マッチ売り売りの少女
ちょっと不思議なお話。
怖くはないです。
季節はまもなく新しい年を迎えようとしている。
時刻は真夜中、私は家路を急いでいた。
表通りから裏路地入り、いつもの帰り道を歩いていく。
サクサクサク
と、雪を踏みしめる音がかすかに響く。ぽつんと一つだけあるガス灯の弱々しい明かりが作る地面の小さな円環の下、一人の少女がわずかに通り過ぎる人に声をかけていた。
物売りだろうか?
歩きながらその様子を眺める。通り過ぎる人達は少女に一瞥をくれるだけで、みな足早に通り過ぎているようだ。
サクサクサク
少女の近くまで歩いたとき、少女の口上が聞こえてきた。
「マッチ売りはいりませんか?マッチ売りはいりませんか?」
「どうか、マッチ売りを買ってください、後生ですから、マッチ売りを買ってください」
「え?」
通りすがりに聞こえてきた口上に、ふと足を止めた。
「あの、マッチ売りはいりませんか?」
少女は足を止めた私に声をかけてきた。
「…あんたを買うのか?あぁ…娼婦か」
「ち、違います!私は娼婦じゃありません!!」
「だって『マッチ売り』ってのはあんただろ? 体を売ってるってことじゃないのか?」
「私は『マッチ売り』じゃありません、『マッチ売り売り』です」
不思議な事を言う子だ。
「あぁ、つまり娼館の呼び込みか。店はどこにあるんだい?」
「いえ、ですから誰も体なんか売っていません!」
少女はムキになって答えた。
マッチ売りが娼婦の隠語でないとすると、何のことを言っているのだろうか?
俄然興味がわいてきてしまった。
「では、マッチ売りとはなんだい?」
「え?マッチ売りはマッチ売りです。あの、もしかしてお客さん『マッチ』を知りませんか?」
「いや、マッチは知っている。あの、こすると火がつく奴だろう?」
「そうです、そうです。そのマッチを売っているのがマッチ売りです」
「…ああ、そうだな」
「そのマッチ売りを売っているのが私です」
ますますわからない…人身売買なのだろうか?こんな子が?
「人売りか?捕まるぞ。最近は奴隷売買も摘発が厳しくなっている。関われば子供でも牢屋に入れられるぞ?」
はぁ…と、少女は心底あきれたようなため息をついた。
「私は人売りでも、奴隷商人でもありませんよ、『マッチ売り売り』だとさっきから何度も説明しているじゃないですか?」
全く話が見えないが、彼女の言う通りとするなら彼女からマッチ売りが買えるらしい。…いや、やっぱりわからない。彼女は頭が少しおかしいのかもしれない、そう思い始めてきた。しかし、私はこのおかしな少女の話がどこまで破綻せずに続くのか、聞いてみたくなった。
そこで、調子を合わせ、話に乗ってみることにした。
「ふむ、なるほどわかったよ。君はマッチ売りを売っているんだね? どうだろうか?どんなマッチ売りが揃っているのかい? 気に入ったマッチ売りがいれば買おうじゃないか」
少女は、満面の笑みを浮かべ、勢い込んで話し始めた。
「はい、絶対にご希望に添えますよ。どんなマッチ売りをご希望ですか?」
「そうだな、やはり女性だろう。若い方がいいな、髪の色は亜麻色で長く、瞳は深い緑、体系はやせ形で、胸は…」
「ちょ、ちょっと。あ、あの、そうではなく…お客さんマッチ売りを買うのは初めてですか?」
無論だ、こんな変なものはこれまで買ったことはない。
少女は目を瞑って、うーんと少し考えていたが、いい考えがひらめいたと言わんばかりに、笑顔で私に声をかけてきた。
「こうしましょう!私がお客様に質問します。お客様はその質問に答えて頂けるだけでかまいません。きっと理想のマッチ売りが手に入りますよ!」
変わった注文の仕方だが、確かに理にかなっているかもしれない。
「えー、まず、そのマッチ売りはどうしてマッチを売ってるんでしょうか?」
「は?」
「マッチを売る理由です。だってほら、他にたくさんの仕事があるのに、どうしてマッチを売ってるのか、気になりませんか?パン屋で働いてもいいじゃありませんか?花屋では駄目なんですか?」
「ふむ、なぜだろう…そうだな、たとえばマッチ工場に勤めていたが倒産して、退職金がわりにたくさんのマッチをもらったとか、あ、自分の家がマッチ工場だが、取引先に切られて在庫を抱えてしまったとか!それとも、極度のマッチ好きだったとか…?」
「どれにします?」
「え、どれにするって?」
意味が分からないが、ここまで来たら乗ってみよう。
「じゃ、実家がマッチ工場で在庫を抱えてしまった感じで」
「ご両親は?何をしてるんでしょうか?」
確かに、両親がマッチを売ればいい。子供を虐待している親なのだろうか?それは、可哀そうで想像したくないな。
「二人とも高齢で病気、もしかすると寝たきりかもしれない…」
「そんな両親、捨ててしまえばいいんじゃないですか?」
「そんなひどい!自分を大事に育ててくれた両親を捨ててしまえるものかね!」
病気の両親を支えるために、働きに出る…最近じゃ聞かない心温まる美談だ。こういう話は好きだ。
「結婚はされているんでしょうか?」
結婚していたり、子供がいる女ならそれほど若くはないだろうし、そんな女を買うのも気が引ける。
「そんな状況じゃ恋愛もせず、ずっと一人で家族を支えてきたのだろう」
「そんな人生、悲しいだけじゃないですか?」
少女はまるで“誰かを”憐れむように、私に話しかけた。
「いや、もしかすると本人は意外と充実しているかもしれないよ。人の心はわからない…辛い境遇に慣れてしまえば、意外と楽しみはあるかもしれない。今日はマッチがたくさん売れたとか、両親の調子が少し良くなったとか探せば、人生に楽しみはみつかるものだよ」
少女は暫く目を閉じ、やがて口を開いた。
「なるほど、お客さんのいうとおりかもしれませんね…では、ご注文は以上の通りでよろしいですね?」
「あぁ、頼む。見繕っておくれ」
「かしこまりました、きっとご期待にそえると思います。楽しみにしていてくださいね!」
そういうと少女はにっこりと笑った。
その笑顔はどこかで見たような、とても嫌な笑顔だった。
私は背中に寒気を感じ、すこし怖くなってしまった。不思議な話に付き合いすぎたせいかもしれない。
はっきり断ろう。そう思い私は演技をした。
「あ、いや、しかしすまない。せっかく注文しておいてなんだが、私はこの通り財布に、あまり金が無くてね…残念だけど今回は…」
そう言って、懐から財布を出し少女に中身を見せようとした
が、
少女はいつの間にかいなくなっていた。
ガス灯の灯の周りをいくら探しても確かに誰もいない。
あれ?
私の家に帰る道はどちらだったか?毎日毎日歩いて帰る道をわすれるはずがない。よく、思いだせ。
すると、遠くの消えかけたガス灯が灯りを増し、その向こうに煙突のある工場の影が見えた。
「あぁ、あっちだったか」
すっかり遅くなってしまった、早く帰らないと。
俺の家には病気の両親が待っているんだから。
サクサクサク
ーーーーー
ある街の表通り、行き交う人に声をかける男が一人。
「マッチはいりませんか?マッチはいりませんか?」
「どうか、後生ですからマッチを買ってください。両親が病気なのです、薬を買う金もありません」
「どうか、どうか、マッチを買ってください」
俺はマッチ売りだ、年老いて病気の両親の為に毎日、毎日マッチを売り歩く。
年の瀬だ、労働者が寒い向かい風にコートの襟を立て、家路を急いでいる。そんな彼らを見てなぜか、懐かしいような気持ちになった。
馬鹿馬鹿しい。俺はマッチ工場の倅、ずっとマッチを売って生計を立てていた、しがないマッチ売りだ。でも、もし誰かが、こんな人生を買ってくれるなら、俺は…
見上げると、雪が降りだすところだった。
「おじさん! マッチくださいな!」
下から声をかけられ見下ろすと、どこかで見たような少女が手袋をした両手を俺につきだしていた。
少女は俺からマッチを買うと、雪が降りだした街を嬉しそうに駆けていった。