそこまでです。裏返しにして後ろから送って下さい。これから簡単な解説を行います」
卓也は夢の続きを思い出していた。あのお疲れ様メールを送ってから返信が返ってこなくなったんだよなぁ、、、なんで返信が来なかったんだろう。なんか悪いことしたかなぁ、、、
あの優しい声、穏やかな時間、たった1回会っただけなんだけど忘れられないでいる自分がいた。
「かなりお疲れみたいですね」
どこからか声がした。キョロキョロ見渡してみると隣でほほえんでいる人がいる。そうか、社外の研修だから隣には知らない人がいたんだ。すっかり油断して寝てしまったから全然気づかなかったよ。
「すっかり寝てしまって何も書いてないよ」
「起こしてあげようと思ったけど気持ちよさそうに寝ていたからそっとしておきました」
「ありがとう。すみません」
「いえいえ。それにしてもこの講師催眠光線出てますよ。ほら、みんな頭がカクカクしている」
「アハハ、そうだね。俺だけじゃなかったんだ」
何だろうこの自然な雰囲気は穏やかな時間が、、、さっきの夢と同じだ。まさか、、、
「突然だけどちょっと聞いてもいいかな」
「どうぞ」
「住まいって厚木ですか」
「・・・いえ、赤羽に住んでます。最近越してきたんです。それまでは厚木に住んでました」
「ひょっとして、、、」
卓也は言葉が出てこなかった。今さらゆうさんと確認したところで何もならないしなぁ。二人は黙ってしまった。講師ののんびりした声だけが教室中に響いていた。
どのくらいの時間がたったのだろうか。お互いに気まずい空気が流れているのだけはわかっていた。卓也はこの空気に耐えられず意を決して口を開いた。
「ゆうさんですよね」
「、、、そうです」
「ひょっとして席に着いた時から気づいてた?」
「、、、はい」
「ごめんね、俺あせって入ってきたから全然気づかなくて」
卓也は現実を受け止めるのに時間がかかっていた。さっきまで夢に出てきた人が目の前にいるなんて。まさか予知夢か??うーん何を話せばいいのだろう。
「なんか久しぶりだね」
「そうですね」
「元気にしてた?」
「はい、なんとか」
セミナー中ということもありこれ以上話をすることが出来なかった。
長い長いセミナーが終わり重苦しい雰囲気から開放された受講者達が帰り支度をしていた。卓也は迷っていた。このまま挨拶をして別れるか、突然終わってしまったことを聞いてみるか。この偶然の出会いはやっぱり無駄にしてはいけないよなぁ。卓也は思い切って切り出した。
「お疲れ様〜、長かったね。この後一杯か食事かどうですか?せっかく劇的な再会をしたからどうかな〜?」
二人の間にしばらく沈黙が流れた。ゆうさんは本当に真剣に考えているようだった。
「そうですね、久しぶりに会ったので行きますか。以前のこともちゃんと話さないといけないですしね」
「えっ?」
「いいから、いいから。さっ行きましょう」
二人はセミナー会場を後にすると、歩き出した。以前会ってからもう3年位経つけどあの時は二人並んで歩いたことがなかったなぁ。お互い車だったから移動もあっという間だったし。
卓也はしばらく歩いてから切り出した。
「以前は食事だけだったから今日は車じゃないし飲みにいきましょうか」
「そうですね。私はあんまり飲めないけどたまにはいいかな」
「じゃあ飲みで。この辺詳しいですか?俺はあんまり来ないから、、、」
「実は仕事場が新しく変わってこの近くなんです。安くておいしい居酒屋知ってますけどそこでいいですか?それともちょっとリッチな所のほうがいいですか?」
「居酒屋でいいですよ。そのほうがお互いに気をつかわなくてもいいでしょう」
3年という期間は随分あるように感じたが、二人の距離は3年前より近づいているように思えた。ひょっとしたらうまくいくのかもしれない。卓也は淡い期待を寄せていた。
程なくして居酒屋に到着した。チェーン店ではないみたいだ。でもおいしそうな物を提供してくれそうな雰囲気のある居酒屋である。
平日の夜だけあって空席が目立った。二人は一番奥の席に案内された。
「まずはビールでいいですか」
「そうだね、ゆうさんもビールかな」
「はい、同じで」
店員さんがグラスまでキンキンに冷えたビールを持ってきた。
「研修お疲れ様でした。かんぱーい!」
「かんぱーい!」
ぷはーっ、やっぱり最初の1杯はうまいよね〜、卓也は天にも昇るような気持ちでビールを味わった。
「おいしそうに飲みますね」
「うっ、そう?喉がかわいていたから思わず夢中に飲んじゃったよ」
「なんか幸せそうに飲むから見ていて楽しくなっちゃった」
「そっそうかなぁ、、、なんかそんな言われ方されたことないから恥ずかしいな」
うーんなんだかもう付き合っているんじゃないかっていうノリだよな。こんなにノリのいい娘だったっけ。卓也は嬉しくてもう酔いが回りそうになったが肝心な所を曖昧にしたまま進むのはよくないと思い、深呼吸をしてタバコに火を付けた。
「あっあのさ昔の話を蒸し返すようで申し訳ないけど、、、」
「昔の話なんてもういいじゃないですか。今こうしてまた会えた訳だし。今日は劇的な再会を祝してお互いに飲んで食べてたのしみましょう!」
「そっそうかな、、、、」
ゆうはそう言うと食べ物やら飲み物やらをジャンジャン頼みはじめた。そのうちテーブルに乗り切らないくらいの食べ物になってしまった。
「卓也さん、もうおなかいっぱいですか。たくさんあるのでドンドン食べて下さいね」
「ありがとう。どれもおいしいよ。でもちょっと頼みすぎじゃないかな」
「食べ切れなかったらテイクアウトしましょう。私一人暮らしだからおかずになるし、、、」
卓也はゆうのハイテンションぶりを見て少し不安になった。何かを振り払うかのようにわざとハイテンションで振舞っているのかな。それとも他に理由があるのだろうか。
「あっあのさ、やっぱりちゃんと話したほうがいいから話をしてもいいかな」
「卓也さんはそんなに昔にこだわるんですか?今が楽しければいいじゃないですか。さっ飲んで飲んで」
そう言うとゆうはお酒を卓也に勧めた。こんなゆうさんを見るのは初めてだ。結構酔っ払っているみたいだ。
「昔のことにこだわっている訳じゃないよ。二人の共通の過去で置いてきてしまったものがあるでしょ?それをちゃんと拾ってからじゃないと未来に進めないよ」
「、、、」
「固い人間だと思われても仕方ないけど言うね。あの時メールの返信をくれなかったことがゆうさんの答えだと思ったから諦めようと決めたんだ。そしたら偶然だけどこうして目の前にゆうさんがいて楽しそうに笑っている。俺も心からうれしいしこの楽しい関係がずっと続けばいいなぁって思う。でもあの時の返信なしがまたあるんじゃないかって怖いんだ。あの時の理由を聞くことはしない。でもこれからのことは考えて欲しいなって思う。もし今彼氏がいたらこの話はなかったことにしてね」
「、、、」
「、、、」
二人の間に沈黙が流れた。かなり気まずい沈黙だ。でもゆうさんから切り出してくれないと先に進めないよ〜
「やっぱり卓也さんらしいね」
「えっ?」
「このまま盛り上がって2次会、3次会、お泊り〜なんていう展開になったら次はないと思った。でも卓也さんは3年前と変わらず私のことを大事に考えながら行動してくれた。3年前からそれに気づいていたけどあの時はそれを自分が受け止めることが出来なかった。すごくうれしかったけどそれに100%答えるだけの自信がなかった。でも今は違う。相変わらず自信はないけど2人で一緒に乗り越えていけばいいんだよね。焦らずに」
「ということは」
「改めましてよろしくお願いします。大事にしてね」
張り詰めていた空気が一気に暖かいそしてやわらかい空気に変わっていった。酔いもどこかへいってしまった。
「今夜はお祝いでガンガン行きましょう、、、と言いたいところだけど明日もあるからこの辺にしておこうよ。これからゆっくりお互いを知っていけばいいしね」
「そうだね。私ももうちょっと一緒にいたいけど、、、明日の事を考えるとだね」
「じゃあ外にでて公園で少し酔いをさましてから解散しましょう!」
「賛成!」
会計をすませると二人の足取りはスキップに近いものとなっていた。秋なのに二人の周りには桜の花びらが舞っているように見えた。