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紅桜歌  作者: 松野栄司
第一章《死を率いし者》
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第六節【水竜皇】



 既に日は沈み掛けている。


 エアリゼの額を、焦燥が雫と為って流れている。夕闇の赤が滅びようとしている国を、秘めやかに照らしている。エアリゼの視界を掠めて()く無表情な臣民達の姿が、物悲しい光景として映し出されている。どの顔も、此の顔も、(いず)れも生気が感じ取れない。死者の様に、淀んだ双眸。異様な其の光景を見て、悲しい気持ちに為ったのと同時に、得体の知れない恐怖に駆られた。


 夕闇に包まれる様にして、エアリゼは愛騎竜シルフィードに騎乗している。背後からの追撃を気にしながらも、エアリゼは水竜皇の待つ祠へと向かっている。飛竜隊の安否が気に為っていたし、胸中に秘める不安がエアリゼを焦燥へと駆り立ててはいるが、どうにも捨て置く訳には往かなかった。


 此の国は明らかに壊れている。虚の眼のグラナス王や兵達は、異常な様相を呈している。如何なる事態なのかを、把握する必要が在る。とんでもない何かを、見過ごしている様な気がして、エアリゼは動いている。水竜皇の呼び掛けに応えて置かなければ、今後の未来が大きく変容(かわ)ってしまう気がしたのだ。其れは此の先、エルナスや兄を取り囲む未来に影響している。そんな予感がする。


 故に、エアリゼは祠に訪れたのだが。


 其の姿は、何処にも見えなかった。


 決して、闇雲に自分を呼び寄せた訳ではない。


 必ず、何処かに居る。


「私の名は、エアリゼ。貴女の呼び掛けに応える為に、祠へ訪れました。謁見の許可を、頂きたい!」


 祠の中を、己の声が残響する。


 静かに只、反応を待った。


 決して、無駄足ではない筈だ。


 気配は次第に弱まっているが、確かに水竜皇の存在を感じている。其の命が終わりを告げようしている事も、理解している心算(つもり)で在る。だからこそ、自分は此処へ来たのだ。死の(きわ)に座視する皇が、自分を呼ぶ真意が知りたかった。此の国に起きている異変が、何を(もたら)すのかを()っておきたかった。


 でなければ此の先、ずっと後悔する。


 きっと、其れは自分の心を占め続けるだろう。残酷に後悔が、罪の意識と為って締め付けるのだ。


 そんなのは、嫌だった。エルナスや兄の役に立ちたかった。残り僅かな命を、後悔に費やしたくない。


「私は――」


 決意を秘めた言の葉を、紡ごうとした其の時だった。


 ――地響きが起きた。


 其れと同時に、目の前に聳える巨岩石が割れる。落石と砂埃が起きて、僅かな(いとま)の後に、通路が姿を見せた。先へと歩を進めると、酷い傷を負った竜が居た。美しい鱗に覆われた其の竜は、とても優しい眼をしている。


 不思議と、心に平穏が訪れている。


 非常事態にも関わらずに、心が落ち着いている。


 水竜皇の持つ魔力が、空気を優しく和ませているのだ。


 其の命が終わりを告げようとしているのが不思議なくらいに、水竜皇からは(きら)びやかな生命エネルギーが感じ取れた。心を洗い流される様で在った。時の彼方(かなた)を生きた皇は、何千何万もの歳月を如何に過ごしてきたのだろう。少なくとも、エアリゼには想像が付かなかった。エアリゼにも解る唯一の事が在るとすれば、水竜皇は決して個人的な感情でだけで自分を呼び出した訳ではない、と()う事だけだ。死を前にして、どうしても伝え残さなければ()けない事が、在るのだろう。其れを汲み取れるのは、竜の声を聴く事の出来るエアリゼだけだった。


 為らば何が何でも、応えなければ為らない。


 自分は、其の為に訪れたのだ。


 飛竜隊の放つ魔力の信号が、先刻から途絶えている。特殊な加工が施された鉱石で、魔力を探知する事が出来る。特殊な器具を取り付ける事で、同じ鉱石を持つ者達の魔力を読み取って、位置情報を把握する事が出来るのだ。


 飛竜隊は恐らく、壊滅している。


 カイラートが発信する魔力も、次第に弱まっている。


 事態は絶望的だ在る。


「エアリゼよ。其方(そなた)に、力を授けよう」



   ●



 (かつ)てアクアグランデは、一つの小さな集落だった。


 薄れ逝く命の煌めきの中で、水竜皇エリアスは遠き記憶を呼び起こしていた。


 水竜皇には、カグツチと言う名の弟がいた。カグツチは土を司る存在で当時、此の地を治めていた。グランが土の魔力を色濃く帯びているのも、恐らくは其の名残だ。強い魔力を持つ者が長期に渡って一つの土地に留まると、其の地に流れる龍脈に影響を及ぼしてしまう。龍脈は全ての生物に、力として影響を促してしまうからだ。


 長い歳月を掛けて、カグツチは此の地を平穏に導いてきた。処が在る時を境に、悪しき心に加担する事と為る。


 カグツチの心は闇に囚われてしまい、遠く離れ住んでいた水竜皇の元にまで影響を及ぼす事と為る。


 悪しき者の名は、冥王サーフィス。混沌と暗黒の力を生み出して、生を奪い死を支配する。死者の魂を永遠に肉体へと縛り付ける事で、死の軍勢を率いている。人間も竜も、種族の境界は無い。死だけが等しく、冥王の前に(ひざまず)いている。冥王の軍門に下ったカグツチには、死竜の精鋭を与えられていた。そして其の力は、水竜皇へと向けられる事と為る。死の軍勢を屠るには、魂を浄化する術が必要で在る。若いカグツチには、其の力が無かった。だから、心の隙間に付け入られてしまった。


 だからこそ死を(はら)う力を持つ水竜皇は、冥王には疎ましく映ったのだろう。過去の大戦に於いても、水竜皇エリアスは冥王に大きな打撃を与えてきた。過去の歴史の裏には、冥王との大戦が描かれている。深く色濃い歴史の中で、水竜皇には死を祓い退()ける力が備わっている。死竜の軍勢を祓った後に、エリアスはカグツチとの決戦に挑む事と為る。


 三日三晩、想像を絶する闘いを経て、水竜皇エリアスは勝利を治める。深い手傷を負いこそしたが、冥王の脅威は完全に退(しりぞ)ける事が出来た。カグツチに代わって、水竜皇は此の地を治めた。アクアグランデの始まりで在る。


 そして現在、冥王は復活を企んでいる。其の為に、多くの死者の魂を集めている。


 ダイナー帝国のゾメストイ。


 アクアグランデのグラナス。


 少なくとも此の両名は、冥王の傘下に下っている。


 放置しておけば、勢力図が大きく崩れる事に為るだろう。事実、両国は既に、滅びを待つ定めと成りつつ在る。回避するには、冥王の呪縛を絶たなければ為らない。残念ながら水竜皇には、時間が残されていない。命を終える前に、託せる人間が居たのが幸いで在った。異国の巫女では在るが、エアリゼは信頼に足る存在だ。


 だが不幸にも、時間がなかった。


 力の継承のみしか、出来なかった。


 戸惑い迷う異国の巫女に、全てを伝える(いとま)こそなかったが、未来を託す事が出来たのだ。


 千年桜の開花は、もう間もなくだ。冥王の復活と、獣王の激突は避けなければ為らない。両者が邂逅(かいこう)すれば、多くの死が嘆きと共に訪れてしまう。千年もの祈りの果てに、終焉を迎える訳には往かない。


 一握りの希望の下、水竜皇エリアスは命を終えた。



   ●



 ――嘘だ。


 シルフィードの機動力を、限界まで駆使してダイナー帝国を目指した。


 ――嘘に、違いない。


 エアリゼの胸中を、悲しみが満ちて往く。兄、ゾメストイが死んだなんて、信じたくはなかった。況してや其の魂が、冥王の支配下に在るだんて、受け入れ(がた)かった。


 幼い頃はゾメストイとエルナスの三人で、常に一緒に過ごしていた。勉学も剣の稽古も、いつも三人一緒で在った。ゾメストイの手に依って、エルナスが崩御しようとしている。ゾメストイがエルナスを裏切るのは、自分に原因が在る。自分が《礎の巫女》として選定さえされていなければ、ゾメストイが冥王の軍門に下る事はなかっただろう。胸中をどす黒い感情が埋めようとしている。


 ――暗黒の感情に、囚われては為らない。


 水竜皇の最期の言葉が、エアリゼを寸での処で留めている。怒りや悲しみの感情では、闇は祓えない。どう足掻いても、藻掻いても、過ぎた者は帰らない。為らば事実を受け入れて、立ち向かわなければ往けない。何故、水竜皇が自分に力を授けたのかを、良く考えなければ往けない。


「愚かな巫女よ。矢張り、見過ごす訳には、往かなく為った」


 グラナス王が、行く手を阻んでいた。飛竜隊の骸達が、前方を遮っている。


 けれど、こんな処で足止めを喰らう訳には往かない。


「墜ちるが良いッ!」


 詠唱陣がエアリゼの頭上に浮かんでいる。力の重圧が、降り注ぐ。


 だが、見えない光がエアリゼの周囲を包み込んだ。光の(ヴェール)が、悪しき力を遮断していた。


「ほう。老い()れ竜めが、最後まで邪魔をしてくれるな……」


 どうやら、水竜皇の加護が冥王の力を遮ってくれている様だ。


「為らば、物理攻撃はどうだッ!」


 飛竜隊の一人が、槍を放ってくる。


 シルフィードを旋回させて、上手く躱すが頬を一筋の血が流れていた。


 応戦する心算(つもり)は無い。


 自分は飛竜隊で、一番の機動力を持っている。


 愛騎竜シルフィードは、風の飛竜との混血(ハイブリッド)だ。『速さ』に於いては、誰にも引けを取る気はない。

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