表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅桜歌  作者: 松野栄司
第一章《死を率いし者》
5/6

第五節【慈愛の風】



 ――魂は何処に沈み()くのだろうか。


 ()の方に出逢ってから、そんな考えばかりが過ぎる様に為った。民を導く立場に在りながら、定めから逸脱した処に想いを馳せる自分が存在する。そんな自分が以外で在ったし、嫌悪している自分も居る。しかし、初めて抱く感情を、無意識の内に肯定していた。居心地の良い其の感情が、自分の()らない自分を次々に引き出して()く。


 聖地アリアドスで初めて逢った時の事を、今でも良く憶えている。舞を踊る自分を、エルナスは不思議そうに眺めていた。そんなエルナスが、何処か可笑しかった。何故だか上がる心音を抑えながら、フィオナは意を決して声を掛ける。そんな自分は、エルナス以上に滑稽で在ったと思う。二言三言、言葉を交わして去ろうとする自分を呼び止めるエルナスに、伝達手段を与えた自分が驚く程に以外で在った。


 エルナスと出逢って、三年が経つ。幾度となく、逢瀬を重ねた。最初の内は、一族にも御忍びで在った。悪い事をしている様で、罪悪感が胸を衝いていたが、何処か其れ自体を愉しんでいる自分も居た。年月を重ねる(ごと)に、想いは重畳されて()った。本能の(まま)に、欲望の儘に、エルナスを求めて密会を続けていた。父の放った密偵に依って、エルナスの存在は露呈するのだが、フィオナは一族を抜け出そうと覚悟を決めていた。


 フィオナは恋をしている。盲目で在り、焦熱的な、純然たる恋で在る。故に全ての感情よりも、無自覚にも最優先させているのだ。


 エルナスの温もりが、法悦の想いを抱かせているのは間違いなかった。エルナスの存在が、フィオナに取っては、何よりも大切で在る。其れは一族の長の立場から考えれば、望まれるべき事では無いかも知れない。裏切り行為にも、等しかったに違いない。一族の眼を欺いて、逢瀬を繰り返してきた事は事実だ。けれども有り難い事に、民の殆どの者が受け入れてくれた。


 一族の呼称は時代や地域に依って変わり()くが、今は【慈愛の風】と人々に語り継がれている。一族の歴史は古く、五千年もの時を遊牧の徒として過ごしてきた。国を持たず、定住する土地も持たない。不変の掟だけが、一族の証明と為っていた。他者とは一切の交わりを持たない。闘う(すべ)は在るが極力、争いを避ける様にして其の存在を維持している。故に他民族との婚姻は、認められてはいない。()してや一国の王族に恋心を抱く事など、在っては為らなかった。


 変わる事を一族は、極端に避けて、其の存在を隠しながら生き永らえてきた。其れにも拘わらずに、一族の答えはエルナスを受け入れる方向で可決している。其れ程までにフィオナは信頼されているし、何よりも其れ以上に愛されている。だからこそ、フィオナの見染めたエルナスを全面的に、一族はサポートする事を認めている。故にエルナスの放った救援信号を受けて、一人の男が兵を率いてダイナー帝国へと遣わされた。


 本当はフィオナ自身がエルナス救出の任に向かいたかったが、立場上の都合で動く事が出来なかった。


「フィオナよ。彼の救出には、チェスターが向かっている。奴の弓の腕前は、一族の中でも群を抜いている。本当は、私が出向く心算つもりだったんだが、エンヤに酷くどやされてしまったよ」


 呵呵大笑の声を上げるゲオルグを見て、自然とフィオナも笑みを漏らしていた。


「お父様には、一族を護る責務が在ります。お母様の責め苦も、仕方が在りませんわ」


 一族の長の座と、王鱗紋は既にフィオナは受け継いでいる。其れでも大きな取り決めを行う際の最終的な決定権は、未だにゲオルグに委ねられている。実質的な長としての実権は、ゲオルグが握っていると謂っても過言ではない。故にゲオルグが戦地に向かう事は、望ましくはなかった。


 其れにチェスターは、一族でも屈指の戦士で在る。フィオナに取っては優しい実兄で在り、父の次に信頼のおける存在で在った。


「エルナスは既に、我々に取っても家族も同然だ。彼を必ず、救い出してみせる。安心して、聖地巡礼に赴きなさい」


 間もなく千年桜は、満開の時期を迎える。世界の平穏の為には、自分を含めた複数名の巫女が、巡礼をしなければ為らない。其処で行われる儀式の成否が、世界の存続を決めると言っても過言ではなかった。


 一族の伝承に依ると、巫女の祈りが聖地アリアドスの龍脈を鎮めるとされている。詳しい事は誰も識らないが、巫女達には特殊な力が宿っていると言われている。過去に数回、聖地を訪れて舞を踊っていたが、千年桜は何も応えてはくれない。


 自分には、世界を救う定めが課せられている。けれど不謹慎にも、意識はエルナスへと向けられている。


 ――魂は何処に沈み()くのだろうか。


 其の問いの答えが、アリアドスに在る様に思えて為らない。



   ●



 ダイナー帝国より南西に位置する場所に、広大な渓谷が在る。多くの山々に囲まれた其の場所に【慈愛の風】は、二年前から定住している。人里から遠く離れている為、戦火に巻き込まれる心配がなかった。


 チェスターは戦に備えて、荘厳なまでに大きな弓を取り出している。漆黒の大弓の名は、破弓(はきゅう)と言う。数々の(つわもの)を、チェスターは破弓で屠ってきた。押し寄せる大軍を、チェスターの率いる弓隊が寄せ付けない。【慈愛の風】が纏う魔力は、名前の通り風で在る。風の魔力を纏った弓は、速くて鋭い軌道を可能にする。チェスターの持つ破弓は、魔力を十数倍にも、膨れ上がらせる効果を持っている。


 強大な魔力を帯びた弓が、敵陣に大きな風穴を空けるのだ。何人たりとも、突破は不可能で在ると思わせる凄みが在る。


 チェスターはエルナスに向けて、伝達用の術を放った。風を帯びた魔力が、青い鳥の姿を(かたど)って飛翔して往く。


 エルナスとの付き合いは短いが、フィオナが見染めた男で在る。必ず、救い出してみせる。


 チェスターに取って、フィオナは大切な妹で在る。掟を破ってまで、エルナスを迎え入れた父の気持ちが痛い程に解る。当初、フィオナは一族を抜ける心算(つもり)でいた。フィオナの頑固さは、幼い頃から良く知っている。一族を捨ててでも、フィオナが添い遂げようとする男だ。余程、心を惹かれたに違いない。フィオナを、哀しませたくはなかった。自分の行動原理は、フィオナの為に存在している。


 フィオナを欠く事は、一族に取って最も大きな損失に繋がる事を、父は誰よりも識っているのだ。フィオナの持つ魅力が、人々の心を魅了して往く。多くの民衆を掌握して、一族を束ねる事を識っている。掟を破ってまで、フィオナを繋ぎ止める必要が在った。そして何よりも、自分も父も、フィオナを掛け替えのない家族として愛している。


 フィオナの為に、一族は存続しているのだ。【慈愛の風】のルーツの根幹に、フィオナは最も近しい存在で在ると、父が以前に語っている。其の真意までは読めないが、フィオナは誰よりも大切な存在で在った。


 だが、心良く思わない者も存在している。


 【慈愛の風】は此れまで、他国との繋がりを断ち、自然との共存共栄の道を辿って生きてきた。本来で在った為らば、他者との交わりは認められない。故にエルナスの存在は、異例中の異例で在った。絶対的で在る筈の一族の掟を無視してまで、エルナスを受け入れた父の考えに賛同できない者も居る。大半の者は父の意向に従い、フィオナを祝福していたが、一人の男が異を唱えた。掟を破ったフィオナを追放する様に、ゲオルグに希求した男の名はゲイオスと謂った。


 ゲオルグの兄で在る。


 一族の存続に大きく関わる問題で在る。一国の王とフィオナを受け入れる事は、掟から大きく逸脱している。其れは亀裂を生み、一族を破滅に向かわせる。滔々(とうとう)と説くゲイオスの言葉に、父は耳を貸さなかった。其れが(いさか)いを生み、両者は争い闘う原因と為った。


 一晩中、剣を交えた後、ゲイオスの敗北に依って決着と為った。其の日の内に、傷も言えぬ儘、ゲイオスは一族を抜ける事と為る。


 同じ様に掟を重視する一部の者達を引き連れて、ゲイオスは一族を去った。


 其れでも尚、エルナス救出の任に志願する者は少なくはなかった。


 エルナスに直接、関わった者は一部しかいない。全ては、フィオナの魅力から来る物で在る。


 皆がフィオナを、愛している。だからこそ、フィオナの大切な者を、救いたいと考えているのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ